木曜日 23:15
「まだ会社!?」
掛けた電話の呼び出し音が切れた途端にそう言うと。
『え!? 何!? え!?』
十二分に驚いた一葉の声が聞こえてくる。
電話の向こうの一葉の周りは妙に静か。
でも時間が時間なだけに、ただ同僚が周りにいないってだけで帰宅してるとは限らなくて。
『ま、まだ会社だけど、どうかした?』
案の定、まだ会社にいるらしかった。
「今、ちょっといい!?」
『うん、いいよ?』
「帰ってからの方がいい!?」
『まだ遅くなるから、今でいいよ?』
「帰ってからの方がいいなら、帰ってからにするけど!?」
『今で大丈夫』
「化粧ってどうやんの!?」
『ええええ!?』
長い付き合いの中で、こんなに驚いた声聞いた事ないってくらい驚いた声を出した一葉のその驚きは、「二十五歳にもなって化粧の仕方を聞くの!?」って事もあるだろうけど、それだけじゃなくて。
『何で化粧!? え!? 朱莉ちゃんだよね!? 朱莉ちゃんのスマホを使った、朱莉ちゃんの声そっくりな人が掛けてきてるんじゃないよね!?』
妙な疑いを抱いてしまうくらいに、あたしが化粧しようって事に衝撃を受けてるらしい。
そしてその衝撃からの驚きは。
「あと、フォーマルな服持ってない!?」
『えええええええ!?』
あたしの次の言葉で最高潮に達して、ほぼ悲鳴みたいな声でその驚きを表現する。
でもそれも仕方ない。
長い付き合いで、そこまで驚いた一葉を見た事がないのと同じで、あたしがこんな事を言い出した事はない。
だから。
『え!? 何!? どうしたの!? 熱!?』
一葉がこんな失礼極まりない事を言っても仕方ないって思うしかないし、
「熱はないから、化粧教えて、服貸して!」
あたしにも時間がない。
いくら約束が明日だからって、明日は仕事があるから用意に時間を取れなくて、準備をするなら今しかない。
――でも。
『化粧はともかく、朱莉ちゃんの身長じゃわたしの服着れないでしょ!?』
時間がないのに、時間を要する。
「デカい服持ってないの!?」
『持ってないよ!』
「どうしよ!? くるみに借りるべき!?」
『朱莉ちゃんしっかりして! くるみちゃんの方がわたしより小さいよ!』
「あんたたち、何で小さいのよ!」
『朱莉ちゃん落ち着いて! 今更そんな事言われても困るよ!』
「身長伸ばしなさいよ! 今すぐあたしくらいまで!」
『朱莉ちゃん現実を見て! 今すぐ身長が伸びたところで持ってる服のサイズは変わらないよ!』
「じゃあ、どうしたらいいの!?」
『え!? 何!? 何に使うの!? 急ぎなの!?』
「急ぎも急ぎ! 明日必要なの!」
『明日!? 明日必要な事を今言うの!? 朱莉ちゃんって実は旅行の準備を前日の夜までしないタイプ!?』
「急に予定が入ったの! どうしてもフォーマルな格好しなきゃいけなくなったの!」
『どこ行くの!?』
「そ、それは仕事の……」
『仕事関係? それならスーツは? 何年か前に一緒にパンツスーツ買いに行ったのあるんじゃない?』
「あれダメ! 大きい! あれから痩せちゃったからブカブカなんだって! しかもスーツはダメ! そんな気合い充分ですって感じはダメ!」
『どうしよう! 朱莉ちゃんの言ってる意味が激しく分からない!』
「とにかく、化粧教えて! 早く! 今すぐ!」
『朱莉ちゃん、メイク道具持ってるの!?』
「…………」
『…………』
「…………」
『……ファンデーションくらいはある?』
「三年くらい前に買ったやつが……」
『…………』
「…………」
『……口紅は?』
「探せば見つかるんじゃないかと……」
『…………』
「…………」
『…………』
「…………」
『……明日の何時までに必要?』
「八時」
『それまではずっと会社にいる?』
「うん」
『じゃあ、明日の夕方そっちに行くって事でいい? 服も知り合いの衣装屋さんで見ていく』
「スカートはやめて! 絶対やめて!」
『うん、分かってる』
「ヒラヒラしてんのもやめて!」
『うんうん、分かってる』
「ピンクとかやめてよ!? 黒とかグレーにして!」
『うんうんうん、分かってる』
「それから出来れば――」
『じゃあ、仕事しなきゃだからもう切るね』
ブツ――と、一方的に通話は切られたけど、とりあえず明日のメイクと服装に関してだけは心配する事はなくなった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。