第20話 聖女は悪魔の手に堕ちる

 ――『聖女』の二つ名を与えられる程の高位探索者の一角である神崎玲香は、目の前の現実を直視したくなかった。



 特別警戒『ダンジョン』、仮称『古城』。そこから現れた未確認モンスターの集団との戦闘を終えて、急ピッチで監視網を構成する人員の交代が行なわれた。

 その場で唯一の高位探索者である玲香は、結界の維持がある為魔力回復ポーションを飲み、数時間体を休めた上で『古城』の監視に戻ったのだが――。



 ――『古城』周辺に一匹の『鴉』が現れた。この『鴉』をモンスターの一種だと判断した玲香は、その場にいた全ての探索者達に呼びかけて臨時の討伐戦が開始された。

 しかし彼女は、判断を誤ってしまった。



 『鴉』は召喚魔法と思わしきものを行使。召喚されたのは、これまた未確認のモンスターが出現し、戦闘に突入。玲香の尽力で何とか拮抗していた戦線は崩壊してしまった。



 多くの探索者達が己の持ち場を離れてしまい、いくつもの魔法を併用して魔力を半分近く消費した玲香は、立ち眩みでその場で動きを止めた。止めてしまった。



 それは命をかけた戦場において、致命的な隙になる。開戦前後から目をつけられていた玲香に目掛けて、『鴉』が――死の象徴が飛翔してくる。



 助けに入ろうとした探索者も、二体のモンスターに足止めをされて玲香に近づくことが叶わない。



 ――玲香は、目の前の光景を現実だと思いたくなかった。



 自分の浅慮が招いた事態。高位探索者としての傲慢、矜持。自分が指揮を取れば、モンスターの一体や二体程度など簡単に討ち取れる。

 そう思っていた。そう勘違いしていた。



 探索者はどれだけ死亡者が出たのだろうか。あの未確認のモンスターは、以前のように街の方に出ていないだろうか。

 そんな考えも過ったが、やはり『聖女』という二つ名がある玲香といえど、まだ彼女は高校生に過ぎない。



 その彼女が己に迫りくる『鴉』の姿を見て、今までの人生が走馬灯のように想起され、彼女の心の中に到来したのは一つの思い。



 死にたくない。生きている者として、まだ年若き少女として、当然の感情だった。



 しかし玲香の思いも知らず、『鴉』は突如その姿を変える。黒髪が綺麗で、愛らしい容姿の小さな少女だった。

 驚く間もなく、その少女は玲香の体に抱きついてくる。

 まるで年の離れた姉に甘えるような抱きつき加減であった。そっと少女は玲香の耳元に顔を寄せると、脳髄がとろけるような声で囁く。



「はーい、ゲームオーバー。私達の勝ちだね。負けたからには覚悟をしているよね?」



 そう言い終わった後、黒髪の少女はその顔を玲香の正面に持ってくる。意地の悪そうな笑みを浮かべ、その黒曜石のような瞳に、玲香の意識は吸い込まれそうになる。



「あ……」

「うーん。結界を解除してもらうだけだったら、この場で済ませることもできるけど、教えてもらいたいことがたくさんあるからね。

 君には少し不自由な思いをさせることになるけど、先に謝っておくよ。ごめんね。ちょっとだけ眠ってくれるかな?」

「い、いや……私はまだ――むぐっ!?」



 玲香の背中に回されていた少女の片手には、いつの間にか白い布が握られていて、それが玲香の口と鼻を優しく覆った。

 過剰な魔力消耗からの疲労。極度の死への恐怖から体に上手く力が入らなかった玲香は、自分の顔に押しつけられた布から漂う甘い匂いを嗅いでしまう。



「むぅ……ん」

「おやすみなさい」



 必死に意識を保とうとした玲香ではあったが、突如やってきた眠気には逆らうことはできず、気絶してしまった。





「すう……すう……」



 意識を失ってしまったシスター服姿の少女の体は倒れそうになるのを、高い身体能力を駆使して自分の足で地面に降りる。

 その間、彼女の顔には麻酔効果のある白布は押しつけたままだ。白布越しに、彼女の吐息の温もりが感じられた。



(いやー、まさかアイテムボックスの中で肥やしになっていたアイテムが役に立つとは思わなかった)



 『モンスター・ハウス』内では、時間をかけて対象一人を気絶状態にできるという微妙系なアイテムであり、今まで存在を忘れていたのだが、世の中分からないものである。



 しかし術者であるはずの少女が意識を失っても、結界は健在だ。原因は後でゆっくりと探るとして、私は今の自分よりも身長の高い少女を抱えたまま、忠実な従者の名を呼ぶ。



「――アメリア」

「はい、お側に」



 一瞬で霧が立ち込めたと思う間もなく、それは人型に収束した。金髪赤目のメイド、『門番』の一人であるアメリア・ヴァンピールだ。



「この子を第十一階層の方に運んでもらえないか? もちろん無駄な抵抗ができないように拘束しといて」

「かしこまりました」

「じゃあ、頼んだよ」



 私からシスター服姿の少女を受け取り、お姫様抱っこのように抱えるアメリア。背中に蝙蝠のような羽を生やすと、そのまま『悪魔城』の方に飛び去っていった。



 それを見送ると、召喚していた『地獄の防人』を魔力に還元。呆然とすることしかできなかった探索者達に向かって、私は忠告した。



「――どうも、人間の皆々様。あの少女の命が惜しければ、我らが居城には決して手を出されないように。

 こちらの用が済めば、少女は解放しますので。では、ごきげんよう」



 そう言葉を言い残すと、私は再び体を鴉に変化させ、アメリアの後を追いかけた。



――後書き――

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