ドングリ

 メメの頬がカペルの胸から離れた。

「ね、ここ硬いよ。大丈夫?」

 焚き火の前、防寒用の大きく分厚い毛織の外套がいとうに二人でくるまっていた。

「産まれつきあるだよ。問題ない」

「ドングリ入ってるんじゃない?」

「なんでだよ」

 メメがとしこりをひっかいたり、爪弾いたりしている。頭まですっぽりと外套に埋まったままじゃれついてくる姿に、カペルは小動物を胸に抱いているような気分になった。

「このドングリ、気持ちよかったりする?」

「そのドングリは別に、痛くも痒くも。触られてるなとしか」

「こっちは?」

「――!!」

「かーわいい。カペルかーわいい。聖女をさらった極悪人ゴクアクニンのくせに」

「さらわれたのに楽しそうだな聖女様は――ッ!」

「たーのしー! ね、カペル。もっかいしよう。何回でもしよう。どこでもしよう。ずっとずっと、死ぬまでしよう」 

「死ぬまでか……俺は死んでも、女神様の所には行けないんだろうなぁ」

「わたしも行かない。ワルワルいカペルと一緒にちるよ」

「『黙って俺の女になれ』」

「きゃー、悪いヒトだ!」

 メメがはしゃぐ。カペルは意図せずにそんな言葉が出たのに驚く。そして、いささか昏い色の喜びを覚えた。ほくそ笑むような気持ちに近かったのは、悪人のフリをしたからかと思う。その昏い喜びに惹かれて、メメの両手首を掴み、上に引き上げた。

 外套が落ちた。

「どうしよう、抵抗できないかも」

 無防備なメメが挑戦的な笑みを浮かべる。その唇をカペルは食む。長い口づけの後に「やっぱりさむい」とメメが唇を尖らせた。

 我に返ってカペルが外套を掴んだ時、馬の駆ける音が聞こえた。


 カペルがナタを掴み、メメの手を引いて立たせる。森の奥へ逃げようと踏み出した脚は、突然に力を失った。

 がくんと膝をつく。鉈を取り落とす。

 矢だ。左脚が射られていた。

「カペル!」

 メメが助け起こそうとする。

「離れるのだ、聖女よ!」

 振り向く。声の主には見覚えがあった。儀式を手短に済ませ、親に報告するからと早々に帰っていった騎士だ。

 弓を捨てて馬から降り、剣を抜いて近づいてくる。

「メメ逃げろ……!」

 立ち上がろうとするカペルに首をふり、メメは鉈をひったくって怪我人を背に庇った。

「止まりなさい! わたしたちをほっといて!!」

「何を言いますか聖女よ! 館に戻るのです! お役目をお忘れか!?」

「止まらないなら、死にます!」

 鉈を両手で持ち、自らの喉にあてがう。聖騎士の歩みが止まる。メメは声をふり絞る。

「役目なんて知らない! あなたたちの事なんて知らない! わたしはこの人と一緒がいい! みんなわたしを見向きもしなかったくせに、こんな時だけ来ないでよ!!」

「子供のような事をおっしゃらないでいただきたい!」

 聖騎士も声を荒げる。


 カペルもメメも荒事に置いては素人であり、目の前のことで手一杯だった。

 対して聖騎士は、いまメメと相対している男は、本物の騎士だった。決して視線を泳がせるようなことはしなかった。

 背後からもう一人近づいて来ているのに、二人とも気が付かなかった。

 足音、物音、カペルのうめき声。

 振りむいたメメは、カペルの背から胸へと抜けた剣を見る。

「カペ――!」

 もう一人の聖騎士、先日に聖女の首を絞めた男が、メメを殴りつけた。



 目の前がちかちかする。

 言い争う声がぼわぼわと聞こえる。


 ――貴様正気か!? 聖女に手を上げるなど!

 ――いやいや旦那、待ってくださいよ。賊も仕留めて、聖女さんも大人しくさせたのに、なに怒ってんスか?

 ――聖騎士が婦女子に手を挙げるなど、言語道断。貴様、騎士の風上にも置けぬ。

 ――即席騎士なんで、ムツカシイことよくわかんないんスけど、聖女さん連れて行かなくていいんスかね?


 その足元、メメはカペルへと這いずる。

 膝をつき、胸から突き出た剣先をカペルの両手が握っている。剣を伝う血がその両手を濡らしていく。

「やだ。やだ。カペル。嘘だよ。嘘って言ってよ」

 カペルの目がメメを探している。それを見るメメの目は涙でぼやける。

「メメ……君は……俺のも、の、だ……」

 カペルの喉が絞り出した言葉に、掠れる声でメメが答えた。

 遠のくカペルの意識に、涙混じりの言葉が届いた。


「そうだよ。わたしは、なにがあっても、あなたのものだよ……!」


 カペルの胸で、ぱきりと、ドングリが鳴った。

 カペルは唐突に意識が明るくなるのを感じた。自分の声が胸の中に響いた。


「よくやった」


 そして闇が一斉に芽吹く。

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