第28話 魔女の罠
「彼と私は婚約者だった──」
ラナイアは僕の知らない話を繰り出す。
愚者の魔女との決戦前、僕であるらしい彼はラナイアに結婚して欲しいと求婚したらしい。
そうして僕とラナイアは結ばれ夫婦の間柄になったそうだが──。
知らないよ、そんな話。
全く持って身に覚えのない話が飛び出した。
いや記憶喪失疑惑のある僕は一応記憶を捻り出す。
だが、やはり遡ってみてもラナイアに求婚した記憶はない。
もう堂々と言い張るものだから、そうだったのかな……と洗脳されそうである。
「彼は私に愛していると何度も囁いた……」
「はぁ」
「彼は我慢出来ずに私を押し倒した……」
「は、はぁ」
「そうして私と彼は身体を重ねあったわ」
ラナイアと体の関係になっているじゃん!
僕は性欲が湧かないんだからラナイアを抱くわけないだろと。
その責任を取る羽目になった僕は彼女と婚約したそうであり……二人は愛でたく結ばれたと。
大丈夫かなこの子。頭イカれてるのかな。
僕と同様に存在しない記憶を植え付けられているのかな。
それとも僕が爆死して精神が病んでしまったのかな。
そうなればラナイアが可哀想なことになったのは僕が原因なので責任を取らなきゃならないのだが。
「──というのは冗談よ」
「そ、そうなんだ」
「ただ、恋人までは本当よ」
それも冗談じゃないの?
揶揄い上手のラナイアは僕を小突き回す。
閑話休題というわけでラナイアは本筋へ戻る。
「それで貴方の今の名前を教えてくれないかしら」
僕がレイを名乗り続けるとレイ原理主義者に襲撃される危険がある。
だからと言って比良坂小夜を名乗れば僕の正体が判明するので、この名前を教えるわけにもいかない。
となれば生まれた時に呼ばれていた名前を代用すべきだな。
「038番とでも呼んでくれればいい」
ちなみに僕と同郷である尸織は046番である。
名前がなく数字とか本当に機関は糞だと思う。
「38番……そんな貴方に頼みがあるの」
ラナイアの頼みとは千年王国と協力関係を結ばないかというもの。言わば同盟である。
こんな胡散臭い道化師の僕は、犯罪組織拠点の泥棒しかしていないはずだったのだが、何故だかラナイアからの信頼は高い。信頼を培う要素はなかったのに不思議である。
同盟の内容は、保護や捜索対象の情報提供や物資の援助、戦闘行為においては緊密に連携する。要は千年王国と敵対せず仲良くしようといった感じである。
この提案を拒絶する理由はない。
同盟状態であれば僕の安全は保証されたようなもの。盟主であるラナイアからお墨付きを頂いたようなものだ。
そうなれば常日頃千年王国に怯える生活も解消される。
千年王国がいるから泥棒は止めとこ……となることもなくなるのである。
ならば乗るしかないな、この同盟に!
「こちらこそ宜しく頼むよ」
「えぇ、ありがとう」
そうして僕達は握手を交わし同盟の成立を祝う。
口約束ではラナイアに切り捨てられる可能性もあるため、証拠を残すために書面に一筆記してくれと頼むと、ラナイアは快く承諾してくれた。
結局収穫物は贋作絵画のみだったが、安全の保証という大きなものを手にすることが出来た。
次回は千年王国を気にせず別の犯罪組織を襲撃すればいいだけなので、まぁ大分良い成果を得られたと言ってもいいのではないか。
夜更かしは美容の天敵だし、そろそろ城に戻ろうかな……と思う僕の腕をラナイアは掴む。
「じゃ僕はお暇しようとするかな。それでは良い夜を」
「待って。召喚者の貴方がそんな格好でお城に戻って大丈夫なの?」
「格好……?」
──アッ。
僕は全身に血飛沫を浴びた真っ赤な道化師である。もうホラー映画に登場する殺人鬼のようである。
本日は集団睡眠というわけではなく夜勤に励む衛兵や他の者達がおられる。
物音に警戒すれば遭遇することもないのだろうが、部屋に辿り着いたとしても二人の幼馴染が僕の部屋を占拠している。
おまけに血の臭いやらを落としに大浴場へ向かう必要もある。そこでも遭遇に気を張らなければならないわけで、僕への障害は沢山あることが予想される。
「まずいことになったな……」
畜生面倒臭ぇ……! 早朝までには部屋に戻らないと外出が発覚してしまうし……!
かと言って宿屋や銭湯で身体を綺麗にしようにも無一文の僕が施設を利用なんて出来るわけないし……!
唯一の収入源となりそうなのが贋作絵画だけれど、所詮贋作だから値打ちなんてあるわけないし……!
娼館と賭博場に駆り出して千年王国の残り物を漁りに行くべきか……!?
そう思案する僕にラナイアは言葉を掛ける。
「私の家に来る?」
救世主か?
藁にも縋る思いでラナイアの優しさに甘える僕は、彼女の御招待を受けて普通の住宅街へと足を運ぶ。
招かれた部屋に上がると装飾品など皆無で必要最低限の生活が出来ればいいといったような質素な内装をしていた。
元よりラナイアは倹約家な性格であったが、これほどとなると千年王国の景気は悪いんだなと察してしまう。
「とりあえずお風呂を沸かしてくるわね。貴方は椅子に座って寛いでいて」
ラナイアから促され僕は椅子に腰掛ける。
部屋に上がり込んだはいいのだが、彼女の人を疑わない心情が心配になってきた。まぁ信頼があるということで悪い気はしないのだが。
しかし実質的に初対面に等しい胡散臭い道化師を招き入れるとは、彼女の貞操観念はどうなってしまったのだろう。
悪い男に引っ掛からないで欲しいものだと謎の親心を発揮していると、玄関の扉の向こう側からノックが響く。
こんな夜更けにラナイア宅に来訪者とは、十中八九千年王国関係者だなと読んだ僕は、万が一彼女を狙う曲者だったとしてもラナイアに敵うわけがないし問題ないかということで、多忙な彼女に代わって扉を開ける。
「アイン様、ご報告が──」
自然体であるのか顔を隠さず素顔を見せる彼女は、見間違うわけもない王城で侍女を務めるアヴェランスさんであった。
「あんた、千年王国関係者だったのかよ……」と唖然とする僕に対して彼女も不審な道化師がいることに動揺しているようで、距離を取ると鞭を構えて見せた。ついでに僕を追跡していた鞭の人だったとの情報も追撃する。
「あ、貴方は──!」
「止めなさいフラン。彼は私達の同士よ」
警戒心を高まらせる鞭の人改めアヴェランスさんに用を終えて戻って来たラナイアは諌める。
状況を理解したアヴェランスさんは鞭を収め「失礼しました」と一礼して詫びる。
「それと38番、勝手に扉を開けない。不用心よ。仮に私達と敵対する連中だったらどうするの」
ラナイアに怒られちゃった……。
僕は「軽率だったね」と一言返す。
「まぁいいわ……。後程皆に報告する予定だけれど丁度いいし貴女には報告しておくわね。彼は38番、私達千年王国と協力関係になった人物よ」
「既に存じているでしょうがフランです。宜しくお願いします38番様」
「同盟関係になった038番です。どうぞよろしく」
知ってるよ。だって今日城内を案内してくれた人だもの。
「それですが──」と話を切り出そうとしたアヴェランスさんは僕に目を遣り口を閉じる。
恐らく本日の泥棒の成果を報告するんだろうなと、僕は嫉妬しそうなので席を外すことにした。
「お言葉に甘えて入浴させてもらうよ」
「別に気を遣わないで同席してくれてもいいのよ」
「えっ、38番様を泊めるのですかアイン様……?」
「彼が望むなら別に構わないけれど。でも彼はそういうわけにはいかないでしょ?」
泊まるわけないだろうと。
とっとと身体を清めて城に帰還しますよ。
脱衣所で血塗れの服を脱ぎ捨て素裸になった僕は浴槽の水に触れる。
水風呂なんかではなく前世のように温かい湯が浸されていた。
石鹸を手に取ると馴染みの紋章……蛇が刻まれている。製造会社が千年王国じゃないか。おまけにシャンプーやトリートメントのヘアケア用品も千年王国製じゃないか。
千年王国は僕の知識を元に色々な物を編み出し、それらを販売する商売業に手を出していた。
王族や貴族やらの金持ちにしか手を出せないような物や一般庶民に向けの品を販売をしたりと、当時は大分儲けてはいたようなのだが……。
そのような巨額の富を得ている連中が盗人とは……儲け過ぎて理想郷に破産に追い込まれたのかな。
世知辛い世の中になったものだと身体を洗う。傷が若干染みるが、どうせ数時間後に完全修復するので気にしない。
稼いでいるなら千年王国に資金援助してもらおうかなと思っていたけれど、盗人するくらい貧乏になっているとなると流石の僕も頼み辛い。
盟主であるラナイアも節約生活しているのだ。我儘を言うことは止した方がいいな。
髪や身体を洗い終えた僕は浴槽に浸かる。
あ゙ぁ……と声を漏らすと、ふと妙案が浮かぶ。
そういえば宰相の一件で王国に恩を売ったのだから、救国の礼に幾らか報酬金を貰えないだろうかと。
国の恩人なのだから凄まじい金額を頂けるのでは?
そうなれば、わざわざ犯罪組織を襲撃する必要もなくなるのでは?
何これ天才かよ。
そうしよう。後で国王にそれとなく話を振ってみよう。
最初からこうすれば良かったなと今更ながら気が付く。
勝ち確だなとご機嫌になった僕は鼻歌を歌っていると、外にいるラナイアから声が掛かる。
「着替えは置いておくわね。それと前に着ていた物は捨てた方がいい?」
「ありがとう……そうしてもらおうかな」
「それと38番。事前に謝っておくわね、ごめんなさい──」
「ん、何?」
勢いよく浴室の扉を開かされ、そこには僕を黙って見つめるラナイアがいた。
彼女は僕の顔を凝視し、小さく笑みを放った。
いや……何だよ、その勝ち誇った表情。僕の完璧な体躯を拝めてご機嫌ですってか? やれやれ……魅了させた僕にも責任はあるかもしれないけれど、異性の入浴中を覗くのは乙女として宜しくない行動だよね。
「それが貴方の素顔なのね」
「ん、素顔……? あ──」
うわぁ、やったわ……コイツ……!
僕は素顔をラナイアに晒した、いや強引に拝まれたことを自覚した。
千年王国への警戒心も薄れて油断していた僕は、普段のように仮面を外して風呂に入っていた。というか仮面を嵌めたまま風呂入る奴なんていないだろと。
「やってくれたね……」
「案外可愛い顔をしているのね」
こんな粗末な顔バレ展開誰も望んでないよ。
これでもう「何故貴方が……!」と驚愕させること出来なくなったじゃん。
まさか……コイツがこんな強行突破をしてくるとは思わなんだ。流石伊達に盟主をやっているだけある。
もしや──家に誘い風呂に誘導させたのは、僕の素顔を拝見するための策略だった? となれば僕は最初からラナイアに嵌められていたということになる。
同盟の話も僕の警戒心を緩めるためなのではと。本当に狡い真似をしやがる……!
ただまぁ謎の道化師ことレイの正体が3組の皆様方に知られたわけではない。
判明したのはラナイア一人のみ。
深傷を負わなかっただけマシだと前向きに捉えよう。
さて僕の正体を公開しないでくれとお願い→土下座かな……。実力行使は通用しないので却下。
「まだ浸かっていてもいいのよ?」
「十分満喫させてもらったよ。ありがとう」
長居するわけにもいかないのでラナイアから手渡されたタオルを借りて身体を拭く。
そんな素裸の僕を無言で凝視する
「もう目的は達成したんでしょ? 出てってくれないかな」
無言で僕の全身を舐め回すような視線で眺めていたラナイアは、僕の背中を撫でるように触れる。
「こんなに……傷だらけになって……」
負傷し刻まれた傷に触れ憐れむように囁く。
僕に成果はなく、ただ傷を負っただけの結果となった。
同情するなら金をくれと言いたいが、そんな野暮なことはしない。
「名誉の傷さ。何も気にすることはない」
そう臭い台詞を吐いてカッコつける。
別に強がりではない。再生能力に自慢のある僕は、どうせ直ぐに傷は癒えるだろうし。
「あの子は戻ったから別に大丈夫よ」
ラナイアは着替えを終えて仮面を付けようとする僕に一声掛ける。
アヴェランスさんは侍女の業務もあるだろうし一足先に帰宅したようだ。
ラナイアだけならもういいやと仮面を装着せず部屋に戻ると──そこには風呂上がりの素顔を曝け出した僕を凝視するアヴェランスさんがいた。
「いるじゃん! 何が戻ったから大丈夫だよ!」
「フラン」
「彼はサヤ・ヒラサカ様。召喚者の一人で間違いありません」
うわぁ、またやったわ……この卑怯者……!
二度目とか確信犯じゃないか……! 同盟を出汁にして僕を誘き寄せただけじゃん……!
だが話が違うと激昂するわけにはいかない。僕がラナイアとアヴェランスさんを打ち負かせるわけないし、一応言質の取った同盟を反故にされては困る。
「またやってくれたね……」
「名前も可愛いのね。サヤ?」
もう魔女じゃなくて悪女だよ。
名前と素顔を掌握したラナイアは、僕を見て不敵に微笑んだ。
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