シクラメン

 秋の終わり、冬の訪れを前にして、聖女のつとめは忙しくなっていった。

 午前中から来館がある日も増えた。

 海や庭を眺める時間は少なくなった。


「なんかね、うまく言えないけど、騎士さんたちもどこかおかしいの。毛も生えてないような男の子まで来るの。それに、なんかね、怖い感じの人も、増えてて」

 部屋の戸が叩かれた。

「――でもみんな、戦いに行くんだよね。わたしもがんばらないとね」

 聖女は務めに出ていった。 


 次第に、聖女にも疲れの色が濃くなっていった。

 一日に四、五人を聖騎士に仕立て、夜更けに眠って、数時間の後にまた最初の騎士を迎えるような日も続いた。窓の開かない日もあった。


 疲れているのだからと園丁は自らに言い聞かせていたが、冬が始まり、楽しみにしていた篝火花シクラメンが咲いた朝、一輪の花を摘んで梯子を登ると、そっと窓を叩いた。

 カーテンが揺れて、人の気配があったことに園丁はまず安堵した。

 カーテンの隙間から華奢な手がのびて、窓を開けた。

 カーテンごしに聖女の声がした。

「外、寒いね」

「あ、そうか。悪かった。篝火花シクラメンが咲いたんで、一輪摘んで来ましたよ聖女さん」

 それでもカーテンは開かず、少し迷ったが、園丁は花を持つ手を隙間から差し入れた。まるで聖女の私室に踏み入ったような心持ちがして、図らずも胸の高鳴りを覚えた。

 花を持つ手に聖女の手が触れた。そのまま両手で包まれたのが分かった。

「手、つめたいね」

「外にいるから」

 答えながら園丁は戸惑う。花は受け取られていないし、聖女は何も言わない。

 胸に疼きを感じて、園丁は想像する。手に持った花を放って、聖女の細い手を握り、窓から引っ張り出すところを。

 または、このまま窓から中に入り、衝動のまま聖女を掻き抱くところを。

「ごめんね。最近起きられなくて」

「忙しいんでしょ? 大事なお務めだし、無理ないよ」

 上滑りするような受け答えをしながら、園丁は花をつまむ指を緩めた。大切なのは花ではなかった。

 聖女の手を握る。親指の根元の、いちばん柔らかい所をあやすように撫でる。力を籠めたら割れてしまいそうな手の甲を、武骨な指で守るように包む。

「……大丈夫?」

「うん……」

 か細い声が返ってきて、手を強く握り返された。聖女は園丁の手や指を確かめるように何度も握り、先ほどよりは安らいだ声で、ぽつんと言った。

「お花、床に落ちちゃった」

「また新しいの持って来る」

「いいよ。あとで拾うよ」

 園丁の手に、暖かな息がかかった。薄い手で何度もさすられ、息を吐きかけられた。

「ほんとに冷たいね」

「あんたが暖かいんだよ」

 園丁の手が引かれた。手のひらに口づけられた。唇が離れ、次は親指と人差し指の間をまれた。園丁は目を閉じ、冷たく荒い外壁に額をつけ、彼女の顔を思い描いた。

 手探りで、彼女の頬をなぞった。そのまま指を髪に通し、小ぶりな耳を撫で、薬指が首筋をくだり、親指が鎖骨のくぼみに収まった。

「あのね、わたしね」

 園丁の手の甲を、彼女の指がたどった。想われている、ということを思い知るのに充分な指先だった。



「わたし、メメ」



 声を返せば何かが暴れ出しそうで、園丁は梯子を強く握った。

「わたしの名前。メメ」

 俺は、と園丁は掠れて消え入りそうな声を出す。

「聞かせて? わたし、あなたの事、名前で呼びたいの」

 手が熱かった。頭も熱かった。それ以外も全部熱かった。冬の裏庭で唯一の熱い塊となった園丁は、カーテンの向こうのメメに、自らの名を告げた。

「おれ……俺は、カペル」



「カペル」



 再び思い知らされた。メメの声は幸福という形になって耳から首の後ろを通り、全身に広がってカペルの喉を震わせた。

「……メメ」

 メメが笑ったとわかった。お互いが触れているわずかな肌と、手にかかる吐息の流れがそう感じさせた。

「カペル」

 その時、部屋の戸が叩かれた。

 二人は同時に身をこわばらせた。

「はい! すぐ行きます!」

 メメが部屋の外へ答える。カペルは手を離したくない。しかし、メメが手を押し戻してくる。

 カペルの手がメメの部屋を出た。彼女の手が離れていく。

 その手が窓にかかった。海から北風が吹いてカーテンがなびいた。窓の閉まり際、カペルとメメの目が合った。

 

 メメの驚いた顔が悲しげに歪む。その光景はカペルの目に焼き付き、カーテンが閉じた。

 メメの顔が腫れていた。唇が腫れていた。輪のような痣が首を周っていた。

 暴力の跡があった。


 カペルの胸は激しく疼いた。梯子の上で館の外壁を殴りつけた。それだけでは飽き足らず、梯子を降り、スコップで力いっぱいにカペルは、館の壁を打った。

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