霊界の広場より人間界へと舞い戻った建は、伊勢神宮の本殿の中にいた。きれいな木目の床を踏み締め、ふっと安堵したように息を吐いた。その脇には亜矢も立っており、同じような表情を浮かべている。

「いやぁ、ご苦労だったね。飛鳥くん、小早川くん」

 そんな彼らに労いの言葉をかけてきたのは初老の男であった。

「君らのおかげで、今月の魂税も国民にとって負担のない奉納量になったよ」

 初老の男はにこりと笑みを浮かべながら、すっと手を差し出してきた。

「いえ、当然の責務を果たしたまでですよ。霊能省大臣」

 軽く会釈をして、建はその手を握り返した。

「そんなに謙遜する必要はないさ。あちらで試合を観戦されていた悠栄(ゆうえい)天皇様も大変喜ばれていたよ」

 その賛美に対して、建は小さく微笑するだけで返した。

「皆さま静粛に! アマテラス様がご降臨なされます」

 華やかな赤い正装の巫女がそう言うと、辺りはしんと静まり返った。

 周りの床より小高く作られた木製の台座には円状に注連縄(しめなわ)が置かれている。その中央にまた台が置かれており、上には木製の箱がある。その中には三種の神器の一つである八咫鏡(やたのかがみ)が鎮座していた。それは最高神アマテラスの御神体である。

 ふと、八咫鏡の周りに淡い光がこぼれ始めた。それはやがて眩い輝きへと変わり、本殿内を明るく照らし付ける。光の奔流が止むと、人型の影が浮かび上がった。

 白衣の上に肩口まである薄桃色の装束を着ている。額には太陽を思わせる平額が付けられている。その下に視線を移すと、優しく微笑する美しい女神の顔があった。

 天上界の高天原を統治する最高神アマテラスの姿が目の前に現れると、その場にいた全員が息を飲んだ。月に一度の定期的な行事でその姿を見ているとはいえ、やはり慣れないものは慣れないのである。

 緊張感が支配する中で、アマテラスは微笑みを浮かべたまますっと頭を下げて一礼した。それを受けて、その場にいた者達はみな一様に礼を返す。

「皆さま本日はご苦労さまでした。この度も国レベルの霊能試合を滞りなくやり遂げることができました。では、その結果を今一度お知らせいたします。この度も基本魂税は五パーセントです。その基本魂税に加護分の魂税を加算した値が、皆さまが納める魂税となります。まず、商業繁栄の加護はエビスに負けたため五パーセントから十パーセントに増税。安産の加護は神功皇后(じんぐうこうごう)に勝ったので五パーセントから一パーセントに減税。学業の加護は菅原道真に勝ったので五パーセントから一パーセントに減税。よって、この度の『霊能試合』の結果を経て、人間の皆さまが納める魂税は、国民ひとり当たり魂力最大値の十七パーセントになります」

 言い終えると、アマテラスはその場にいる者を一通り眺めるように目配せをして、にこりと微笑んだ。

「……では、私からは以上です。そちらからは何かありますか、霊能省大臣?」

「いえ、特にございません。本日もわざわざこちらにお出向き頂いて、誠にありがとうございました」

 霊能省大臣は深々と頭を下げた。

 その時、台座の上に光が生まれた。そこに、新たな影が現れる。

 それは白髪の老人の姿をした神であった。口周りから顎にかけて長く白い髭を生やし、ゆったりとした白衣を身に纏っている。その老神はアマテラスに向かって一礼した。

「お迎えの準備が出来ました、アマテラス様」

「ご苦労さま、タカミムスヒ」

 アマテラスは返事をして、再び前に向き直った。

「それでは、また一ヶ月後にお会いしましょう。天上界と人間界が共に繁栄することを願って」

 そう言い残して、アマテラスとタカミムスヒは淡い光の中に消えて行った。



悠栄十八年、日本の人々は神々の加護を受けて生活を営んでいた。

 事の発端は十五年前に遡る。その当時、日本は度重なる経済危機、そして天災により破綻寸前の状況に追い込まれていた。もはやその状況は誰にも解決することができず、人々はその救済を天上界の神々に求めた。そして人間の助けを聞き入れた神々は、その力でもって破綻していた日本を救ってくれた。

しかし、その代償として神々は人間の魂を求めた。魂は人間の生命の源といっても過言ではない大事なものである。そして、それは神々にとっても活動する上で必要なものであった。

 それから神々は多量の魂を要求し、人々はそれに応じるしか無かった。過度に魂を奪われた人々は覇気を失い、中には死にゆく者もいた。

 そのような状況を打破するために立ち上がった一人の男がいた。彼の活躍によって、人々は霊戦士という存在によって魂の奉納量を交渉する仕組みを確立することが出来た。それ以来、人々の暮らしは比較的安定している。

「……ふぅ」 

 湯飲みを片手に、建は小さく息を吐いた。

 彼は奈良県桜井市にある談山(たんざん)神社に来ていた。自宅からほど近い所にあるのでよく来ていた。

 「飛鳥」という姓が示す通り、建の両親の実家は飛鳥の地である奈良県の明日香村にあった。剣術に優れていた建の父は剣道場を開いていたのだが、明日香村は過疎化が進み人口が少なかったのでなかなか門下生が集まらなかった。そして、母が建を身ごもったのをきっかけに、やむを得ず比較的人口が多くて門下生の増加を見込める隣の桜井市に移住したらしい。

 建は木製の椅子に腰をかけたまま、辺りを見渡してみる。

 桜の木々が境内を色鮮やかに染め上げていた。談山神社と言えば秋の紅葉のイメージが強いが、こちらも中々見事な光景だと建は思っていた。談山神社には地域レベルの霊能試合で度々訪れていたので神職とはそれなりに親しい関係にある。今飲んでいるお茶もその神職から頂いたものだ。

「今日もここで飲む茶はうまいな」

 しみじみとそのようなことを言っていると、建の側に一つの影が現れた。

「相変わらずじじ臭いこと言ってるなー」

 振り向くと、そこには人を小ばかにしたようなニヤけ面を浮かべる、着流し姿の若い男がいた。

「黙れ、呂戯」

 建が睨みつけると、ニヤけ面を浮かべたまま呂戯(ろぎ)は後ずさった。

「おー、怖い。短気は損気だよ」

「安心しろ。こんな短気を起こすのはお前に対してだけだ」

「ほほぅ。そんなに僕のことが大好きなんだね。建くんは照れ屋さんだな」

 そう言った呂戯の眼前に、鋭い剣先が突きつけられた。

「ふざけた口を利くのはやめろ、不愉快だ。それにお前は敵だ」

 一瞬目を丸くした呂戯はふっと微笑した。

「嫌だなー、それは十年前までの話でしょ。今は僕ら魂税徴収神(こんぜいちょうしゅうしん)も穏やかに活動しているよ……ていうか、銃刀法違反に引っかかるからその剣しまいな」

「……ふん」

 建は荒く鼻息を鳴らして、剣を鞘に収めた。

「素直でよろしい……まあ確かに、あの時の僕らは少々やり過ぎだったかもしれないけどさ。仕方ないじゃん、上位の神々に命じられたら、末席の僕らは従うしかないんだよ。僕らだって、人間から魂を奪うことなんてしたくなかったんだよ?」

「ふん、どうだか」

「でもさ、そんな状況を君のお父さんが解決したんだよね」

 目を細めながら呂戯が問いかけてきた。それに対して、建は無言のまま眉をひそめた。

 神々は人間の魂を欲する。人間は神に祈るためにお供えものをするが、神はその供え物だけではなく、そこに宿った人間の魂を求めていたのだ。

そして十五年前、人間が助けを求めてきたのを良いことに、神々は過剰にその魂を奪うようになったのだ。

その当時は毎月国民ひとり当たり魂力最大値の四十パーセントを基本魂税として徴収されていた。それに加護分の魂税が加わるため、多いときには七十パーセント以上を納める時もあった。魂力とは魂のエネルギー量のことである。一応個人差はあるが、それ程差は無い。魂力は最大値の三十パーセントを切ると覇気を失い、十パーセントを切ると生命の危機が伴う。また、魂力は他人に分け与えることが出来ない。魂力は消費すると少しずつ自然回復をすると言われているが、まだまだ不明な点も多い。ちなみに、霊能者は一般人よりも魂力が高い。

 神々へ魂を奉納するやり方は、まず人々が各地域の神社を訪れる。そして、そこに祭られている神が人々から魂税としての魂を徴収する。それが後に天上界の政治組織の下に集まるのだ。ただ偉大な神は多くの神社に祭られているため、魂税の徴収に時間がかかってしまう。それを補佐するために呂戯のような魂税徴収神が存在する。また、魂税徴収神は魂税徴収に関する雑用も任されている。今よりもずっと魂税が高かった頃、魂税徴収神は魂力不足で魂税を奉納できない人々から、魂税を徴収する役割を任されていた。いわゆる借金取りのような形で、人々から魂を搾り取っていた。故に人々から恐れられていたのだ。

 そして十年前、そんな状況の中で苦しむ人々を救うために一人の男が立ち上がった。それが建の父、飛鳥仁(あすか じん)であった。彼は仲間と共に神々と争った。後に、これは「霊能戦争(れいのうせんそう)」と呼ばれて今でも語り草にされている。仁は激しい戦いの末何とか神々に打ち勝ち、人々に課せられた重い魂税を解消したのだ。そして、彼は英雄と呼ばれるようになった。

「いやー、本当に凄いよね君のお父さんは。だって、あのスサノオ神を一騎打ちで倒しちゃうんだもん。さすがの僕もあれにはビビったな」

「……凄くなんてねえよ」

 建は両手を組んで俯いたまま、低い声で呟いた。

「は?」

「例え国民を救っても、自分が死んじゃ駄目だろ」

 少し間を置いて、呂戯は鼻で笑った。

「何で? かっこいいじゃん。人々を救うために自らの命を賭すってさ」

「そんなの、残される者の気持ちを考えない独りよがりの下らない正義感だ」

 建はぎりっと歯軋りをさせた。今は亡き父のことを考えると、無性に苛立ちが込み上げてくる。

「またまたー、素直にお父さんがいなくなって寂しいって言えば良いじゃない」

「うるさい、耳障りだ、喋んな」

「あのねぇ、こう見えても僕、君よりもずっと年上なんだけど」

 呂戯は顔をしかめながら言った。彼の見た目は若々しい少年であるが、その実は神であるため数千年は生きているらしい。

「だったら、少しは年齢相応の言動を心がけたらどうだ?」

「はは、言うようになったねー」

 額に手を当てながら呂戯は乾いた笑い声を上げた。

「ていうか、お前何しに来たんだよ?」

「ん~? まあ、散歩がてらきれいな桜を見に来たってとこかな」

「ふん、どうせまた人をからかうために来ただけだろうが」

「あ、バレた?」

 呂戯は口の端を上げてにやりと笑った。

「……ち、興ざめだ」

 そう毒づいて、建はすっと椅子から立ち上がり、その場を後にしようとする。

「あー、そういえばさ」

 そんな建の背に向かって呂戯は呼びかける。

「今度、出雲に行くらしいね?」

「……どこでそれを聞いた?」

「あはは、僕は情報通だからね。何でも知っているよ……んで、どうなのさ?」

「は? 何が?」

「出雲の巫女姫に会えるんだろう? 君が気になっている」

 相変わらず人をおちょくるような口調で呂戯は問いかける。それに対して、建はため息交じりに口を開いた。

「……あの子は病弱だから会うことは出来ない。三年前、俺が初めて彼女に会った時から、ずっと床に伏している。出雲大社には仕事で何度か行く機会はあるけど、初めて会った時以来、一度も顔を見たことは無い」

「ふーん……そうして、想いは募りに募っているんだね」

「それ以上余計なこと言うと、その減らず口を叩き斬るぞ」

 建はぎろりと鋭い眼差しを呂戯にぶつけた。

「おー、怖い怖い」

 両手を掲げて、呂戯はおどけたように言った。

 建は小さく舌打ちをした。そして、くるりと踵を返してすたすたと歩いて行く。

「おーい、出雲の巫女姫に会ったらよろしくやれよー」

 後ろで呂戯が何か言っているが、建は無視をしてその場を立ち去った。


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