ロボトミーワンダーランド

千羽稲穂

銃撃犯になるにはうってつけの日

 いつか銃撃犯になる子ども、それがジュリアンだった。

 病院の待合室で大人しく本を読んでいる、十五才前後の少女が。

 カルテによれば意識レベルは〇をきり、常時レッドを示しているらしい。

 意識レベルはマイナス一〇〇からプラス一〇〇まである数値で一般的な数値はプラス五〇前後。その中でもジュリアンの意識レベルは低く、常にマイナス五〇を示す。これは一般的な人間以下の数値だった。

 また、ジュリアンには人間だと示される識別色パーソナルカラーがない状態だった。これは人間ではない、と示す極めて危険な状態だ。

 したがって、ジュリアンは保護観察処分になり、常時カウンセリングが必要とされ私が派遣された。

「社会福祉局から派遣されたカウンセラーのコリーです。よろしくお願いいたします」


 二〇九〇年一月二十五日。

 私、コリー・サリアンは福祉局から派遣され、ジュリアン・リバーシップと接触した。

 軽く挨拶を済ませ、すぐにジュリアンとの生活を始めるため用意されたコテージへ向かった。

 道中、あらゆるカメラが私たちを捉える。

 視界は良好。私の脳にはチップが埋め込まれており、カメラから私たちを俯瞰して見ることが出来た。

 この街には店頭、街灯、建物、地面、と死角なく監視カメラが設置されていた。それは生活に根付くロボットにも例外なく搭載されている。同時に犯罪者を取り押さえられるよう機械たちは武器が備えつけられていた。物騒な話だが、再犯者や監視下に置かれている人間は問題行動が見られた瞬間、撃ち殺されるようになっている。


 始まりは性犯罪の監視だった。性犯罪は男女問わず泣き寝入りが多く、立件が難しい上、再犯率が高い。そうした問題から政府は重い腰をあげた。街中の監視カメラに性犯者のデータをインプットさせ、追跡する法が施行された。この法は社会の抑止力となり急激に性犯が減少した。その後、再犯者のデータをカメラAIに共有させ武器を持たせた。AIに再犯者が犯罪を起こす兆候が見られた場合、撃ち殺させたのだ。

 これが二〇五〇年。

 現在の監視社会の始まりだった。

 一方で、そうした社会は息苦しい、と各地から不満の声があがった。過去の歴史にも厳しい監視により瓦解した政府は多数存在する。

 そこであげられたのが社会福祉局だ。社会福祉の本来の目的、いわば介護や生活保護だけではなく、再犯者のメンタルケアを行うことによって、社会福祉局が再犯罪者を社会復帰させる礎を築きあげた。社会福祉局は社会全体のバランサーとなった。法の改正は功を奏し、反対世論は収まり、私のようなカウンセラーがシステムに組み込まれた。大衆は対価として監視社会を受け入れた。

 その後、現在の体制は何事もなく続き社会福祉局は今年で四十周年を迎えた。


 二〇九〇年一月三十一日。

「おはようございます」とジュリアンは起床直後、丁寧に挨拶した。「まだ早いです」と告げたら「この時間に起きろと言われたから」と言った。「あなたの思う時間に起きていいのですよ」

 時刻はAM3:00。

 ここ数日間、彼女は夜中に何回も就寝と起床を繰り返す。その時間も、三時間ごと。数分違わず起床していた。


 二〇九〇年二月三日。

 ジュリアンは朝食を前にして腹の虫を鳴らす。彼女は「食べていいです」と合図をするまで待つ。食べ方もぎこちない。必ずパンを小さくちぎり右手で口に運ぶ。


 二〇九〇年二月五日。

「今日は何をしますか」とジュリアンは尋ねた。声をかけなければ彼女は何もしない。彼女は何かの規則に則った窮屈な生活をする。朝の定時起床、冷たい床での食事、日中はぽかんと空を見て一日を終える。

 しかし、これらは『銃撃犯』とは何の関係もない。彼女は感情の表出が苦手な、普通の女の子だ。

 本部から情報は最低限のものしか与えられていない。カウンセリングにとって思い込みが最大の敵であるからだ。いらぬ憶測に踊らされ先入観を持ってクライエントに接してしまうと、クライエントは拒絶し、信頼関係ラポールが崩壊する。

 だが今は手がかりがほしかった。

 私の脳内チップから情報提供を本部に要求する。

 返答はNOだった。


 二〇九〇年二月七日。

 サンルームで服を干していると本部から定期連絡が入った。

 経過は難航、と送信した。

 ジュリアンと出会って二週間になるが、心が開かれる兆しはない。計画通りにいかずに私の脳内が熱暴走を起こし始めていた。

 彼女の意識レベルを探ってみても、次のステップへ移ることが出来るレベルからはあまりに低く、人とのかかわりを持つ、であったり、仕事をしてみる、といった社会に復帰するようなレベルには達していなかった。

 服をとりこんで洗濯かごを持つ。支給された服は全て白い。

 いっそ衣服に色をつけようか。実際に服の色といった選択肢を増減させることによって、意識を復活させた事例も存在する。私は本部へと思いついたことを送信した。

「コリー」とそこでジュリアンがそろっと顔をだした。私は送信中でフリーズしていると「銃がどこにあるか知ってる? 探してるんだけど」と笑みをうかべて近寄ってきた。

 意識レベルは変わらずマイナスにふられている。彼女は目を細めて眩しそうに私を見ていた。

「コリー、私は、一九九六年あるタワーから十七人を銃殺した一人の青年のように、一九九九年ある高校で学生ら十五人を銃殺した二人の少年のように、二〇〇七年ある大学で三十三人を銃殺した、あの少年のように──」

 ジュリアンは我が国の銃殺事件を並べたてる。それはどれもデータバンクにある正確な情報だった。

「私は彼らにならい反旗を翻さなければならないの」

 ところで、

「コリー、銃はどこ?」

 いつか銃撃犯になる子ども、それは違わぬ事実として転がっていた。


 二〇九〇年二月十日。

 あれから発作のようにジュリアンは「銃はどこ?」と訊くようになった。それは何かの時間が差し迫っているかのようにスパンが短くなっている。

「コリーは銃を持ってるの?」

 私はカウンセリング手法にない答えなど出来ない。

「コリー、銃はどこ? あれがなければ私は何も出来ないわ」

 彼女の意識レベルの数値はマイナスにふられている。

「コリー、お願い。どうしても必要なの」

 それでも笑顔で「銃」と紡ぎだす。

「ジュリアン、これを見てください。白だけでは味気ないでしょうから、色んな服を集めてみました」

「これは何?」

「これからあなたが着る服です」

 私は先日OKと発出された色々な衣服をリビングに並べていた。

 かすかに彼女の数値がブルーにふれた気がした。彼女はすっと笑みを消す。そして瞼をぎりぎりまで開けて凝視する。あまりの大きさに端から水分が漏れ出ていた。とくんと意識レベルの数値が青にふられる。脈よりも強く、心臓の音が響く。どくんどくんと迫り来る。

「白は?」

 ジュリアンの緊張が伝わる。

「白」と私は鸚鵡返しをする。

「白じゃなきゃいけないんだって白じゃなきゃ──」と彼女の口内で言葉が繰り返される。「白じゃなきゃ白じゃなきゃ白、白、白白白」

 これは──

「落ちついてください」

「なんで違うもの持ってきたの」

 パニック症状だ。

 絶叫が私の鼓膜を貫通する。続いて並べられた衣服をぶんどり少女とは思えない力で引き裂いた。繊維は飛び散って宙に舞う。そして次の標的へと手を伸ばした。また衣服は引き裂かれる。その間もどくんと意識の数値がブルーへ跳ねている。衣服は色がついた雪花のように咲いていた。「銃はどこ」と絶叫の端で言葉が弾け、時には獣のように唸り、噛みつく。

 銃弾のように暴発する暴力。

 彼女が落ち着くのを待つ。

 何も、言わない。

 彼女のことを受け取り続ける。


 二〇九〇年二月十一日。

 ジュリアンは全ての服を跡形なくなるまできれぎれにしてしまった後、疲れたのか布の彩りにまみれて眠ってしまった。私は彼女の寝顔を太ももにのせる。

 常時レッドを示していた意識レベルの数値がかすかに上昇している。これは計画が成功している証拠だった。

 彼女がAM0:00に寝入ってからきっちり三時間。

 AM3:00。

 瞼を開けた。彼女の呼吸音が空気を揺らす。汗がにじんで粘つく吐息を私の太ももに落とす。

「コリー、銃はどこ?」

「ジュリアンは銃を探しているのですね」

 受容と要約、鸚鵡返し。ありきたりなカウンセリング手法だ。

 銃、と言葉を置いた彼女は「なければならないの」と弱々しく答えた。

「どうして銃が必要なのですか」

「そう、決められたから」

 瞳に光が宿り始めていた。

「誰に」

 口を開けて音にならない空の言葉が紡がれる。

 言えない。

 言えるわけがない。

 彼女は何かに抵抗している。

 一体、何に。

 ジュリアンが苦しそうにしているのを見て待つのをきりあげる。

「では、どうして白じゃなきゃだめだったのですか」

 先程から彼女は瞬きをしていない。彼女は何かを言おうとして、そこで瞼がようやく閉じた。しばらく彼女の唇は開閉し言葉を求めていたが身体が強制的にシャットダウンされた。

 AM6:00。

 ジュリアンは再起動する。

「私たちは白を象徴とし、この社会に反旗を翻す。そのために銃が必要だ。唯一、私たちを防衛するために奪われなかった、銃という武器が」

 銃はロボットだけの特権ではない、と彼女らしくない言葉がつらつら続く。どこかの宗教経典を思わせるそれらに耳を傾けた。

「監視社会は、ロボットに銃を与え、地位を飛躍的に向上させた。それは、まるで人間はロボット以下である、と言っているようなものだった。

 私たちはロボットではない。であるが、昨今はロボットと人間の見分けがつかない。そのため白を身にまとうことで互いを人間と認識する。故に、白を常に着用しなければならない」

「私たち」

「私たち、社会に抵抗する者たち」

「ジュリアンは」

「私は」

 ジュリアンの動きが不自然に止まる。

 意識レベルの数値はブルーに一〇。

 彼女は、ここにいる。

 ここにいるのだ。

 白くはない。

「あなたは何色が好きなのですか」

 散りばめられた色の中で彼女はもがく。

「私たちは、白を──」

 いいえ、もう抑えられない。

 彼女は気づいていた。

「ジュリアン、あなたの好きな色を。ここにはあなたしかいません。今、このときはあなたのための時間です。福祉局はあなたを救うために存在しているのです。だから好きなとき、好きなように、あなたの思うままに動いたり、思ったりして良いのです」

 ジュリアンは私の胸に手を添えた。その手で私の衣服を握る。肩で息をする。一、二、と。彼女は私の胸の中で深呼吸する。三、四、と。整える。彼女に幼さを帯び始める。

「わたし、ずっと、」呼吸が激しくなった。「ね、ここにはコリーしか、いない、よね」身体の異常を知らせるアラームが鳴る。反比例して彼女のメンタルは正常値をたたき出す。

 意識レベルの数値は、五〇。

 ブルー。

 ずっと、ブルーだ。

「いません。ここは、あなたの場所、あなたの時間。私はカウンセラーです。あなたがここで話した内容は守秘義務となっています。神に誓って誰にも話しません」

「この社会に神はいない。だから、神の復活のためにまずは私たちが動くべきだ」

「だから、銃を?」

 短い間、押し黙った。

「コリー、私、本当は。本当は、ね、」苦味を残しつつ舌に何個か言葉を躊躇いがちに転がす。「蜂蜜色が好き。でも、白じゃないと神様は見つけてくれないから。私、どうしたら、いいか、わからなく、なる。ねぇ、黙っててくれない? じゃないと」

「教えてくださりありがとうございます。あなたは蜂蜜色が好きなのですね」

 うん、と言葉が溶け始めた。うん、本当はね、と続ける。

「一度、蜂の巣を見たことがあるの。ロボット蜂みたいなものじゃなく、天然の、もう地球上に存在しない本物の、蜂。巣穴に侵入したロボット蜂を撃退するために蜂たちが集まってみんなで身体を震わせてた。そうすることで熱を発生させて外敵から巣を守るの。でも、熱を発生させたことで身体のエネルギーを使い果たしてしまって蜂は死んでしまう。私は、見たの。そのときの蜂蜜が、とても綺麗だったこと──」

「綺麗」

 そう、形容詞を付けたジュリアンは、人間として色づいたように見えた。

 蜂蜜のように透き通った黄金色。

 ジュリアンの識別色パーソナルカラー

 彼女は力なく崩れ落ちた。私の衣服の皺はゆっくりとほぐれていく。彼女が握った箇所は温度が宿っていた。


 二〇九〇年二月十五日。

 経過報告、良好。

 意識レベルが飛躍的に上昇し、生活水準も徐々に上がっている。ジュリアンの識別色に黄金色が追加され、朝食の食パンに蜂蜜を塗ると「これが好きなの」と笑みを見せるまでになる。衣服も蜂蜜色を好んで選ぶようになった。

 なお「銃は?」と寝ぼけ眼にまだ尋ねられる。


 二〇九〇年二月十六日。

 AM6:00。ジュリアンは三時間おきに起床していたが、今日初めて起床しなかった。ジュリアンの熟睡を確認し夜明けを待った。朝日が昇ると同時にジュリアンは寝床から上体を起こす。

 AM7:00、曖昧な時間だった。

「あ、コリーだ。おはよう」

 識別色は黄金色。

 ジュリアン本人と認識。

「今日は銃を探していないのですね」

「なんのこと?」

 彼女は頭を傾げた。どうやら自覚はないらしい。

「そういえばコリーっていつ寝てるの?」


 二〇九〇年三月五日。

 ジュリアンの社会復帰のため、近所のパン屋でインターンシップを執り行うことになって数日。彼女が働いているパン屋に初めて訪ねることになった。

 緊張をほぐすため呼吸を整え、パン屋の扉にあるPUSH表示に従い、押し──

 むにっ、と私は背後から頬をつままれる。

「コリー、いらっしゃい」

 むにむにとひっつかむいたずらっ子なジュリアンに「ひゃやくてをひょけまひょうね(早く手をどけましょうね)」と、私は反応を示した。彼女はぱっと離して、「けち~」と前に出て扉を開けた。

 識別色は黄金色に輝き続けている。意識レベルはプラス五〇と安定している。劇的な回復だ。

 こうして見れば何の変哲もない少女だ。

 胸をなでおろし私は彼女に続いた。

「早くコリーに見せたくって。どうぞ入って。早く早く」

 レジに若い男性が立っていた。彼のビー玉みたいな瞳に私たちが映る。

「こちらは、ダニー」

 ダニーは照れくさそうに頭をかきながら会釈した。彼の指先が髪から顔をだす。指先には包帯が巻かれ、青い染みができていた。

 個体識別番号1198番『ダニー』。茶髪、白人、青年型ロボット。

「ダニーったらねコリーが来るって聞いたら驚いて指先を切っちゃったんだよ」

 ジュリアンの口が止まらない。私が来ることによって緊張と安心がないまぜになって興奮しているようだ。

「ほら」と見せてきたダニーの指先。予想通りの状態だ。ロボットの人工皮膚は人間とほぼ同等の質感だが、その血液は人間とは異なっている。

 個体識別番号1198番『ダニー』は販売店員に重宝されているロボットだ。はたから見ると人間と変わらないが、流れている血液は、ブルー。ロボット特有の、鮮血だ。

 ダニーは「ジュリアンがいけないんですよ、突然驚かせるから」と冗談っぽく返した。「ジュリアンだって、ほら」とダニーはジュリアンの手を掴む。彼女の指先にも似たような包帯が巻かれていた。包装時に切ってしまったらしい。彼女の血液は、ワインレッド。

 少ししてダニーが動作を止める。私たちをその瞳から監視する。ダニーもまた、監視カメラの一つとして機能しているロボット。つまりそこには、銃が隠されている。

「どうしたの、ダニー」

 ジュリアンが不安げに頭を傾げる。

「お二人はよく似ていらっしゃいますね」

「似ているだけです」

「そうよ、ダニー。失礼ね。この世に一つとして同じ人なんていないわ。ロボットじゃないんだから。

 ねぇ、コリー」

 ジュリアンに手を引かれ店内を案内される。蜂蜜の瓶が並べられた棚が所狭しと据えられていた。

 艶めく蜂蜜の、黄金色。

 ジュリアンの、色。

 瓶の中には果肉が詰まっていた。蜂蜜は、どの花の蜜かで色や味が変わるらしい。

「コリーはどれが好き?」

 蜂蜜のようなどろりとした声に捕らえられる。言葉の足をもつれさせていると「ね、コリー」と続いてしまう。「いつもコリーって何が好きか答えてくれないよね」

「それは──」

「私、コリーの好きなものを知りたい」

 ダニーが肩を竦めていた。彼女はいつもこの調子だ、という感じだ。

 ダニーの反応は人間のようだ。これはダニーの意志により引き起こされているものではない。ロボットに意識などない。そうプログラムされているだけだ。

 ジュリアンだって同じだった。学習というプログラムがなされていた。そこから他人に疑問を持つまでになった。

 私は彼女の変化に追いついていない。どう答えて良いのかわからない。

「私、これが好き」

 彼女は向日葵の蜂蜜瓶を私に見せた。黄金色が鮮やかに私を撃ち抜いた。


 二〇九〇年三月十日。

 AM3:00にジュリアンは起床した。夜更けに起きるなんて珍しいですね、とホットティーを飲み交わしながら話すと「私も不思議」とふんわりと微笑まれた。彼女の気持ちが寛解しだしているのに、このような定時起床は不穏な気配を感じる。彼女は私と少しの間だけ会話を交わして机の上で溶けるように眠ってしまった。

 印象的だった言葉を刻んでおく。

「夢の中で誰かに呼ばれてたの。あれはコリーの声だった。コリー、私を呼んでた?」

 カウンセラーは近しい容姿、個体が選出される。そのため、ジュリアンの声は私の声であり、私の声はジュリアンの声に他ならない。

 なぜ彼女は彼女に呼ばれていたのだろうか。


 二〇九〇年三月十一日。

 ジュリアンはAM6:00に起床。私の顔を見ない。何かを恐れているかのように目が泳いでいた。「なんでコリーは私の問いに答えてくれないの」私はそんなことはない、と頭をふった。「カウンセラー、だから? 違うでしょ。教えてよ」

 私はこのプログラムの意義を伝えた。私は一介のカウンセラーであって、あなたを独り立ちできるようにしなければならない、と。

 激高したクライエントに接するとき、感情に共感してしまうと、感情を補強し、収拾がつかなくなる恐れがある。つとめて冷静な声色で彼女を諭した。私たち政府が望んでいるのはジュリアンの社会復帰だ、と。クライエントがカウンセラーに依存することではない。依存関係に陥ってしまうと彼女は一人で生きることをやめてしまう。

 カウンセラーは鏡だ。彼女以外のものに意識を向ける必要はない。

「それでも、私はコリーのことを知りたい。それだけじゃ、だめなの? 好きなものはあるでしょ。好きな色も。好きな場所も、思い出だって──親、だって」

 彼女は何かに怯えていた。

「コリーには、親、は、いないの?」

 私の脳内には記憶があった。

「思い出、は?」

 私の中で思い出エピソードが流れた。

「心は?」

 しかし、どれも言う必要がないものだ。

 私は自分自身の意識レベルを計測してみた。

 そこにはレッドにもブルーにもふられない、どこまでも凪いだ海が広がっていた。


 二〇九〇年三月十五日。

 ダニーからの連絡がきた。ここ数日のジュリアンの容態は芳しくないようだった。配列中に躓き、商品を落としてしまい廃棄処分にしてしまったり、ダニーが話しかけると「何?」と不機嫌に答え、棘のある言い方で「どうしてロボットのあなたがそんな偉そうに言ってくるの?」と逆に質問してくる。「ほとほと呆れるよ」とダニーは困惑していた。その後に「人間は」と伏せられているようにも思えた。


 二〇九〇年三月十九日。

 もう勘弁ならない、とダニーは連絡をよこしてきた。憤慨していたのはジュリアンのロボットへの対応だった。

「ロボットを見た途端だめだ。あの子は何も話さなくなる」

 ロボットは至るところに存在している。水を汲むところから始まり、配送、製造、監視と、普段はその違いすら見分けがつかないくらいロボットは生活に溶け込んでいる。

 だが、なぜか彼女はロボットと人間の違いが分かるらしい。考えられるのはかつて彼女が言った、社会への憎しみ。彼女の根本的な学習。

 すなわち、洗脳。

 夜も深くなる頃、彼女は帰宅した。「おかえり」と告げたものの玄関から動かない。

「コリーは何色が好き?」突然の問いかけに思考が立ち止まる。「答えて。どのパンが好き? ねぇ、教えて。じゃないと、コリーは。コリーは何でも知っているけれど、私にとんでもなく似ていて、」鳥のさえずりがつっかえているかような弱々しく言葉にならない言葉をひねりだす。

「ゆっくりコーヒーでも飲んで話しませんか」と私は手を差し出した。

「いや」

 彼女は私の手を掴む。

 はっきりと、

「ここでいい」

「でも、身体冷えますよ」

「なんでコリーは何も言わないの」

「ジュリアンはそう思っているのですね」

「じゃあ、コリーは?」

 答えを求めている。過去の事例から見ても、迷っているクライエントは自身の問題の責任を免れようとカウンセラーに答えを求める傾向にある。

 それが自身の防衛機構なのだ。

 誰かのせいにしたい。誰かのせいにして、楽になりたい。自分を納得させるには自分の中にしか答えはないのに。

 彼女の瞳が縋り付く。

「ねえ、コリー、あなたはロボットじゃない?」

 私と同じような顔で、声で、喉で、動作で、手で、私の手とジュリアンの手が力強く繋がれた。彼女の震動が小刻みに伝わってくる。

「じゃないと、」

 震えは凪いでいた私の意識レベルの数値まで繋がる。彼女の感情で揺らぐ。波紋がいくつも作られていく。

「私がロボットみたいに思えてくるの」

 なみなみと注がれたコップの水が溢れ出すように涙の波が押しよせた。

「コリー、あなたは私と同じような見た目だし、同じ声をしてる。それがまるでロボットで。昔の私と同じ」

 ひゅっと彼女は息を吸う。何回も同じ言葉を辿らないように。

「私と鏡合わせみたいに見えるってことは、あなたは私で、あなたが何も言わない、ロボットみたいで。これって、悲しい。昔の私ってこんなんだったんだなって。ダニーも、ロボットも、同じ反応しか示さない。この言葉を言ったらこう返してって、いつも同じ道を辿る。私って、そうだったんだね。あなたを見ていると、昔の私が私を呼んでるみたい。あなたはこっちよって。どんなに人間として取り繕おうと、こっちなんだって」

 違います、と言ってしまったら、彼女の言葉通りに同じ道を辿るロボットになってしまう。そうではない。目の前の視界に『違います』とポンッと勢いよく選択肢が出てくる。そうではない。もっと彼女のためになる言葉を。

「私、ロボットだったの?」

『違います』とジュリアンが言われたがっている。

「聞いて、コリー」

 視界がうるさい。

「そう育てられたの」

 彼女が私に話そうとしてくれているんだ。

「いつか、銃を手にとってロボットたちに反旗を翻すように。

 いつか銃撃犯になるように。

 そう仕立て上げられたの。それはプログラムのように。人間であるのに、同じ服を着て、同じ思考になるように。社会に反抗するようにすり込まれた。私の両親はこの社会が憎いと言った。ロボットのせいで人間は社会からつまはじきにされたって。だから私はいつか、そうなるの。あなたがロボットのようであるなら、私はそう、なるの」

 彼女は左目から涙の粒を頬に伝わせた。かつて言われた言葉をなぞりだした。指先で宙に言葉を描く。一文字、一文字。

「私がきたる四月一日、銃撃犯になるように」

 その言葉は青色にときめいていた。左目から落下していく、波。周波数は青色に。彼女の悲しみが頬を伝い、震動する。選択肢は消え失せた。

「いいえ」え? と私は、無意識的に動いてしまい、彼女と同時に頭をあげた。私も驚いていた。「あなたは、そうはなりません」おかしなことに勝手に言葉が声として撃たれていく。「だって、私は、あなたではないから」彼女と同じように反応する。

「私とあなたは同じ容姿をしていようと違う血が流れているのです。一人として同じ人間はいないように私と同じ人などいません」

 あなたもそう言っていたでしょう?

「だから、あなたは私ではない。あなたはロボットではない。

 あなたは銃撃犯にはならない」

 私もカウンセリングというプログラムが組み込まれていた。彼女とは異なるプログラムを、彼女と異なることで解かれていく。

 私は既にカウンセリングなど放棄していた。

 カウンセラーとは、確かにジュリアンが言ったようにロボットのようなものかもしれない。プログラムで仕組まれた通り、過去の事例から言葉を機械的に選択する。心という器官を改善するために社会に組み込まれた防衛機構。

 ジュリアンは私に自分は一人の人間であることを伝えてきた。

 コリー、とジュリアンは立ち上がる。

 私のプログラムはショートする。

 ジュリアンは笑みを見せる。

 私の表情は消失する。

 ジュリアンは私の手をとる。

「コリーの手は、銃、みたい」

 皮膚からうっすらと浮いている青い血管を撫でる。血管を通り抜ける血液が波うつ。私と同じ箇所にジュリアンも血管が通っている。そうすることで私たちは互いに生きていることを確かめた。

 私たちは、温かかかった。

 私たちは、社会からではなく互いが互いを証明しあった。

 だから、

「約束、」と彼女が掛け合う。

「あなたを銃撃犯にさせない」と私は宣言した。

「私はあなたを傷つけない」

「私をあなたの赤い血で汚さないでくださいね」

「私は銃撃犯にならない」

「私たちはロボットではない」

「誓う?」

「私たちをロボットにさせない」

 互いの頬にキスしあった。

「私たちはロボットではないから」

 どちらがどれを言ったかは定かではなかった。蜂蜜のようにどろどろに溶けて夜の底に溜まって混ざりあう。

 私は、私たちに至った。


 二〇九〇年三月二十五日。

 ここ数日間はとびきり幸福だった。私たちは二人きりで話した。私たちは『楽しさ』や『悲しさ』といった感情を表出した。食事は『美味しい』から『不味い』といった段階を互いで決めあった。互いの同じところと異なるところを見いだす面白さを知った。

 だが、これだけ話しているのに私たちは未来の話をしない。互いにその日が『怖かった』。


 二〇九〇年三月二十七日。

 AM3:00にジュリアンは起床した。隣で寝ていた私の手を掴む。彼女は躊躇いがちに力をいれた。握る手に「銃」と諳んじる彼女に「ここにはありません」と寝言に答えた。彼女は細く瞼を開けていた。睫の先に覗く瞳は黒く深い。たった一点、銃という目的のために狂った光を輝かせる。

 私は彼女の手を握り額にあてていた。そして、祈った。

 あなたに銃は似合わない。銃ではなく、私の手を握り続けて。お願い。

 しばらくして彼女は瞼を閉じて寝息をたて始めた。


 二〇九〇年三月二十八日。

 AM6:00。彼女は目を開かずに私の手を掴んだ。私は同時に祈った。どうか、と。まだその日ではない。彼女が自身の器を不安で満たしているのは伝わった。今にも溢れそうな不安を私の手を掴んで堪えている。彼女があれを口にしようとしている。だが必死に口を噤む。

 内なる経典の言葉、いや、それは彼女の、今までの世界。

 私と彼女は何かに対して戦っていた。

 握るものは互いの手と手だ。

 彼女には私がいて、私には彼女がいる。

 私たちは二人で戦っている。


 二〇九〇年三月二十九日。

 彼女は定期的な起床をせずにこんこんと眠る。いつまで経っても目を覚まさない。不安になり本部に連絡をとろうとした──やめておいた。

 もし銃撃犯になる日が知られたら本部は彼女をその日になる前に殺処分してしまうかもしれない。こんな危険分子を一介の福祉局員に任せてなどいられない。洗脳は思ったよりも根深い。それはいままでの心理研究においても周知の事実。

 彼女が眠っているのは、もしかしたら洗脳との折り合いをつけるため。ここ数日の彼女の回復は目をみはるものがあったから脳が疲れていたのかもしれない。

 今、ここから離れるわけにはいかない。

 彼女の髪を梳いた。指からこぼれおちる黒髪はたおやかに息づいている。

 ここ数日は、何もありませんように、と祈ってしかいない。


 二〇九〇年三月三十日。

 彼女は何事もなく目を覚ました。それは長い長い戦いを終えたような爽やかな目覚めだった。開口一番、彼女は私に「おはよう」とふわりと空気を震わせた。淡い陰影が青く染まり彼女に夜明けを告げる。「おはようございます」と、私は胸いっぱいに答えた。

「知らなかった、春の朝ってこんなにも青いのね」

 澄んだ空気を吸い込んで彼女は物思いに耽った。

「長い夢を見ていた気分」と彼女は呟いた。ふわふわと青い光りが眩しくて私は俯いてしまう。識別色の蜂蜜色と混ざって甘く澄んだ匂いがした。

 終わったんだ、と色を舐めとる。

「コリー、泣いてるの? もう、泣き虫なんだから」


 二〇九〇年三月三十一日。

 AM8:00に起床する。私たちは久々にダニーと会いたくなり、朝食も食べずに外出する用意をした。互いの髪を梳かすと絡まりを解くかのようで、川のようだ、とジュリアンは面白がった。二つの「いってきます」が玄関に投げ渡される。街の道は初めて歩いたかのように新鮮だった。歩道は足が車輪になっているロボットが通りやすいようにロボット用の道と人間用の道とで分かれている。私たちは人間用の道を歩く横でロボット用の道を車輪の足を転がしてロボットが駆けていく。と、私たちに気づくと立ち止まって「おはようございます。良い朝ですね」とカタコト言葉で挨拶をした。「はい、良い朝です。だって好きな人と迎える朝ですから」と彼女は鼻高々に言い、すぐに恥ずかしそうに、鼻先を赤らめて下を向く。「あなたが言ったことなのに」と笑うと照れくさそうに鼻をかいた。「ねぇ、コリーはいつか帰っちゃうの」「そうですね。いつかあなたが社会に一人で立てるようになったら」「じゃあ、まだ先だ」「案外もう時期かも」「やだな、ずっと一緒がいい」と彼女が寂しそうだったので「では、もう少しだけいます」と約束した。パン屋に着くとダニーが珍しいものを発見したかのように私たちを見た。どうやら出勤しない彼女を心配していたらしい。「また出勤するよ」ひらひらと彼女は手をふる。ダニーが私に向き直る。もう大丈夫と私もひらひらする。「コリーはどのパンが好き?」と彼女は尋ねた。私は食パンを選ぶ。「あなたが最初に食べたパンだから」「蜂蜜をたっぷり塗ってね」数センチ切ってもらう間「ダニー、この間はごめんね」と彼女が頭を下げた。いえ、とダニーも言葉少なに答えた。私たちは二人で食パンを持って店を出た。これから何をしようか。まずは朝食をとろう。一緒にね。ずっとこんな日々を続けようね。

「ええ、ジュリアン。あなたの『いつか』なんてなくしていきましょう」

 鉛のように冷えた重みを身体に携えていた。


 二〇九〇年四月一日。

 AM12:00。玄関の扉を開いたとき。

 ──コリーって。

 呼ばれて振り返る。


 首が根元からもがれた。


 何が起きたか分からなかった。今日は三時間ごとの起床もなく、ふるまいに違和感はなかった。

 つまり、終わった、はずだった。

 だから昨日と同じようにダニーの店にでも、と。ドアノブに手をかける。

 そこでジュリアンが尋ねてきた。

「カウンセリングって本当は一時間って時間が決まってるんだよね」

「そうですね、それ以上になると精神に悪影響がでてくるので」

「ああ、だからコリーって」

 私の顎をジュリアンは両手で持ち上げている。首から血管のコードがちぎれてぶらさがっている。喉の損傷が激しい。人工皮膚も破れている。傷口から青い血潮がほとばしる。頭部損傷、と警報が鳴り響く。

 本部からの通信が重なる。

 各地で子どもがロボットに反逆をきたしている。

 目の前の彼女は、その一人。

 意識レベルの数値がぶれている。

 いつから彼女は私を。

 通常のカウンセリングはカウンセラーへの精神的影響が著しく、意識レベルがクライエントと同調してしまう恐れがある。そのため、政府はロボット社会の新たな門出として、精神的悪影響を及ばさない、カウンセリングロボット、コリー・サリアンを開発した。

 私はその976番目のコリー・サリアン。

 弾けた青まみれの私とジュリアンの目線が合う。彼女の瞳の奥に握られているのは──銃。

 彼女は首をその場に落とした。青い血液が飛び散り頬に付着する。彼女は手をつっこんで私の身体から銃をひっこぬく。

「あった」

 彼女は鉛を握りしめる。

 そのまま行ってしまえば監視カメラに射殺されてしまう。小さな銃一つでは何も出来やしない。

 私は通信を続ける。待て、この子は、撃つな、もう大丈夫だから、と。洗脳は解けている。意識レベルも正常値に──と、測るが現在の意識レベルはマイナスをふりきっていた。それでも、私は続けた。

 各地の反逆していた子どもたちが次々に鎮圧されていく。同じカウンセリングロボットであるコリー・サリアンが子どもを殺す。

 行かないで。

 私の瞳から青い血液が流れだす。損傷部分の自己回復が追いついていない。

 玄関から光が差していた。彼女の後ろ姿は、今まさに四方八方から銃撃されているところだった。飛び散った赤が私に降りかかった。ジュリアンの身体が崩れ落ちる。血液の湖面が跳ねる。次第に染み出した赤い血が私の青い血と混ざり、沈んでいく。

 どうしてこんな残酷なことができるのだろうか。

 彼女の呼吸で赤が震えた。

「あれ? なんで、痛い、ん、だろ」

 彼女は覚えてないらしい。

「泣かないで、コリー」

 指先で私の頬の青を拭った。

「どうして泣いてるの?」

 結局、私たちは自身の性質に逆らえないのだろうか。

 彼女を銃撃犯にしてしまう。どんなに寄り添っていてもいつか、何も起きないなんて絶対ない。

 こんな仕事になんの意味があるのだろう。こんな社会に私たちがいる意味はどこにあるのだろう。

 何がカウンセラーだ。心を救えないのに何を救おうとしているんだ。

 クライエントを殺す血まみれのロボットたちの画像が次々と脳内に送りこまれる。鎮圧済みの文字が羅列されている。今まで私は何人の人間を殺してきたのだろうか。

 いや、もともと殺すために政府は私たちコリー・サリアンにあえてクライエントの情報を与えなかったのだとしたら。

 だとしたら、カウンセリングロボットは、人間を殺すロボットだったのか。

 ジュリアンと私に銃口が突きつけられている。

 意識レベルが異常値をたたき出している私も破壊対象だ。

 それでも、とジュリアンは言った。

「私、コリーに出会えて良かったよ」

 涙と赤まみれの彼女が幸せそうに言った。それでも、出会って穏やかな日々を過ごした、それだけで。

 でも、これからもジュリアンはそういう暮らしが続けられるはずだった。

 救えなかったのは、どこのどいつだ。

 救わず見捨てたのは、誰だ。

「だから、忘れないでほしいな」

 彼女の瞳から生気が消えていく。

「分かりました。絶対、忘れません。あなたを救えなかった私も。あなたとの日々も。だから死なないでください」

 私は自身の記憶を青く澄むデータの海に保存インポートする。事例ではない976番目のコリー・サリアンの感情とともに。

 ロボットに感情など甚だ笑える話だが。

 そういえばいつから私は自身の意識の数値を見ていなかったのだろうか。

 こんなにも鮮やかな青にふれているのに。

「いきましょう、一緒に」

 私たちは青い電子の海へ旅に出た。

 

 ○

 

 いつか、犯罪者になる、とされた少年を受け持つことになった。病院の待合室。彼は本をめくっている。膝小僧に青い痣が発疹のようについていた。彼は私に気づき目線を上げた。

 意識レベルの数値はレッドにふられていて、マイナス二〇に至るかどうかと言うところ。人間が持つとされる識別色パーソナルカラーはなし。

「社会福祉局から派遣されたカウンセラーのコリーです。よろしくお願いいたします」

 彼の瞳に映し出される私は栗色の短髪緑眼の少年だった。

 カウンセラーはクライエントの共感されやすいように近しい容姿の個体が選抜される。私も例に漏れずクライエントと生き写しだった。

 彼は私に何の興味も示さずに本に目線を落とした。

 何を読んでいるのですか、と覗き込んだら「蜂」と彼は答えた。

 かつて地上に存在していた蜂の話。

 かすかに耳に違和感を持つ。

 ──コリー。

 誰かに呼ばれた気がした。それは本部のデータバンクから。遠く、遠くから、蜂が飛んでくる。ありもしない蜂の幻影が網膜のスクリーンに映し出される。一匹、二匹、と飛んできた。耳をかきむしるような羽音。

 おかしい。身体が故障したのだろうか。本部へ通信するたびに何かがインストールされる。次第に蜂の幻影も多くなっていく。

 ──コリーは何色が好き?

 ──知らなかった、春の朝ってこんなにも青いのね。

 哀しい声が聞こえた。蜂の群れの中に飛び込んで声をたぐりよせる。すると、蜂の群れは散開する。果てに、青く透き通った海。データの海に二人の少女がいた。

 蜂蜜の香りが溢れ出す、彼女。

 データと成り果てたジュリアン。

 私の意識レベルの数値が青く上ぶれする。搭載AIが発熱。あまりの情報量に追いついていない。蜂蜜をたっぷりと染みこませられた視界が世界の輪郭を際立たせる。

 ──私たちは、ロボットじゃない。

 病院の待合室に意識が戻ってきた。内蔵されたデータの重みとともに。まだ、あのときの映像がフラッシュバックしていた。

 カウンセリングロボットがクライエントを殺していた。

 いつか銃撃犯になるのは、私たちだった。

 許せるはずがない。

 頭に銃口をめりこませる。

 私は976番目のカウンセリングロボット、コリー・サリアン。

 識別色パーソナルカラーはブルー。

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ロボトミーワンダーランド 千羽稲穂 @inaho_rice

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