第2話

 桃を割り勘で購入した翌日。夕方に仕事が終わり、そのまま帰宅してダラダラと過ごしていると時間は夜の10時になっていた。


 冷蔵庫を開けて牛乳パックを取り出すと、思いの外軽く、中身がなくなりかけている事が分かった。


 そして、冷蔵庫に顔を突っ込んで中を確認して予備の牛乳がないことも認識する。


「……買いに行きますか」


 自宅最寄りスーパーの営業時間は23時まで。今から行けば間に合うのだが、問題は杏の存在だ。


 今からスーパーに行くと、ちょうど昨日と同じくらいの時間に着いてしまう。


 それだとまるで、自分が杏に会うためにスーパーに行ったと思われるじゃないか。


 ……いや、そもそも杏と2日連続で鉢合わせることを想定しなければいい。想定しないので期待もしないし、会うなんて前提を置く必要もない。


 会ったとしてもそれは偶然。そういうことにしよう。


 ◆


 杏がスーパーの入口に立っている。それは想定も期待もしていなかったが予測はできたこと。


 自分の予測通り、杏がスーパーの入口に立ってスマートフォンをいじっていたのを見た瞬間に妙に心がざわついた。


 彼女はスマートフォンを見ながらも、スーパーに人が入っていくたびにちらっとその人の事を見ていたからだ。まるで誰かを探しているかのように。


 とはいえ、それが自分だという確証はない。変に意識をして誤魔化すのも変な感じがするので真正面を向いて堂々とスーパーに入店すると、後ろから腕を掴まれた。


「真締さん、やっほ」


 振り向くと、今日も相変わらず気だるそうな雰囲気の杏が手を小さくあげて挨拶をしてくる。


「えっ……えぇ。こんばんは、北沢さん」


「わっ、名前覚えててくれたんだ」


「昨日の今日ですからね」


「じゃ、私がこの時間にスーパーに来てることも覚えていた?」


「覚えてはいましたが意識はしていませんでした。本来、この時間に来るつもりはありませんでしたが牛乳を切らしてしまっていて買いに来たんです」


「いるの? この時間に牛乳なんて。もう寝るだけじゃん」


 杏がニヤリと笑って尋ねてくる。


「あっ、朝に飲むでしょう!?」


「ふーん……ま、無理矢理来る理由を作ったわけじゃないってことね」


「もちろんです」


 そう言って牛乳のある飲み物コーナーへと向かって歩き始めると、隣を杏が歩く。


「あ、そういえばさ、ケーキの2個セットが半額になってたんだ。割り勘しようよ」


「ケーキの気分ではありませんね」


「ま、そう言わずに……あっ……売り切れちゃってる……」


 牛乳の近くにあるスイーツコーナーを見た杏が肩を落とす。


「ケーキなんていつでも食べられるでしょう。また明日でいいじゃないですか。定価でもそんなに高くはないですし」


「私さ、今日が誕生日なんだよね。17歳の」


 すっからかんになった陳列コーナーを見ながら無表情でそう言う杏からは、色々な事情が滲む。しかし、誕生日も一人とはどういうことなんだろう。


「そうですか……親御さんは? お忙しいんですか?」


「うん。多分」


「多分?」


「ま、色々とね。離れて暮らしてるから。だから今日も一人」


「なっ……そ、そうなんですか!?」


「いや、いいんだよ別に。生活費は2人とも振り込んでくれるし、マンションの家賃も払ってくれてるし」


「お金とかそういう問題ではなく……」


「真締さんって真面目なんだね」


 自分の方を見て杏がふふっと笑う。


「真締ですから」


「真面目だね」


 穏やかに微笑みながら杏が呟く。だが、冗談じみたやり取りで誤魔化してはならないとも思った。


「えぇ、真締――いや、北沢さん。ケーキを買いに行きましょう」


「え? どこに?」


「コンビニはまだ空いています。ケーキがある店を探せばいい」


 一緒に行くとは言っていないが文脈的にそれが伝わっているはず。杏はしばらく下を向いて考えた後、自分の方を見てきた。


「……こんな時間に高校生を連れ回しちゃうんだ?」


 冗談めかして笑いながら杏がそう言う。


「なら自宅で待っていてください。私が買って持っていきます」


「ううん。一緒に探しに行こ」


「分かりました。では、行きましょう」


「あ、真締さん。牛乳は?」


「牛乳もケーキがあるコンビニで買えばいいです。ケーキを置いてくれているお礼にそのコンビニで買います」


「ふふっ……そうだね」


 そう言って微笑んだ杏は少し安心したようにも見えた。


 ◆


 暗くなった夜中、明らかに成人している男性の隣を制服を着た女子高生が歩いているなんて、警察に見つかったら声をかけられること間違いなしの光景だろう。


 そんな状況で思い出すのは一人でさみしく親の帰りを待っていた自分の小さい時のこと。激務な会社で働く両親は誕生日も仕事に終われ、テレビで誕生日パーティの動画を流しながら自分でろうそくに火をつけていた。


 そんな回想は「ね、真締さん」という杏の声で停止する。


「なんでしょうか?」


「なんでここまでしてくれるの? リスク爆弾の私とさ」


「……誕生日に一人で過ごすのは働いている孤独な私みたいな人間で十分ですよ。こんなに寂しいこと、ないじゃないですか。誕生日は誰かに祝ってもらうべきです」


「真締さん、真面目だなぁ」


 空を見上げて杏が笑う。「真締ですから」と言うと杏も笑いながら「真面目ですなぁ」言った。


「あ……じゃ、真締さんは誕生日も一人なの?」


「大体の一人暮らしの社会人がそうではないでしょうか。実家は遠方で友人も恋人もいなければ、そんなものです」


「私がいるじゃん」


「あなたは私の家族でも友人でも恋人でもありません」


「割り勘仲間、だね」


「一度桃を割り勘した程度で仲間と思われたくはないですね」


「ちなみに、ケーキは割り勘?」


「奢りますよ。誕生日なのでしょう?」


「や、割り勘がいい。ケーキがタダになるより、割り勘実績を溜めたいから」


「……わかりました」


「ね、真締さん」


「何でしょう?」


「ホールケーキを一人で食べてみたいって思ったことない?」


「夢ではありますが……26歳の胃袋、体調、一日の摂取カロリー基準、栄養バランス、ケーキの消費期限などを鑑みると実現はしづらいですね」


「ま、そうだよね。けどさ……ホールケーキっていうのは特定の誰かのために作られたものだと思うんだ。切り分けられたケーキは不特定多数に向けられた……何なら売れなければ捨てられるような存在でもある。それが寂しいなって」


 抽象的だが言いたいことはわからないでもない。自分が特別扱いされる日。それが望みなんだろう。


「……分け合っていると思えば良いじゃないですか」


「分け合う?」


「共有、シェア……ある意味では割り勘ですね。今から買うショートケーキは、確かに元はどこかの工場で想いもなく時給1000円かそこらの作業員と機械によって作られ、不特定多数の誰かのために売られているものです」


 杏が「うん。そうだね」と相槌を打つ。


「それは見方を変えると、コンビニにあるショートケーキは切り分けられる前に繋がっていた……いわば兄弟を食べている人もこの世界のどこかにはいると言えるのではないかと。誕生日の人、辛いことがあった人、なんとなく買った人。そんな人とシェアしていると思えば大量生産されたショートケーキも味わい深いものになるのではないでしょうか」


 言葉を噛み締めるように杏が目を瞑り、何度も深く頷く。


「……真締さんってツンツンしてるようで案外優しいよねぇ〜。会社で言われない?」


「言われませんね。ですが『あいつは面倒だ』『融通が利かない』とはよく言われます」


「ふぅん。結構ポエマーだったりする? ほら、昨日も『食べ過ぎで桃を嫌いになりたくない』って言ってたし」


「べっ……別にポエムなどは書いていません!」


「そっか。ちなみに私はショートケーキじゃなくてチョコケーキ派。あるかな?」


 小さく「わくわく」と言いながら杏がコンビニを見つけて駆け出す。


 杏を迎え入れた自動ドアが閉まり切る直前に自分も入店。


 先にスイーツコーナーに行き、中腰になってスイーツコーナーを凝視していた杏が、自分の入店音を合図に勢いよく振り向いた。


 どこかの工場で作られた、誰の何の想いもなく作られたショートケーキとチョコケーキのセット。


 それを一つ持った杏が自分の方へと笑顔で駆け寄ってきたのだった。

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