手を繋いで歩いてくれた君に、笑顔でさよならを

雨宮 隅

第1話 やりたくなければ、やらなくていいんです。

 不登校なんて、今じゃ珍しくない。

 行きたくなければ行かなくていい、逃げていい。

 大人たちは優しく言ってくれる。

 でもそれは元のレールに戻ることを期待して、当然戻れると思っているからだ。


 僕には戻るのは無理だ。


 ただの不登校だけならよかったのに。


 僕は生まれつき怖がりで、いつも不安にさいなまれている。

 学校では常に緊張して、ずっと気を張っていた。

 別にいじめなんてなくて、普通の人から見たら何でもないことで、勝手に自ら傷ついて引きこもった。


 不安障害、強迫性きょうはくせい障害。

 2つの病に支配され、十代にして、僕の人生は終わっていた。


                  *


「人生が終わっているなら、むしろ気楽じゃないですか」


 は僕のベッドに寝転び、僕の蔵書を読みながら言う。


「欲しい物を買って、好きな事を楽しむ。食べたい物を食べて、寝たいときに寝る」


 彼女は当たり前で、実は誰もがいつも忘れている、自明の理を説く。


「やりたくなければ、やらなくていい。逃げたいなら、逃げればいい。司くんはもう十分辛い目にって、頑張っているんですから」


「……それ聞いた覚えがある。何の言葉だったっけ」

「スポ根アニメのOPオープニングですね。第何期かは忘れましたが」


 でもそれは重要じゃありません。

 調べる必要はありませんよ。


「……そうだね」


 僕は何でも不安に思う。

 スマホもPCパソコンも親から与えられているけど、ほぼ使っていない。

 画面からあふれ出る雑多な情報が、両目から脳内に流れ込んでパニックになる。

 全く予測できない、次々と現れる表示が、僕のもろい精神を疲弊させる。


 僕は弱い、弱すぎる。



「でも分かっているんです」


 本をぱたんと畳み、むくりと起き上がって姿勢を正し、彼女は僕を正面から真剣に見つめてくる。


「あなたは強い人」


 本当は強い人。


「私は分かっていますから」


 そう言い切る両の目には、一切の曇りと迷いがない。

 僕のことを心の底から信頼し、尊重してくれる二宮静音にのみやしずねは、優しく温かい幼馴染だ。


                  *


「そろそろ勉強、始めますか?」

「そうするよ」

「じゃあ、帰りますね。頑張ってください」

「うん」


 静音は手を軽く振って、扉が開けっ放しの僕の部屋から出て行った。


 自室の扉を閉めないのは特に理由はない。

 学校に行けないけど元気に過ごしていると、両親にアピールするのが一応理由だ。

 でも二人とも、「学校に行かないくらい、たいしたことじゃないよ」と心から思っている。


 心の広い家族と、優しくて可愛い幼馴染に囲まれて、僕は幸せ者だ。

 その幸運を素直に感じられない自分の心が一番厄介だ。


                    *


 勉強は好きだ。

 一人で黙々とこなす作業は自分に合っていて、日々こなしていると脳が着実に育っていくのを感じる。

 心も同じくらいの速度でアップデートできたらいいのに、そちらの成長は遅々として進まない。


 静音は一歳年上で受験生だけど、もう推薦で大学が決まっていて、自由通学になってからは毎日僕の部屋に来てくれる。

 申し訳ない気持ちはあるけど、素直に嬉しいし本人も楽しんでいるみたいだ。


 僕と彼女は、趣味も読書と気が合っていて、更に嬉しい。

 僕はライトノベル専門で、彼女は純文学中心だけど、僕の好きな作品もいろいろ読んで、真摯しんしな感想をぶつけてくれる。

 ラノベだからって軽視しないで、誠実に僕の「好き」と向き合ってくれる。


 そんな「好き」に忠実で全力で、一生懸命な静音を前にすると、僕も好きで、好きという理由だけで生きていていいんだ、という気持ちが湧いてくる。


……もしかして、本当に、それでいいのかな?




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