車の窓から移ろう景色を眺めていた。

 緑豊かな自然が目に入って来る。遠くの方では小高い山が見えた。

「何ボーっとしてんの? もしかして、疲れてるの?」

 隣の席に座っていた亜矢が相変わらずきつい物言いをしてきた。背もたれに寄り掛かることなく、ピンと背筋を伸ばしている。

「いや、別に」

 建は頬杖を突きながら答えた。

「だったら、そんな風に黄昏れてんじゃないわよ」

「別に黄昏れちゃいないけど」

「どうだか」

「あのさ、前から思ってたんだけど……亜矢は俺のことが嫌いなの?」

「安心して。仕事に私情は持ち込まない主義だから」

「否定しないんだ……」

 はは、と建は乾いた苦笑を漏らす。それに対して、亜矢はそっぽを向いたままだ。

 二人は車で奈良県から島根県の出雲市に向かっていた。目的地は出雲大社である。

 霊戦士としての仕事依頼が来たので、建と亜矢のペアが行くことになった。

 霊能試合は神一柱――柱(はしら)とは神を数える単位のことである―――に対して霊戦士二人で挑むため、霊戦士は二人組のペアを組まされている。凄まじい霊威を持つ神々に一人だけで対抗するのは難しいからだ。二人組でも少し厳しいくらいだが、それ以上に増やすと霊戦士の人員的問題に引っかかってしまう。だから二人組のペアという形に落ち着いたのだ。ペアは各自の能力や特性、性格的な相性を考慮して決定される。

「何で俺と君がペアを組まされたんだろうな」

 ぽつりと、建がそんなことを呟いた。

「は? それってあたしとペアを組むのが不服ってこと?」

 眉を吊り上げながら、亜矢が鋭い眼光を建に向けた。

「いや、俺は良いんだけど、亜矢は俺のことを毛嫌いしているみたいだからさ」

「別に、毛嫌いなんかしていないけど……」

 なぜか亜矢は言葉が尻すぼみした。建はちらりと亜矢の表情を伺おうとするが、彼女はそっぽを向いたままその表情を見せてくれなかった。



 鳥居を抜け、長い参道の先に、出雲大社の拝殿が見えた。図太い注連縄が吊るされている。それがこの大社の尊大さを表現していた。拝殿とは賽銭箱や鈴がある、一般の参拝客が神にお祈りをする場所のことである。

 出雲大社には地域レベルの霊能試合に参加するため、度々訪れていた。

 霊能試合は国レベルと地域レベルの二種類に分かれる。前者は一月ごとに伊勢神宮で取り行なわれる。国民全体の魂税を決めるために行われるものだ。後者は国レベルの霊能試合では足りなかった加護を得るため、その加護が必要な地域で行われるものだ。その選定は霊能省が行う。霊戦士はそれほど数が多くないので、全ての地域の神社を回る訳にはいかないのだ。

 出雲大社は伊勢神宮、それから熱田神宮と並んで有力な神社であるため、とりわけ大きな問題が無くとも優先的に霊戦士が派遣されていた。霊能試合はただの争いではなく儀式的な意味合いが含まれている。尊大な出雲大社でそのような霊的儀式を行うことに意味があるのだ。

「お待ちしておりました」

 拝殿の前までやって来ると、神職姿の中年の男が立っていた。冠(かんむり)と呼ばれる黒い帽子をかぶっている。頭頂部の辺りが突起しており、その後から帯が垂れているものだ。

「お出迎えありがとうございます。本日はよろしくお願いいたします」

 建は小さく頭を垂れた。それに倣って、亜矢も頭を下げた。

 今彼らの目の前に立っている神職の男は、出雲大社の祭祀を取り仕切る出雲家の現当主だ。出雲大社の宮司職(ぐうじしょく)である出雲国造(いずものこくそう)の継承者、出雲隆康(いずも たかやす)である。宮司とは神社の神職・巫女をまとめる長のことだ。目の前にいる隆康の佇まいからは、宮司として申し分ない気品と静謐さが漂っている。

「こちらはすでに準備が出来ております。すぐにでも霊能試合を取り行なうことができますが、こちらまでの移動でお疲れでしょうから少しお休みになられますか?」

 こちらの様子を伺うように、隆康が言った。

「いえ、問題ありません。亜矢も大丈夫だよな?」

 建は隣の亜矢に問いかけた。

「ええ、問題ないわ」

 普段なら「当たり前でしょ」みたいなきつい物言いをされることであるが、宮司である隆康の手前さすがの亜矢も控えているようだ。

「では、早速本殿の方に参りましょうか」

 そう言って、隆康は二人を先導し始めた。

 本殿は拝殿の後方に位置している。荘厳な造りの拝殿を脇に眺めながら本殿へと向かう途中、建は先を行く隆康の背中に恐る恐る声をかけた。

「あの、隆康さん」

 すると、隆康は丁寧に身体ごと振り返った。

「はい、どうされましたか?」

「その……」

 問われて、建はしばし逡巡する。まるで苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 それから、沈黙を破るようにゆっくりと口を開く。

「……白百合さんはお元気ですか?」

 重々しい様子で聞いた建に対し、隆康はあくまでも涼やかな表情で答える。

「ええ、一応は元気です……ただし、相変わらず床に伏しておりますが」

「やはり、まだ体の調子が良くないのですか?」

 隆康は静かに頷いた。

「はい。なにぶん、病弱な娘ですから」

 その言葉を受けて、建は表情をこわばらせた。

「申し訳ありません、そのようなことを聞いて」

「いえ、どうかお気になさらずに。むしろ、娘のことを気にかけてくださり嬉しい限りですよ。そうだ、もしよろしければ霊能試合を行う前に屋敷で寝ている娘の顔を見て行きますか?」

 隆康がそのように提案すると、建は一瞬だけ表情を明るくさせた。だが、またすぐに恐縮した顔つきに戻ってしまう。

「今はやめておきます。大事な仕事の前ですから」

 建の返事に対して、隆康は特に気分を害した様子はなかったようだ。

「そうですか。いやはや、立派な心がけですね」

「いえ、そんなことはありませんよ……それで、あの。霊能試合が終わった後にそちらのお屋敷に伺ってもよろしいでしょうか?」

「もちろん構いませんよ。そうですね、屋敷はここから少し離れたところにありますから、帰りに立ち寄っていただいた方がよろしいかもしれませんね」

 隆康が微笑を浮かべながら言った。

「ありがとうございます」

 建はどこかほっとしたように笑みを浮かべた。



 出雲大社における霊能試合は、霊戦士の勝利に終わった。

 国レベルの霊能試合においては、複数の願い事による加護を得るために数試合行うが、地域レベルの霊能試合においてはだいたい一試合だけの場合が多い。それ以上の試合をするとなると複数の霊戦士のペアが必要になり、人員不足で全国各地の神社を回ることが出来なくなってしまうからだ。出雲大社は神社の中でも偉大な存在であるため複数の試合を行うこと時もあるが、基本的には偉大な神社も一試合だけ行われる。そもそも全国に八万社以上ある神社に対して霊戦士の数はかなり少ない。すなわち、地域レベルの霊能試合が一試合行われるだけでもその神社の位が高いことを示すのだ。

「ふぅ……」

 霊界より舞い戻った建は出雲大社本殿の木目が美しい床を踏みしめて小さく息を吐いた。

 直後、背後で同じようにタンと床を鳴らす音がした。

 結い上げた栗色の髪をさらりとなびかせながら、亜矢がこちらに近寄って来る。

「おう、お疲れさん」

 小さく手を上げながら建は声をかける。

 すると、なぜか亜矢の鋭い視線が飛んできた。

「建……あなた、試合に集中していなかったでしょう?」

 いきなりの問いかけに対し、建は思わずたじろいでしまう。

「いや、そんなことは……」

「嘘ね。明らかに他のことに気を取られていたわ。そんな態度じゃ、手合わせをしていただく神様に対して失礼じゃない」

 自分を咎める亜矢を見つめて、建は小さく俯いた。

「すまない……」

 亜矢は少し長いため息を吐いた。

「どうせ、白百合って子のことでも考えていたんでしょう?」

 亜矢の言葉は正鵠を射ている。さすがは霊戦士の中でも指折りの弓の名手だ。

 見えない矢が突き刺さったように、建は苦悶の表情を浮かべた。

「……図星のようね。もう試合は終わったことだし、さっさと行ってきたら?」

「そうだな……亜矢、君も一緒に来るか?」

 建の問いかけに対し、亜矢は小さく唇を噛みしめた。

「……あたしは行かないわよ」

 どことなく棘具合が増した亜矢の声を聞いて、建は顔を引きつらせた。

「そ、そっか。じゃあ、俺だけで行ってくるよ」

「どうぞ。けどなるべく早めに帰ってきなさいよ。これから霊能省に報告しに行って、その後に霊戦士の会合もあるんだから」

「了解した」

 小気味良く頷いて、建はその場を後にしようと歩き出す。

「…………バカ」

 ふいに、背後で声がしたので建は振り返った。

「いま何か言ったか?」

 建の目には、腕を組んでツンとそっぽを向く亜矢が映っていた。

「別に何も言ってないけど? さっさと行きなさいよ」

 相変わらずのきつい物言いで凄まれて、建は逃げるようにしてその場から去った。



 出雲家の屋敷は拝殿や本殿とは離れたところに建っていた。

 敷地は広大だ。その周りに石造りの囲いがある。古き良き日本の文化を匂わせる由緒正しき建造物だ。

「こちらには久し振りに訪れましたが、相変わらず立派なお屋敷ですね」

 屋敷の敷地内を眺めながら建が感心したように言った。

「お誉めに預かり光栄です」

 隣を歩く隆康が、やんわりと笑みを浮かべた。

 玄関口までの道のりは一般的な家庭のそれよりもずっと長い。そのことにもひたすらに感心しながら、建は歩みを進めていた。

 ふと、横目に入った建造物に目が行った。

 それは倉のようであった。少し古いがこの屋敷の中において取り立てて存在感を放っている訳ではない。だが、なぜか気になってしまった。

「――どうかされましたか?」

 ふいに、隆康の声が耳に入ってきた。

「あ、いえ。何でもありません」

 小さく頭を下げて建は言った。

「そうですか。さ、どうぞ中にお入り下さい」

 気が付くと、いつのまにか玄関口にたどり着いていた。

 隆康が引き戸を開けて中に建を招き入れる。

 足を踏み入れると、長い歴史の中で育まれた芳醇な木の香りが鼻腔をくすぐった。

 やはり家の中も広い。部屋の数も無数にあるようだ。

 建は隆康の背中を追って廊下を歩いて行く。周りに壁はなく、開放的な造りになっている。春風が頬を撫でていくのが心地良い。

 しばらく歩いて屋敷の奥にたどり着くと、清楚でいて華やかな絵柄の戸が建の前に現れた。

「こちらが娘の部屋になります。どうぞお入り下さい」

 隆康の言葉を受けて、建はきゅっと唇を真一文字に結んだ。

 しばし逡巡するように身を固めていたが、ゆっくりとその戸を開いた。

 部屋の中は薄暗かった。

 中央に布団が敷かれており、そこで横たわっている影がある。

 傍らに置かれたろうそくの明かりが、その顔立ちを浮き上がらせた。

 そこにあるのは少女の顔であった。

 長い黒髪、透き通るように白い肌、薄い桜色の唇から清楚な美しさが見て取れる。

 眠っているため瞳は閉じられているが、それもまたこの上ない優美さを纏っていることが容易に想像できた。そこにはとても病弱で床に伏しているとは思えないくらいに、艶やかで美しい少女がいた。

 そんな少女の傍らにひざを落として近寄った隆康がそっと声をかける。

「白百合、起きなさい」

 その様子を見て、静かに眠っている少女を自分のためにわざわざ起こすのが忍びないと思った建は、隆康を止めようとした。

 しかしその直後――数秒と待たずして少女のまぶたが開いた。

 きれいな瞳が、隆康の姿を見つめた。

「……お父様、お呼びでしょうか?」

 まだ眠気を引きずる瞳のまま、少女は問いかけた。

「お前に会いに来てくれた人がいる。顔を見せてあげなさい」

「わたくしに会いに来た人……ですか?」

 寝たまま小首をかしげた少女の瞳が、その場にじっと立っていた建の姿を捉えた。

 次の瞬間、少女の瞳が急激に覚醒した。黒い瞳が確かな輝きを放った。

「あなたは……」

 それを見て、建はすっと一歩前に出た。

「久し振りだね、白百合さん。俺のこと覚えているかな?」

 恐る恐る建は問いかけた。

 それに対して、少女は黙ったままだ。

 建はやや落胆するように小さく肩を落として、気を取り直すように口を開く。

「じゃあ、改めて名乗るよ。俺の名前は……」

「――飛鳥建さん」

 静かな少女の声が、建の鼓膜を揺さぶった。

「え?」

 目を見開いて驚く建を見て、少女――出雲白百合(いずも しらゆり)は優しく微笑んだ。

「ちゃんと覚えていました、飛鳥さんのお名前を」

 その言葉を聞き、照れくさくなった建は頬をかいた。

「そ、そうか。覚えていてくれて嬉しいよ」

 すると、隆康が静かに立ち上がった。

「では私は少々やることがありますので、ここで失礼させていただきます」

「あ、はい。俺もすぐに帰りますので」

「そんなに気を遣わなくても大丈夫ですよ。ではまた」

 丁寧にお辞儀をして、隆康は部屋から出て行った。

「……飛鳥さん。すぐに帰ってしまうのですか?」

 か細い声で白百合が尋ねてきた。

「え? ああ。白百合さんの体のことを考えたら、あまり俺が長居するのは良くないかと思って」

「そんなに心配していただかなくても…………ごほっ、ごほっ」

 突然咳きこんだ白百合を見て、建は俊敏な動きで腰を落とし、彼女の傍に近寄った。

「大丈夫か?」

「はぁ、はぁ……大丈夫です」

 きれいな目に少しばかり涙を浮かべながら、白百合は言った。

「無理に喋らなくて良い」

 建の言葉に対し、白百合は小さく首を振った。

「いえ、無理などしていません。久し振りに飛鳥さんとお会いしたから、お話しをしたいのです」

「白百合さん……」

「それから、わたくしのことはどうか白百合とお呼び下さい。同じ年なのですから」

「分かった、それじゃあ白百合……俺もずっと君と話しをしたかったんだ」

「本当ですか?」

 建は微笑みながら深く頷いた。それに呼応するように、白百合の顔にも笑みがこぼれた。

「そのように言っていただけて、とても嬉しいです。あの、飛鳥さん」

 言いかけた白百合を制止する。

「俺のことも建で良いよ」

 建がそう言うと、白百合はその白い頬を赤く染めた。

「では、建さん……」

 どこか緊張した面持ちで白百合が言った。

「うん?」

「今日の霊能試合はいかがでしたか?」

「ああ、俺達が勝ったよ」

 建が言うと、白百合は笑みを浮かべる。

「さすが、お強いのですね」

 誉められて照れくさくなった建は後頭部をかいた。

「いや、そんなことはないよ」

「わたくしも見たかったです、建さんの戦うお姿を……ですが、お父様から体を休めることに専念しなさいと言われたので」

 白百合は伏し目がちになって言った。

「そうか……でも、お父さんの言う通り、白百合は体を回復させることに専念した方が良い。そして、体の具合が良くなった時に俺の戦う姿を見て欲しい」

 言った直後、建は頬がかっと熱くなった。

「……分かりました、もし体の具合が良くなったら建さんの雄姿をこの目に焼き付けます」

「そ、そうか?」

 白百合の言葉を聞いて、ますます頬が熱を帯びた。

 ――わたくしを、たすけてください。

 その時突然、透き通るような声が建の胸の奥で響いた。

 はっとして白百合を見るが、彼女は口を閉じたままだった。

「どうかされましたか?」

 不思議そうな目で白百合が尋ねてくる。

「あ、いや。何でもないよ」

 建は慌てて取り繕った。

 そんな建を、白百合はまじまじと見つめた。

「……建さん。なぜ三年前に初めてお会いして以降、一度もわたくしの下に来てくださらなかったのですか?」

「え?」

 ふいの問いかけに建は困惑してしまう。

「わたくしは初めて建さんにお会いしてお話しをした時から、ずっと建さんのことを想っていました。それなのにわたくしのところに来て下さらなかったのは……わたくしがこのように病弱な娘だからですか?」

 そう問いかけてくる白百合の表情は悲哀に満ちていた。

 直後、それまで喉を塞いでいた栓が外れたかのように、建の口から言葉が溢れ出す。

「それは違う! 俺だって、初めて会った時からずっと君のことを想っていた。もちろん出雲大社を訪れるたびに会おうと思った。けれども、君を想う気持ちが強過ぎるあまりに胸が苦しくて……会いに行けなかった。霊戦士として全うすべき責務を放り出してまで君に夢中になってしまいそうで」

 俯きながら己の気持ちを吐露する建の手は震えていた。そこに、線の細い指先が触れた。

「わたくしに対してそのような気持ちを抱いてくださったのですか?」

 震えるような白百合の声を聞いて、建はおもむろに顔を上げた。

 そして、やせ細った白百合の手をぎゅっと握りしめた。

「俺は君のことが好きだ、白百合――」

 建は力強くそう言い切った。

 一瞬呆然とした白百合の目から数滴の涙が溢れ出した。それが彼女の頬を伝って行く。

「……申し訳ありません。突然そのようなことを言われたから驚いてしまって」

 慌てて涙を拭いながら白百合は言った。

「いや、俺もいきなりこんなことを言ってすまない」

 建は罰の悪そうな表情を浮かべた。

「いいえ、そのようなことはありません。白百合はとても嬉しいです」

 その時白百合が浮かべた笑みは、儚くも美しいものだった。

「白百合……」

「建さん……」

 二人は自然に互いの顔を近づけていた。至近距離で視線が絡み合う。吐息が頬をくすぐり合う。

 そのまま、目を閉じて互いの口を寄せ合った――

 直後、二人の世界にピリリと機械的な電子音が割って入った。その音源は建のズボンのポケットにあるケータイだった。

 急に現実世界に引き戻された二人は、互いの顔の距離の近さに赤面し、とっさに離れた。

 高鳴る鼓動を必死に抑えつけながら、建はケータイを手に取った。

「はい、もしもし」

『ちょっと、あなたいつまで待たせる気?』

 開口一番、そのように辛辣な言葉をスピーカー越しに放ったのは亜矢だった。

「え、そんなに時間経ってるか?」

 訝しむように建は言った。

『気が付かなかったの? さてはあなた、白百合って子と二人の世界に没頭して時間が経つのを忘れた……なんてこと言わないでしょうね?』

 どうしてもこうも、亜矢の言葉は正確に的を射るのだろうか。

「あ、当たり前だろ。俺だってそれくらいの分別はしっかりしているつもりだ」

 むせ返りながらも何とか答えた。

『ふぅん……まあ、良いけど。とにかく、さっさと戻ってらっしゃい!』

 そこでプツリと通話は途切れた。

 建は肩で大きくため息を吐く。

「すまない、白百合。もう行かないとだ」

 白百合は静かに目を伏せた。

「そうですか……」

「また一月後に会いに来るよ」

 そう言って、建はすっと立ち上がった。しばし別れを惜しむように白百合を見つめた後、ゆっくりと出口に向かう。

 途中で、建は振り返った。

「……白百合。俺は三年間、君に会わなかったことはむしろ幸運だと思うよ」

 建がそう言うと、白百合は目を丸くした。

「それはなぜですか?」

 一呼吸してから、建は口を開く。

「この三年間で、より一層きれいになった君の成長に感動することができたからな」

「え……?」

 直後、白百合の頬が真っ赤に染まった。

 それを見て、建は照れくさそうに頬をかく。

「……なんて、少し格好つけ過ぎかな」

「……建さん、お願いですからあまり白百合を幸せな気持ちにさせないで下さい。胸が張り裂けそうです」

 両手を胸の上に置いて、白百合はどこか切ない表情を浮かべた。

「分かった、なるべく努力するよ……それじゃ、またな」

 小さく手を振って建はその場を後にしようとした。

 ――いやだ、行かないで。

 その瞬間、再び透き通るような声が建の胸の内に響いた。

 建は慌てて振り返った。だが、白百合は黙って口を閉じたまま建を見つめていた。

 すると、白百合が小さく首を傾げた。

「どうかされましたか、建さん?」

「あ、いや。何でもないよ」

 建は首をひねりながら、今度こそ部屋を後にした。



 建は出雲家の屋敷を出ると、亜矢が待つ場所へと向かった。

 先ほどの電話の様子だと、自分は確実に亜矢の機嫌を損ねていると分かった。帰りの車内が気まずくなるのを想像すると、足取りが重くなってしまう。

 そんなことを考えていた時だった。

「――ちょっとお待ち下され」

ふいに声をかけられて振り返ると、そこには一人の老いた男が立っていた。その後ろには老若男女、数人の者達もいる。

「はい? 悪いんですけど、俺ちょっと先を急ぐので」

 建は振り切って先に行こうとする。

 そんな建に向かって、老いた男は叫んだ。

「あなたは霊戦士の飛鳥建さんですよね? 私達は出雲市の者です」

 その言葉を聞いて、建はふと足を止めた。

「ああ、出雲の方でしたか。それで、俺に聞きたいことっていうのは?」

「はい。今、あなたは出雲家から出て来ましたよね?」

「ええ、そうですけど」

「じゃあ、巫女姫さまにお会いになられましたか?」

 巫女姫とは、白百合の呼び名である。「祭政一致」の理念が復活した今日において、尊大な神社の神職や巫女は人々から崇められる存在なのだ。とりわけ、白百合はその美しさから敬意を込めて「巫女姫」と呼ばれるようになったのだ。

「……はい、会いましたけど」

「本当ですか? それで、巫女姫さまの体の調子はいかがでしたか?」

 ここまで話を聞いて、建はようやく彼らが尋ねてきた意図を理解した。

 白百合が病弱で滅多に人前に出ることが出来ないのは周知の事実だ。他の地域からの観光客はもちろん、出雲市民でさえなかなかその姿を拝むことは出来ない。彼女が巫女になって初めてあいさつのために人前に出て以来、ほとんど寝たきりの生活を送っているらしい。そんな彼女の様子が知りたくて仕方ないのだろう。

「安心して下さい。まだ体調は万全とは言い切れませんが……お元気でしたよ。しっかりとお話しもできましたし」

 彼らを安心させるように、建は優しく微笑んでみせた。

「本当ですか? その言葉に嘘はないのですね?」

「ええ、ですからそんなに心配することはないですよ」

 建がそう言うと、彼らは安堵の息を漏らした。

「良かった……私達はずっと申し訳ない気持ちでいっぱいだったのです」

 建は首をかしげた。

「え、それはなぜですか?」

「巫女姫さまは、私達を守るために病にかかっているんだと、出雲市民の者達は考えているのです。それで、巫女姫さまにもしものことがあったら、私達は……」

 俯いて肩を落とす彼らに、建は慰めるように声をかけた。

「大丈夫、そんなことはありませんよ。確かに、彼女は体があまり丈夫ではないかもしれません。けれども、懸命に生きていますから」

 建の言葉を聞いた出雲市民らは、各々がしっかりと頷き合っていた。

「……それでは、俺は先を急ぐのでこれにて失礼します」

 そう言い残して、建はその場を去って行った。













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