第3話

 夜間のためコンビニのイートインスペースは閉鎖済。


 ケーキを買ったはいいが、食べる場所に困ってしまった。冬はまだ鳴りを潜めているとはいえ、外は少し肌寒い。


「北沢さん、どこでケーキを食べましょうか」


「うちくる?」


「行きません。ご両親もおられないのでしょう?」


「ん。いない」


「ではリスクです。いかがわしいことが部屋の中で起こったと嘘をでっちあげられても、私にはそれが嘘であると証明する術がありません」


「ま、確かに。それは困るよね。ビジンツボネだ、ビジンツボネ」


美人局つつもたせのことですか?」


「あ、うん。それそれ。んー……あ、この裏って住宅展示場だよね? 休憩スペースにテーブルもあった気がする。そっちに行こ」


 杏は読み違えが恥ずかしかったのか、話題を急に変えた。


「ではそこにしましょう。監視カメラもあるはずです」


「とことん私を信用してないね……」


 苦笑いをしながら杏が隣を歩く。


「北沢さんももっと私を警戒すべきです。こんな時間に女子高生を連れ回す大人なんてまともな人ではないですから」


「って、自覚もしてるし真面目なのにそういうことしちゃってるんだよね」


「それを上回るだけの理由があるからです」


 杏は俯きがちに笑いながら「変なの」と言った。


 明かりの落ちたモデルハウスの間を歩き、住宅展示場の中心部へ到着。夜間でも街灯はついているし、モデルハウスもメーカーによって消灯や常夜灯とパターンが異なっている。


 まるで本当に住宅街にいるかのような感覚になる。


 休憩スペースを兼ねた広場には丸テーブルがいくつか並べられていて、その一つに二人で向かい合うように座った。


「あ、割り勘だよね。いくら?」


 自分がテーブルにケーキを置くと同時に杏が尋ねてくる。


「これは私の奢りです」


「や、いいっていいって」


 杏が両手を振って遠慮する。


「しかし……誕生日なのでしょう?」


「そうだけど……割り勘だよ。逆に私に誕生日に奢られたい?」


「いえ。全く。なぜ北沢さんに奢られないといけないのでしょうか?」


「その『北沢さん』を『真締さん』に置き換えてみなよ」


「む……確かにそうですね。では割り勘にしましょう。298円でしたから、ひとり頭149円です」


 そう言うと杏はスマートフォンを操作し始める。


「ん……送金……完了!」


 自分のスマートフォンに149円が着金した通知が出てくる。


「確かに確認しました。では食べましょう。皿は……私が蓋の方を使います。食べやすい方をどうぞ」


 被せるタイプの透明の蓋をひっくり返し、そこにショートケーキを移動させ、チョコケーキだけ残った皿を杏へ渡す。


「ありがと。ボトルシップみたいだね、真締さんのケーキ」


 透明な壁に覆われたケーキは、酒瓶の中で航海を続けるボトルシップのようにも見えた。独特な例えについ口元が綻ぶ。


「本当ですね」


「あ、真締さんが笑った」


「そりゃ笑いますとも。ただ真面目なだけですから」


「真締さんだねぇ……」


「えぇ、真面目です。では、いただきます」


 2人で手を合わせ、各々のケーキにスプーンを差し込む。


「美味しいね」


「えぇ。美味しいです。この値段で提供するために何十人、いや、何百人という大人が知恵を絞っている。すごい話です」


 蓋を持ち上げ、ショートケーキを観察する。そんな自分を見て杏がふふっと吹き出し、口元を手で押さえて笑う。


「真締さん、本当にボトルシップを観てる人みたいだよ」


「北沢さん、ボトルシップの作り方はご存知ですか?」


「知らない。瓶を切って船を入れてるとか?」


「そういった作り方もありますが、一番手間がかかるのは部品を一つずつピンセットで瓶から入れて組み立てる方式です」


「わ、めんどくさそう……」


「えぇ、面倒です。ですが、このケーキにはそれと同じ、いや、それ以上の労力がかけられている」


 杏が目をパチクリとさせて固まる。少しして微笑みながら頷いた。


「……そっか。ありがと、真締さん」


「いえ、私はこのケーキの生産や流通には一切携わっておりません」


 杏は笑いながら「そっちじゃないよ」と言う。


「このケーキだって誕生日に食べるに値するものだって言ってくれてるんでしょ? 惨めな気持ちにならないように」


「あっ……ま、まぁ……そうですね」


「だから、ありがと」


 にっと笑って杏かまたケーキを食べ進める。


「それで、ご両親はいつどこへ行かれたんですか?」


 雑談がてら、両親のことを聞いてみた。


「この春先だから半年前だね。お父さんは山へ芝刈りに。お母さんは川へ洗濯に」


「桃太郎ですか?」


「私は杏。桃の親戚だね」


 杏は「どんぶらこ〜どんぶらこ〜」とふざけた雰囲気で呟く。


「桃と杏子ですか……」


「ま、冗談はさておき。2人とも海外赴任してるんだ。お父さんはインドにある現地工場の管理職、お母さんは別の会社なんだけどアメリカにある本社にいるらしいよ」


「エリートですね……」


「どうなんだろうね」


 杏は少しだけ照れくさそうにそう言った。


「お二人が同時に海外赴任になったので一人になったと?」


「ん。そういうこと。二人共、私なら大丈夫って安心して出国してったよ。悪いことはしないし、毎日学校に通うし、男も連れ込まないだろうってさ」


「そうでしょうね」


「私さ、二人を空港で見送った帰りに金髪にしたんだ。ま、彼氏はできないし学校も無遅刻無欠席だけどね」


 杏が自分の髪の毛を触りながら年齢相応のいたずらっ子のような笑みを浮かべる。


「初日からその髪色だとご両親は不安でしょうね」


「けど高校は校則が緩くて金髪もオッケーだった。収穫は、案外私は金髪が似合うってことくらいかな」


 杏はそう言って微笑む。半年前に金髪にしたきりならもっと頭頂部は黒くなっているはず。だが、頭頂部はまだ白っぽい色を保っているのでメンテナンスはこまめにしているらしい。


「なら、なんの問題もありませんね」


「わ、真締さんに肯定されちゃった。もっとないの? 『高校生たるもの、黒髪であるべきです』とかさ」


「いえ。私は特に思いません」


「そうなんだ。意外だ」


「何故ならば、絶対的な基準を設けることが難しいからです。そもそも『黒髪』の定義とはなんでしょうか? カラーコードで言えば『#000000』のみ認めるのでしょうか? 僅かに赤みが入ったらそれは黒ではない? それを人間に見極める事は出来ないでしょう。見え方は光の加減にもよります。よって、定量的にどこまでが黒髪で、そうじゃないかなんてラインを設けることはできないため、明らかにラインを超えていると思われる金髪も許容するしかないかと。基準に基づいて評価ができないので」


 呆気にとられた杏は「真締さんらしいや」と言ってケーキをつつく。


 昨日知り合った仲で『らしい』ことをどれだけ知っているのか、と言いたくなるが、それこそまた面倒くさがられることは経験則で知っているため言葉を飲み込む。


「ただ、まぁ……桃太郎を諳んじられるあなたは、少なくとも幼い頃は愛されていたんだと思いますよ」


「真締さんは?」


「私の両親も似た感じです。仕事が忙しく。桃太郎を初めて聴いたのは小学三年生の時です。こんなに血湧き肉躍るような素晴らしい物語があるのかと驚きましたよ」


「も、桃太郎で血湧き肉躍るんだ……」


「変ですか?」


「うん。変」


 杏は笑いながらケーキの最後の一口を食べきった。最後に唇の周りについたチョコクリームを取り除くために舌をぺろりと1周させる。


「ま、おめでとうの一言もないんだけどね」


「インドは今頃夕方か夜。まだ仕事をしておられるのかもしれません。アメリカは……まだ朝か昼くらいですか? ですからお母様にとって北沢さんの誕生日は始まったばかりです。これからですよ」


「……そっか。ま、期待はしてないよ。去年も誕生日、普通に忘れられてたし」


 杏は寂しそうに俯く。


「そうですか……」


「そんなわけでメッセージは随時募集中。プラットフォームは問わないよ。決済アプリからでも投稿可能だから」


「では、もし誰からもお祝いの言葉がなかったらメッセージを送ってください。私がお祝いの言葉を送ります」


「うん。真締さんが最後の砦だよ」


 杏は元気もなさそうに笑うと肩をすくめてケーキに巻かれていたラベル、皿、スプーンなどを片付け始めた。


 ◆


 翌日の夜、スーパーに行く用事もないので部屋で寝転んでいると、スマートフォンに通知が飛んできた。


『今日、買い物しない日?』


 杏からそんなメッセージが来た。


『はい。買うものがありませんので。お祝いのメッセージは来ましたか?』


『NO』


 無慈悲な二文字が見えてしまった。


 彼女に深入りするのはリスクしかないというのに、カタカタとメッセージを打ち込んでは推敲を重ねるのだった。


 ◆


 閉店時間をを目前に控えたスーパーの入口で北沢は一人で立ってスマートフォンを見ていた。


『北沢さん。お誕生日おめでとうございます。存分に祝われてください。日本国憲法に「お誕生日を祝われる権利」は規定はされていないでしょうが、同様に普遍的に誰もが持っている権利です。ご両親の帰国がいつになるか、私は存じ上げませんがこの1年も北沢さんにとって素晴らしい1年と鳴りますように』


『申し訳ございません、誤字です。鳴ります、ではなくなります、です』


「ふふっ……真締さん、真面目だなぁ」


 北沢は嬉しそうに微笑むと、一人でエコバッグを持って店内に向かっていくのだった。

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