第42話 塔の主

 ――どこぞの『大悪魔』に『バベルの塔』と呼称された塔の主は、これまた美しい天使であった。その容姿は、黄金の如きの輝きを秘めた金髪の絶世の美女。

 まさに神に設計されたかのような、その天使は整った顔に憂いの表情を浮かべていた。



 天使が頭を悩ましているのは、二つの事象について。その内の一つは、彼女が『主』によって直々に託された使命。

 その一言一句が、当時のままに再生される。



『――何れ人間が生きるこの地に、人の身より堕落せし悪魔共の巣窟が現れる。その時に人間達が滅ぼされることがないように、この場所で悪魔共が来るのを待て。

 来るべき時に備えて、お前を含めて七人・・の使者を遣わす。協力するのも、単独で戦うのも自由だ。

 しかし、これだけは忘れるな。その悪魔だけは絶対に――』



 『主』の言葉を思い返している間に、塔全体を揺らす程の大きな衝撃を感じ、天使の意識は現実に戻ってきた。



「この揺れは……!」



 天使の頭には、もう一つの悩み事が思い浮かぶ。

 それはまさに現在進行形の出来事であり、この揺れを起こした原因でもある。





 『主』の力によって創造された、天にまで届かんとする塔の形をした『ダンジョン』。今まで塔に侵入しようとしてくる人間は何人もいたが、その都度痛めつけて追い返していけば、それもなくなり変わらぬ人の営みを眺める日々を送っていた。



 この付近で『同じ役割』を与えられた天使の同胞達も、似たような感じだっただろう。今まで顔を合わせたことがないが、それも不用意に『ダンジョン』の外に出歩けば、徒に混乱をまき散らすことを理解しているからだ。



 『主』によって創られ、これまでほぼ沈黙を保っていた塔の主である天使。彼女は一ヶ月以上も前に、『主』が言っていた『敵』が現れたことを察知した。



 しかし、天使を含めた『使者』達は始めは沈黙を貫いた。これは使命を放棄した訳でもなく、『悪魔』が本当に倒すべき悪なのかを見極める為であった。



 その結果。『主』の恩恵を強く受けた少女が囚われ、多くの人間の命が散ってしまった。



 『主』の言う通りに、『悪魔』は紛うことなき『敵』であった。他の『使者』達は動く様子を見せないが、それは気にせず天使は配下達に命令を下し、『悪魔の巣窟』へ侵攻しようしたのだが。



 逆に周囲を我が物顔で闊歩していた悪魔達と、塔の入り口付近で戦闘に発展してしまった。



 配下の天使達が振るう神聖属性を宿した槍に魔法。それらは確実に悪魔達に効いており、道を切り開こうとしていた。



 この程度の敵であれば、『主』から任せられた使命を果たすことができる。

 そう思っていた。



 他の『使者』達が未だに動こうとしないのは不可解ではあったが、天使はそのまま『悪魔の巣窟』を滅ぼすつもりだった。

 けれど、戦闘が発生してから三十分も経たない内に、天使の想定は崩れた。



 一匹の『鴉』から、人間の少女に酷似した姿に変化した『悪魔』。それが現れてから、一気に形勢が逆転した。



 天使は外の情勢を見守る中、この『悪魔』のことは当然既知である。



 『悪魔』らしく悪意の塊かと思えば、完全に敵対した人間でなければ殺さないように最低限の配慮はしている。

 実にちぐはぐな存在。まるで見た目相応の童女を見ているようだった。

 そのせいで見定めるのに時間がかかってしまったが、やはり見過ごすことができず、殺すまではいかなくとも封印か天使自ら教育・・をする必要がある。



 下級天使ではその『悪魔』の相手にはならない。それは十分承知していた。

 だから、わざと『ダンジョン』の内部に招き、取り巻きの悪魔を削り、『悪魔』自身の体力や魔力も消耗させる。

 そういう作戦であった。



 幸い、その作戦が取れる程の空間やリソースも、この『ダンジョン』にはある。時間はかかるだろうが、問題はない。

 そのはずであったが、何か異変があったようだ。



 これまで一度たりとも、どのような災害が発生しても揺らいだことのない『ダンジョン』。

 それが大きく揺れた。その事実は天使にとてつもない動揺を齎した。



 本来壊れることがないはずの『ダンジョン』の階層が一部崩れる感覚とともに、あの『悪魔』以上に強大で邪悪な気配に満ちた魔力の持ち主が現れた。



「何が起こっているのですか……!?」



 自分以外に誰もいない塔の最上階で、天使は動揺を露わにする。

 全くの想定外だ。天使が実行していた作戦は、『悪魔』とそれよりも圧倒的に力の劣る取り巻き達を対象としたもの。

 これだけの規格外の相手を想定したものではない。



「……落ち着きなさい、私。想定外ではあるけど、作戦が破綻した訳ではない。予定通り、疲弊した所で術者の方の『悪魔』を狙えば、十分に勝機はある」



 自分に言い聞かせるように、独り言を呟く天使。



 しかし現実はどこまでも非情で、最悪の事態を更新する。



 強大な魔力の持ち主が、迎撃に出ていた天使達を巻き込みながら、塔の外に出たと思ったら。

 一直線に、塔の最上階を目指して飛翔してきた。



 そして対抗策を練る間もなく、『ソレ』は塔の壁を破壊して、天使の前に姿を現した。



 七つの首を持つ異形の竜。十四個の目が、召喚者の敵である天使を見下ろしている。

 破壊の象徴である『ソレ』に、天使は動揺を隠せない。



「あの気配は邪竜のものでしたか……!? では、この邪竜の呼び出したのは……!」

「――はい! リリスです!」



 異形の竜の背中から、この場に似つかわしくない元気な少女の声が響きわたる。

 天使が声の主を視界に収める前に、その少女は『ソレ』の背中から飛び降りた。



 瓦礫の破片が散らばる床に降り立つのは、少女の姿をした『悪魔』。自らをリリスと名乗った『悪魔』は、何か制限に接触したのか、姿が消えゆく異形の竜に「ご苦労様」と一言告げると、天使の方に向き直る。



「――それでは改めて、綺麗な天使さん。『悪魔城』の主、『大悪魔』リリスと申します。

 せっかくの機会ですので、楽しい時間を過ごしましょう?」



 ――『大悪魔』はそう楽しげに嗤いながら、何の躊躇いもなく魔法を飛ばしてきた。

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