金曜日 23:00


 拘りがあって処女だった訳じゃない。



 たまたまそういう機会がなかったりだとか、そういう相手に恵まれなかったってだけで、無理して処女を貫き通してた訳でも、ましてや結婚するまで処女でいるって決めてた訳でもない。



 ただこの状況になって思うのは、案外簡単なものなんだなって事。



 付き合ったその日にホテルに行くなんて処女らしからぬ行動をする自分に驚いた。



 でもこれは自分で決めた事で、決して社長があんな事言ったからって訳じゃない。



 断じて違う。



 あんな子供みたいな大人の言い分に同調した訳じゃない



 二十五歳のあたしは、自分の行動に責任を持てる。



 学生じゃあるまいし周りの意見に流されたりしない。



 だからこれはあたしが決めた事。



 周りに惑わされた訳じゃない。



 けど実際は、どうしてこうなったかはっきり自分じゃ分からなくて、言い方としては「流された」ってのが合ってるかもしれない。



 雰囲気っていうか、状況っていうか、気持ちっていうか、気分っていうか。



 経験した事のない扱いに有頂天になって、そこにアルコールの力も手伝って、大胆になった気がしないでもない。



 だけどそんなもん、処女じゃなくてもセックスっていうカテゴリーにはデフォルトなもので、別にあたしが特別おかしいって訳でもない。



――なんて言い訳をしてる。



 さっきからずっとそう自分に言い聞かせてる。



 先生に連れて来られたラブホテルは、イタリアンレストランがあるビルの裏手にあった。



 こんなトコにラブホテルがあった事すら知らないあたしは、結局そういう物を除外して生きてきたのかもしれない。



 ラブホテルにチェックインしてまだ十分。



 あたしは既にベッドの上にいる。



 処女だからって無知じゃない。



 それなりの事はそれなりに知ってる。



 だからこうして部屋に入って、すぐにすぐベッドに押し倒されてるって事が、うデフォルトとして存在する事じゃないって事も分かってる。



 だけど瀬能先生は、あたしをすぐに押し倒した。



 お風呂に入ろうとする事もなく、あたしにお風呂を勧める事もなく、何か飲み物でも飲んで落ち着くって事もしなければ、テレビを点けたりもしない。



 ホテルに行くって決めてから会話らしい会話もなくて、セックス一直線なこの状況にちょっと尻込みし始めてる。



 別に今更雰囲気がどうとか、甘い言葉が欲しいとか、そんな温い事を思ってる訳じゃない。



 そうじゃないけど何だかこれは、ちょっと引く。



 あたしをベッドに押し倒した先生は、何故だかあたしの両手を押さえ付けて離さない。



 頭の上で腕を押さえられてる状態のあたしには、この状況がいまいちすっきりとしない。



 これは……何だろうか。



 草食系かと思ってた先生が、セックスの時に肉食系だったとしても、それはそれでいい。



 そういうギャップに萌えるタイプじゃないけど、許せない訳でもない。



 けど、これは何だろうか。



 何でずっと腕を押さえ付けられてるんだろうか。



 これは草食だの肉食だのって次元じゃなく、緊縛とかって次元になるんじゃないだろうかと思わせるくらい、あたしを押さえ付ける先生の力は強い。



 普通に痛い。



 その上身動き出来ないからイラッとする。



 だけど、その押さえ付ける力とは逆に、啄ばむように繰り返されるキスは優しい。



 こんなところで強弱を使い分けられても困るのに、その強弱がいいって感じで先生はそれをやめようとはしない。



――手っ取り早く相手を分かりたいと思うなら、セックスするしかねえんだって。



 社長の言ってたその意味が分かった気がした。



 確かにセックスって行為には性格が出るんだろうし、それってヤってみない事には分かんない。



 それにまあ、こういう事は、はっきり言えばやめてもらえる。



 だからまあ、これくらいの事ならどうって事ない。



 あたしの唇に触れてた先生の唇が、耳の辺りに移動して首筋を下降する。



 チュッ――と、わざと立てられる音に一瞬背中がゾクゾクしたあたしは。



「先生……痛い……」


 未だ離される事のない手を離してもらうべくそう告げた。



「え? 痛……?」


 あたしの言葉に困惑の声を出し、少し離れた先生は不安げな眼差しで。



「手……痛い」


 あたしがそう言いながら押さえ付けられてる腕がある頭の上に視線を向けると、先生は慌てたように手を離した。



「す、すみません」


「ん、もう大丈夫」


「あの、僕――」


「大丈夫だよ」


「……すみません」


「大丈夫だってば」


 クスクスと、そんな余裕なんて本当はないのに笑ってみせたあたしに、先生は申し訳なさそうな目を細めて微かに笑う。



 ダウンライトだけが点けられた室内はそれなりのムードが漂ってて、先生の表情に色気を感じさせた。



 気を取り直したように近付いてくる先生の唇は、唾液で湿って艶めかしい。



 重ねられた薄い唇から伸びてくる、肉厚な舌があたしの口の中を先生の匂いでいっぱいにさせる。



 キャミソールの裾からスッと入ってくる先生の手は熱い。



 直に肌に触れてくるその手は、見てるだけの時よりも指が細い。



 反対側の手が背中に回されて、そこにあるブラのホックをパチンと外す。



 慣れたその動きにほんの少しだけ、ジレンマを感じた。



 それからの先生の動きは、あたしの手を押さえ付けてたのが嘘みたいに優しかった。



 あたしに触れる手も舌も、さっきの事を帳消しにするくらい優しく動くから自然と口から甘い声が漏れた。



 自分で聞いて恥ずかしくなるようなその声を、なるべく出さないようにしようって思うのは乙女の恥じらいとかってやつなんだろうか。



 ただ慣れてないってだけなのかもしれないけど、あたしがそんな声を出すって事を物凄く恥ずかしく思った。



 だけど先生は、あたしが声を我慢すれば我慢するほど、その声を出させてやろうって言わんばかりに攻め立てる。



 だから結局あたしは前戯の段階で、初めてのクセに初めての絶頂を迎えて、赤面するくらいに甘い声を出す羽目になった。



「もう……いいですか?」


 いつの間にか全裸になってた先生は、あたしを組み敷きそう問い掛ける。



 途端に体がカタカタと小さく震えてきたあたしは、それを悟られないように全身に力を入れた。



 怖い訳じゃない。



 嫌な訳でもない。



 だけど何故だか勝手に体が震え始める。



 正直に言えば「痛い」と言われる初めてのその行為が、どこまでの痛みを伴うのか分かんないから怖いって部分はある。



 でも、体の震えはそれとは違う気がした。



 理由は分からない割には、それとは違うって事は分かった。



 もしかしたらこの震えは、守り続けてきたって意識はないけど、それでも二十五年間経験しなかったその行為を、経験する前の武者震いなのかもしれない。



「いいよ、来て」


 震えがバレないよう、囁くようにそう言ったあたしの両足が掴まれる。



 両足の間に体を入れてきた先生の体温にドキリとする。



 何をどうしていいのか分からなくて、とりあえず先生の肩に手を置いたあたしは、来るべきその時を待ちかまえるようにギュッと強く目を閉じた。



 入口に宛がわれたソノ感触に、更に閉じてる瞼に力を入れると、暗い視界がチカチカとした。



 これ以上力が入らないってくらいに全身に力を入れたあたしは、



「んん――ッ」


 突如ナカに侵入してきた異物からの痛みに顔を歪ませ歯を食いしばった。



 出産は鼻からスイカを出すくらい痛いって言うけど、初体験は鼻にナスビを入れられたような痛さだった。



 狭い空洞を押し開いて入ってくる異物が与えてくる痛みは脳天まで突き抜ける。



 こんな痛み今まで味わった事がないって思うのと同時に、もう二度と味わいたくないって思うその痛みは、それから暫く続くどころかすぐに消えてなくなった。



 すぐにあたしのナカから出ていく異物に驚き閉じてた目を開くと、目の前にあたし以上に驚き目を見開く先生がいた。



 さっきまでの男の色気は全くなくて、その表情には焦りの色が見える。



 そして。



「吉岡さん、もしかして――」


「…………」


「初めて……ですか?」


 その声は明らかに焦ってた。



 正直、嘘を吐くのは簡単な気がした。



 久しぶりだからとかって誤魔化すのは簡単だと思った。



 だけどそこで嘘吐いて誤魔化す事の意味が見出せない。



 あたしは二十五歳でも処女なんだから仕方ない。



――でも。



「……うん。そうだけど」


 そこまで言って、言った事を後悔した。



 あからさまに先生の顔が強張った。



 見間違えたって言えるほど距離はなくて、勘違いだって思えるほど短い時間でもない。



 それこそどんな嘘を吐かれても、どう誤魔化そうとしても通用しない。



 そんな表情だった。



 先生はどこからどう見ても完全に引いた。



「あ、あたし――」


「すみません。やめておきましょう」


 自分でも何を言おうとしたのか分からないあたしを遮り、先生はそう言うとあたしの体にシーツを巻き付ける。



 その動きが、まるで汚い物を隠すような動きに思えて、さっきまで帯びてた全身の熱が一気に下がるのを感じた。



「先生……?」


「すみません」


「……何が?」


「すみません」


 目を合わせようとしない先生は只管に謝る。



 あたしはどうして先生が謝るのか分からない。



 でも。



「あの――」


「すみません」


何を言っても謝るから何だか物凄く惨めな気持ちになった。



処女だから。



二十五歳だから。



多分、その両方の理由で先生に引かれた。



好きで処女だった訳でもないけど、処女が嫌だった訳でもない。



世間一般に引く事だとしても、あたしはそう気にしてなかった。



――だから。



「……先生、ごめんね」


 何を言えばいいのか分からなくて、とりあえず謝ってみたら、途端に何であたしが謝らなきゃいけないんだって虚しく思った。



 別に悪い事なんかしてない。



 なのに先生はあたしに非があるみたいな雰囲気を作る。



「吉岡さんが悪い訳じゃない」


 そうは言っても先生の顔は強張ったままで。



「……うん」


 そう答えたあたしにもう触れようとはしない。



「今日は、帰りましょう」


 脱がせたあたしの服を拾ってそう言った先生は、自分の服を手に持ってバスルームにいく。



 ベッドの上に取り残されたあたしは、出来る事なら今すぐ消え去りたいと思うくらいまで追い詰められた。



 その所為で。



「土日は研修があって会えないんです」


 服を着替え終わった先生のその言葉を信じられないと思ってしまった。



「……うん。分かった」


「すみません」


「研修でしょ? 謝る必要ないじゃん」


「月曜に連絡します」


「分かった」


「必ず、月曜に」


 強調すると白々しく思える言葉を吐いた先生は、あたしを連れてラブホテルを出ると、終電がなくなった駅前でタクシー代をくれた。



 ここは格好良く「いらない」って言いたかったけど、財布にタクシー代も入ってないから有り難く頂いた。



「では、月曜に」


 タクシーに乗り込んだあたしにしつこくそう言った先生の顔は、未だ強張りが消えてなかった。

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