第2話 シュレディンガーの完璧美少女②
入学して一週間が経った頃には、由良木有紀寧の存在は校内に知れ渡っていた。
名前こそ知らない人はいただろうけど、一年にめちゃくちゃ可愛い女の子が入学してきたと上級生でさえ噂していたほどだ。
雲の上の存在というか。
高嶺の花というか。
どこにでもいる平凡な男子高校生たる俺、秋坂佑真からすれば彼女はそんなイメージだった。
同じクラスであったとしても、教室ですれ違いざまに挨拶を交わす程度で、楽しくお喋りをしたりする日は訪れたりしないと勝手に思っていた。
いや、きっと、こんなことでもなければ実際そうなっていたに違いない。
「本当にありがとうございました」
由良木は正座のまま、前にちょんと手をついて頭を下げた。所作の一つひとつが綺麗だ。
白のシャツにロングスカートを着た彼女の雰囲気は清楚系って感じで、抱くイメージ通りだった。
「いや、まあ、無事で良かったよ」
お礼とか言われ慣れてないからリアクションに困るな。俺は頭を掻きながらしどろもどろに答える。
由良木が目を覚ましたあと、とりあえず場所を俺の部屋に移した。クラスメイトの男子の部屋に上がることに躊躇いがあったらどうしようかと思ったけど、そこは普通に何とも思ってなさげだった。
何とも思ってない、というのもそれはそれで考えものだが。
「救急車とか呼ばなくて大丈夫か? 煙吸って倒れてたんなら、一応見てもらったほうがいいんじゃ?」
俺が言うと、由良木は気まずそうにすすすと視線を逸らす。なんだろう、そのリアクション。
俺が眉をひそめていると、それを見た由良木が観念したように息を漏らした。
「……実は、あれは煙のせいで倒れたのではなくてですね」
言いづらそうにもじもじとしている。そんな反応されると聞き出すのが忍びなく思える。まあ、聞きますけど。気になるしな。
助けた俺にはそれを知る資格があるだろう。
「ぶわっと燃えた火に驚いて、足を滑らせてしまったんです。それで、頭を打って……」
「気を失った、と」
俺が続きを口にすると、由良木はこくりと無言で頷く。
「それはそれで病院行かなくて大丈夫なのか?」
「ええ、これくらいなら大丈夫だと思います」
一応見てもらったほうがいいような気もするけど、本人がそこまで言うならばこれ以上は俺からは何も言うまい。
しかし、と俺は立ち上がり冷凍庫から氷を袋に入れ由良木に渡す。
「冷やすくらいはしておいたほうがいいぞ」
「あ、ありがとうございます。なにからなにまで」
「ところで、なんであんなことに?」
あんなこと、とはもちろんボヤ騒ぎのことだ。なにか料理をしていたのは間違いないだろうけど。
「料理をしていたら、急に火がぶわっと……」
なにかしないと急に火はぶわっとなったりしないと思うんだけどな。油の量でも間違えたのだろうか。
「そこからは記憶がなくて」
「気絶してたもんね。まあ、油が熱され続けたとか、そんなところか?」
俺はちらと申し訳無さそうに視線を泳がせる由良木を見た。俺の視線に気付いた彼女はなおも視線を左右に揺らす。
「けど、才色兼備の完璧美少女と呼ばれる由良木有紀寧嬢がボヤ騒ぎとはね。クラスの連中が聞けば驚きを隠せないに違いない」
「……はは」
引きつった笑いを見せる由良木。
そのとき、彼女のお腹がぐううと空腹を主張した。それを聞いて、俺も自分が空腹だったことを思い出す。
「あ、わわ、ごめんなさい」
「いや別に。結局、飯食えてないもんな。簡単なものでよければ作るよ」
「でも、悪いです。助けてもらった上にご飯までいただくなんて」
「それなら、ドアを壊してしまった罪滅ぼしだと思ってくれ。もちろん、これだけで終われるとは思ってないけどさ」
よっこらしょと立ち上がり、キッチンへと向かう。改めて冷蔵庫の中を確認して、豚肉とカット済み野菜を取り出す。
いろんな野菜をカット済みで販売してくれるこのシステムは忙しい人間の味方だ。
幾つかの料理を作るならば、きっと野菜そのものを買って切ったほうがいいんだろうけど、一品だけならこっちのほうが手っ取り早い。
フライパンに油を引き、ある程度熱したところで豚肉を放り込む。胡椒を振って焼き色をつけたところで野菜をそのままぶち込んだ。
「秋坂さんってお料理得意なんですか?」
「そう見える?」
フライパンを振りながら、後ろにいるであろう由良木に言葉を返す。料理中は火から目を離さない、これが大事なんだよ由良木さん。
「動きが慣れているように見えます」
「そう。慣れてるだけだよ。別に得意というほどではない」
とはいえ。
まあ、実のところそこら辺の高校生に比べればそれなりに出来るという自負はある。謙遜だよ。自分からハードル上げるのもバカバカしいし。
「一人暮らしをしている以上、否応なしに自炊の機会は訪れるしね」
言いながら、俺は醤油やら焼肉のタレやらで味付けをしていく。結局焼肉のタレ入れれば何でも美味しくなるのだからずるい。
「……そう、ですよね」
由良木の声が弱々しくなる。
俺は火を消して後ろを振り返ってみた。彼女は何やら気まずそうに口角を引きつらせている。
そんな彼女の反応に違和感を覚えながらも、俺は晩飯の準備を進めていく。お皿に野菜炒めを盛り付け、リビングにあるテーブルに持っていく。
由良木には紙コップと割り箸を用意する。
時間にして十分とかからず完成した料理を、由良木はきらきらした瞳で眺めていた。
白米をよそい、準備は完了だ。
「いただきます」
由良木は丁寧に手を合わせてからお箸を持つ。
味付けとかもあくまで俺好みの仕上げだから、果たして彼女の口に合うのかどうか。
かといって女子に手料理を振る舞う機会なんてなかったから、そんなの分からないし。
と、ぐるぐる考えながら表情には出さないようにしつつ、由良木のリアクションを伺った。
「おいしいです」
口元に手を当て、声を弾ませる由良木に俺はほっと胸を撫で下ろす。
彼女の場合、そんなに好みじゃなくても気を遣って同じことを言いそうだけど。
「そりゃ良かった」
俺も安心して野菜炒めを口に放り込む。うん、美味いんだよ普通に。白米がすすむちょうどいい味付けなんだよな。
「そういえば、大家さんにはまだ連絡してなかったよな?」
ボヤ騒ぎからドタバタしての今なので、そんなこと忘れていたけど報告はしておかなければ。
「そうですね。今しても大丈夫ですか?」
食事中だけど、という断りだろうか。俺は気にせずどうぞと促す。
俺も謝らないとな。
事情が事情とはいえ、ドア壊しちゃったし。
由良木がスマホで大家さんに電話をかける。少しして会話が始まり、由良木が事の次第を説明する。
俺もなるほどねえ、と改めて今回の一件についてを整理していた。
消火が早かったからか、キッチン回りが少し焼けた程度で他の部屋には被害がなかった。キッチンも焦げを取れば問題はないだろう。
なので、今回の一件の一番の損害は間違いなくドアなんだよなあ。
鍵もかけられないので、由良木は現状家に戻ることができないのだ。暑さくらいならともかく、さすがにドアが壊れているのは無防備だ。
「あの、大家さんが秋坂さんに代わるように言ってまして」
言いながら、由良木がスマホを渡してくる。ちょっと緊張しながら、俺はそれを受け取り通話に応じる。
『あ、秋島君?』
「秋坂です」
もうこれわざとだろ。
俺は間髪入れずに訂正を入れた。
大家さんはあははと上機嫌に笑っていた。いつもテンションは高いけど、電話越しの声はいつになく楽しげだ。
さては飲んでいるな。
それに、なにやら後ろが騒がしい。
『事情は由良木ちゃんから聞いたわ。諸々こっちで対処するからそこは安心していいんだけどね』
おおー頼りになる大家さんだ、と思っていると、徐々に声色が不穏なものへと変わっていき、俺の中の嫌な予感を煽ってくる。
『対応がね、日曜日になっちゃいそうで』
「なんで!?」
『学生時代の友達と飲んでてさ。話めちゃくちゃ盛り上がったから旅行行くことになったの』
「分からん」
あなた夕方は庭の草むしりしてましたよね?
『もう新幹線出発しちゃうから話はまたあとでねー』
この騒がしさ新幹線のそれだったのか。てっきり飲み屋にいるんだと思ってた。
『あ、あと、由良木ちゃんのことよろしくね』
「無責任にもほどがある!」
ぶつ、と通話は切れた。
本来ならばもっと強く言ってやりたいところだけど、ドアを壊したのが俺なだけにそれが難しい。
「……一応確認なんだけどさ」
「は、はい」
由良木は緊張した調子で俺の方を向き直った。表情からもそれが伝わってくる。
「今晩、どうする予定? ドアの壊れた部屋で寝るわけにはいかないだろうし、実家に帰るとか?」
「……それはちょっと、難しいかもしれません」
言って、彼女は顔を伏せる。
普通の高校生は一人暮らしなんかせずに実家から通うだろう。こうして一人暮らしをしている時点で訳ありだということは察するべきだったな。
「友達の家とかは?」
「……難しい、かと」
理由は分からんけど彼女はそう言った。
友達多そうだから、頼めば一人くらいは受け入れてもらえそうな気がするけれど。
この辺にはホテルもない。
ドアを壊したのは俺だ。責任はある。
それに女の子を一人放り出すようなことはできない。
「……まあ、行く宛がないんならうちは別に構わないから」
そう提案する他なかった。
――――――
次回『シュレディンガーの完璧美少女③』
明日、10月14日 20時10分頃更新
佑真がお風呂上がりの有紀寧に◯◯します。
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