第4話

「すみません。この野菜、ラベルの生産者名が『高坂博』となっていますが、あちらの『産地直送野菜』コーナーに貼られている生産者の写真が女性です。あの女性が高坂博さん、ということでしょうか?」


 平日の夜、半額になっている産地直送トマトのパックをサービスカウンターにいる店員に手渡す。


 その人は面倒くさそうな顔をしながらペンを持ち、『子』をラベルに書き足して『高坂博子』として、自分が渡したトマトのパックを無言で突き返してくる。


「あぁ……高坂博子さん……なるほど。印刷ミスですか。失礼しました」


 言葉にしてくれない説明を読み取り、頭を下げてトマトを受け取り、サービスカウンターを後にする。


 再び野菜コーナーを通りがかったところで、杏と鉢合わせる。


「おっ、真締さんじゃん。やっほ」


「こんばんは。相変わらず買い物に来るのが遅いようですね。補導されても知りませんよ?」


「補導されても知らないって言ってくれる時点で補導されるリスクを教えてくれてるんだよね」


「社会を構成する一員として最低限の振る舞いです」


 杏が「真締さんは真面目だなぁ」と笑いながら言った。


「そういえばさ、真締さんサービスカウンターなんて行って何してたの?」


 杏の質問に、ちょうど目の前にあった柔和な笑みを浮かべた老婆の写真を指さしながら答える。


「こちらの女性が作られたトマトですがラベルが高坂博という名前になっていたんです。生産者の顔が掲示されているものの、それが明らかに女性でしたのでどういうことかと聞いていました」


「ふんふん。で、どうだったの?」


「あの女性は高坂博子という方のようです。プリントミスで子が抜けていたらしく、サービスカウンターの方が書き加えてくださいました」


「そっ……それは神対応だね……」


 杏が苦笑いをしながら後ずさり、高坂博子を指差しながら「ちなみに」と言う。


「この人は高坂博子じゃなくて甲斐かい昌子まさこだよ。ほら、右下に小さく書いてある」


 杏の指差したところには確かに小さく『甲斐昌子』と書かれていた。


「ほっ、本当ですね……失礼しました……」


「や、私に謝られても」


「では、サービスカウンターの方に――」


「待って待って! これ以上変人要素を重ねることないって!」


「む……それもそうですね」


「あ、一応変人って自覚はあるんだ」


「細かいところにこだわり過ぎとは、よく言われます」


「ま、そうだね」


 杏は深くは言わずにかごを持ったまま隣を歩いてくる。


「で、真締さん。今日は何を割り勘する?」


「何もしません。なぜ割り勘する前提なんですか」


「いいじゃん。何かない? 一人で食べるには多いけどちょっとだけ気になってたものとかさ」


「ではカレールーを割り勘しましょう。保存も効くし使い道があります。ちょうど半分で分けられるので割り勘後の処理も楽です」


「カレーって大量に作るものだよね? 半分だけ使うことある?」


「はい。私は一気に作りますね。どうせなら普段は買わないルーを試してみようかと。半分なら口に合わなくても食べ切れますから」


「うーん……なーんか面白くないなぁ」


「エンタメを求めるなら映画館かラウンドワンにでも行ったらどうでしょう?」


「一緒に行ってくれるの?」


「行きませんよ」


 なんで自分が一緒にラウンドワンに行かないといけないのか。


 杏は「じゃ、スーパーだ」と言って微笑んだ。


 そんな話をして通りがかったのは惣菜のコーナー。レーズンバターとツナサラダのサンドイッチのセットが半額になっていた。店舗オリジナルのツナサラダが美味しく、よく買っている。


「あ、これ美味しいんだよね。私レーズン苦手だけどツナサラダ目当てで買ってるんだ」


「レーズンの方はどうしてるんですか?」


「鼻を摘んで食べてる」


「そこまでしてツナサラダのサンドが食べたいんですか……」


「ツナサラダのサンドイッチだけ単品にして欲しいくらいなんだけどね」


「そうですか。ちなみに私はレーズンは食べられますし、このサンドイッチはよく買ってます」


 割り勘チャンス、とばかりに顔をあげた杏が上目遣いで恐る恐る自分を見てきた。


「……一応確認するけど、どっちが好き?」


 気を遣って『レーズン』と言うべき場面だろうが嘘はつけない。


「……強いて言うならツナです」


「だよねー! はぁ……」


「……ですが、割り勘で買ってレーズンだけが格安で手に入るのも悪くありません」


「落としてから上げてきた……!」


「どうでしょうか? 割り勘の上、レーズンとツナサラダで分ける、という方法を提案します」


 杏は殿様のように「うむ」と言って自身のカゴに放り込む。


「じゃ、会計は後で。いつものアプリでやろっか。私が買っておくよ」


「そんなに警戒しなくてもこっそりツナサラダを食べたりしませんよ」


「バレてた……」


 杏は自分から逃げるようにセルフレジへ一目散に向かっていった。


 そこを警戒できるなら、もっと警戒してほしいところも他にあるのだが。


 ◆


 がらんとしたスーパーのイートインコーナーの一角に杏と2人で座り、サンドイッチを食べることになった。


「198円のサンドイッチが半額で99円。それを割るので一人当たり49.5円です。前回、桃を割り勘した際に私が0.5円を負担しましたので今回は北沢さんが0.5円を負担すべきと推察します」


「うん。それでいいよ。49円送金してもらえる?」


「分かりました」


 49円を送金すると同時に杏が包を破ってレーズンのサンドイッチを渡してきた。


「ありがとうございます」


「ん。こちらこそ」


 ハンカチを敷き、その上にサンドイッチを置く。買い物袋からサンドイッチ用の飲み物として買っていたカフェラテを取り出すと杏が「あ」と言って指差してきた。


「社会人の財力を見せつけられてる」


「このくらい別に……」


 じーっと自分のカフェラテを杏が見てくる。


「……一口飲みますか?」


 杏が何度もコクコクと頷く。


「ちなみに北沢さんの一口はどのくらいでしょうか?」


「や、そりゃ一口は一口だよ」


「『袋に詰め放題』と言われた時の対応として、袋の上まで盛る人、結び目ができる程度に入れる人、等様々です。一口も同様に人によって幅があるものと考えます」


「うーん……ま、ちょっとだよ」


 渋々受け入れてストローの飲み口を向けると、前のめりになった杏が口をつける。


 白いストローが僅かに茶色に変色したので、杏の『一口』はかなり少ない方らしい。


 液体が降りた後も杏はストローを咥えたまま上目遣いでこちらを見てくる。


「……もう一口どうぞ」


「悪いね」


 杏がズズッとカフェラテをすする。今度は最初より長めに吸ったらしく、ストローが茶色い時間が長かった。


 口を離したところで警察らしき人が近づいてきた。


「キミ、高校生? こんな時間に何してるの?」


 警察は自分と杏を交互に見て尋ねてくる。


「買い物です。この人は従兄弟で、私は両親が海外に転勤になって一人で暮らしてるから面倒を見てくれているんです」


「ふぅん……そうですか……」


 少しだけ怪しむ様子で自分を見てくる。嘘をつくことは苦手なため、無言で会釈だけする。


「従兄弟ですかぁ……」


「や、本当ですよ。私とこの人のお母さんが姉妹で、お祖母ちゃんの名前は甲斐昌子。私のお母さんが北沢翔子で、この人のお母さんが高坂博子」


「なるほど……?」


 明らかに過剰な新しい情報を急に並べられた警察が少し戸惑いながら自分を見てくる。


「はっ……はい……私の母は高坂博子といいます。私は真締……あっ……」


 自分の姓と母親の姓がズレてしまった。これは蛇足だった。自分の名前は言わなくても良かったのに。


「苗字、違うんですね」


 警察官もちょっとだけ疑いが強まる。


「小さい頃に離婚してるんだ。で、再婚して今は高坂さんになってる」


 杏のフォローで事なきを得た。警察もあまり個別の事情には突っ込めないらしい。


「そういうことですか……まぁ、何にしても遅くまで出歩かないようにしてくださいね」


 警察は帽子をかぶり直してフードコートから去っていく。


「けっ……けけ……警察に嘘を……」


 手を震わせながらそう言うと杏がケラケラと笑う。


「あぁ、あの人警察じゃないから」


「そうなんですか?」


「うん。この前もスーパーの前で話しかけられたんだよね。警察手帳持ってる?って聞いたらはぐらかされたから、警察のコスプレをしてこうやって歩き回ってる変な人だよ、多分」


「なるほど……変な人もいるものですね」


「やたらと生産者の顔と名前を気にする人とかね」


「わっ、私はただ細かいところが気になるだけで! 身分を偽って誰かを騙そうとは思いません!」


 杏は安心した様子で笑いながら頬杖をつき「だよね」と言う。


「真締さんのこと、疑ってないよ。警戒もしてない」


 ニコッと笑う杏の表情は信頼している人に向けるべきもので、かつてそんな表情を向けてくれた人は数えるほどしかいない。だから、杏が本心でそう言っていることが分かった。


「そっ……それとこれは別です」


「だってさ……真締さん、真面目すぎて嘘つけないでしょ? さっきだってお母さんの名前と自分の名前がズレちゃって……ぷっ……ふふっ……」


「真面目な真締ですから、私は」


 思い出し笑いを始める杏に冷ややかな視線を向けながら、レーズンのサンドイッチをモシャモシャと食べるのだった。

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