第13話 私は誰だ?
「私って、一体何者なんだ……?」
黒猫の姿に変化した私は数日前まで勤めていた会社に忍び込み、自分の不在がどのように処理されているのか調べにきた。
しかし結果は芳しくなく、私は戻ってきた屋上で途方に暮れていた。
数日前までは確かに存在していた私――『俺』の痕跡は欠片も確認できなかった。これでは本当にたちの悪い夢を見ているようであり、自分だけ別の世界に迷い込んでしまった錯覚に陥ってしまう。
人間であった頃の自分の記憶が嘘のもので、『悪魔』としてのリリスが本当の自分なのだろうか。
いや、そんなはずはない。
私は絶対に人間であった。だがその確証を求めて街を飛び回っても、突きつけられるのは記憶にはない異常の数々。
それらは私こそが異物だと言わんばかりに、その存在感を主張してきた。
その途中で街中を歩く人間達の言葉に耳を傾けたり、街頭テレビに映し出されるニュース番組から、自分以外に起きた異変の情報を少しは入手できた。
――ある日突然世界に出現し、人々に富や希望、そして災厄を振り撒く迷宮、『ダンジョン』。
その『ダンジョン』から己の命をチップに、名誉と一攫千金を夢見て挑まんとする者達、『探索者』。
『ダンジョン』から溢れ出すモンスターと人間達が対等以上に渡り合う為に、天から与えられし力、魔法。
その全てが私の知識や記憶に存在しないものであり、ますますここが異世界に思えてきてしまう。
いや事実完全な異世界、もしくは並行世界というべきやつか。
この世界では当然のように受け入れられている『ダンジョン』が発生したのは、数十年も昔。文字通り、私が記憶している歴史からして違うのだ。
それを裏づけるように今まで見てきたのは、間違いなく現実の光景。探索者と呼ばれる人間達と『悪魔』達との血が流れる程の死闘。記憶にない違法建築物の数々――恐らくそれらが『ダンジョン』と呼ばれるものだろう。
そして我が拠点『悪魔城』も『ダンジョン』の一つと認識されていた。しかも特別警戒『ダンジョン』という、危険なものとして。
それならば、あの異常な監視体制も納得できる。そこの住人としては迷惑極まりないが。
心に絶望が到来する最中、私は当初の目的を思い出した。家族の無事を確認する。
自分を産んで育ててくれた両親。血を分けた妹。
この世界が元いた世界に似ている並行世界という可能性が高くなったが、家族がいて私のことを知っていてくれれば、それは何よりの証明になるだろう。
おかしくなったのは自分ではなく、世界の方であると。
念の為に意識を『地獄の門・開門』で召喚した『悪魔』達と同調させる。
人間達――探索者達が奮戦したのか、既に呼び出した『悪魔』の数は半分以下になっていた。負傷しているものの、犠牲者がいる様子も見られない。
数の差に押されて、決着はもうまもなく付くだろうが、疲弊具合から考えるにそのままの勢いで『悪魔城』に突入してくる暴挙には出ないはず。
特別警戒『ダンジョン』に指定されるぐらいだ。万が一侵攻される時がきても、その予兆は掴めるだろう。
もしもの場合でも、セフィロトを始めとした『門番』にも戦闘に参加してもらうので問題ない。
よって、現状『悪魔城』の方は大丈夫。という結論に落ち着いた。帰還する時のことは、その時に考えよう。
休憩は終わりだ。次の目的地は実家。私の家族が住んでいて、私が本当に帰るべき場所である。
これで家族ですら私を知らないのであれば、私の居場所は『悪魔城』だけになってしまう。
もしもそうなったら、いっそのこと本気で恐怖の大魔王でも目指してみようかな?
もちろん、冗談に決まっているが。
■
特別警戒『ダンジョン』の一つ、仮称『古城』。日本で一番最新の『ダンジョン』。初日に確認された未確認のモンスターが市街に出るような事態を未然に防ぐ為に、政府と『ギルド』の協力によって厳重な監視体制を敷かれていた。
その監視体制の一翼を担うのは、『ギルド』所属の高位探索者の一人、『聖女』と呼ばれる少女。
彼女はその持てる力の大半を用いて、『古城』周辺一帯に特別な結界を構築した。その結界に込められた効果は二つ。
一つは結界内の者が魔法か何かによる遠隔手段で、結界外を視認することを妨害する効果。
もう一つは結界内の者が結界外に魔法的な手段で転移する方法を阻害する効果。
本来であれば少女のような高位探索者は、他の『ダンジョン』の攻略に引っ張りだこで遊ばしておく余裕はない。
しかしその高位探索者の一人を期間未定で、一つの『ダンジョン』の監視に動員するとは前代未聞の事態であった。
確かに初日こそ少なくない犠牲が一般人にも出してしまったが、同じような例は過去にもある。
『古城』だけを特別視する理由にはならない。これが時の権力者が大好きな不老不死の秘薬や、世界を滅ぼしかねない怪物が封印されているというのであれば、話は別なのだが。
「政府も『ギルド』の上の連中も何を考えているのかしら?」
一人でそう呟くシスター服姿の少女こそ、『聖女』の二つ名を持つ高位探索者である神崎玲香。高校生活と高位探索者の二足の草鞋は中々大変ではあるが、充実した日々を送っている。
ちなみにこの件では、玲香は独自の判断で動くことを許可されていて、全体の指揮系統には組み込まれていない。
逆に言えば、緊急事態で他の探索者達に対する命令権を持っていないということになるが。
「明らかに何かを隠しているわね……確実に」
いくら高位の探索者である玲香であっても、所属している組織の情報や動向を全て把握できている訳ではない。
きな臭さは初めから感じていた。そしてその違和感は、ある時を境に確信に変わった。
必要性を感じなかった二種の結界。だが、そのどちらにも反応があった。
確実に『古城』には、何かが潜んでいる。最悪の場合、全ての探索者が挑んでも勝てないような何かが。
「やぶ蛇にならないといいけど……」
玲香の心配も虚しく、『古城』には動きがあり数十体のモンスターが出現。そのどれもが新種であり、玲香は既に展開している結界にモンスター達を対象に弱体化の呪いを付与。
他の探索者達のサポートに回りつつ、自身も攻撃に参加しようとした時。結界に反応があった。
高位探索者として培った直感に従い、慌てて視線を上空に向けた玲香が見たものは、一匹の鴉。
その一見何の変哲もなさそうな鴉を視認した瞬間、玲香は傍にいた探索者を呼びつけて外部に連絡を試みた。
「何よ……あれ!? 今出てきたモンスター達と比べ物にならないぐらいに化け物じゃない!? 至急、外部の探索者達に知らせて! あの鴉は絶対に市街地に出さないで!?」
しかしそんな玲香の思いも鴉には届くことなく、尋常ではない速度で『古城』から離脱していき、モンスター達との戦闘による混乱のせいでその連絡が共有されたのは実に数時間も後であった。
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