裏庭のチューリップ、枯れて
帆多 丁
イチゴ
「怖がらなくていいの。私があなたを導くから、どうか恐れないで」
そうして聖女の胸のなか、とある騎士は聖騎士になった。
「ねえ、優しく口づけをされると気持ちいいでしょ? わたしもそうなの。優しい口づけをしてほしいな」
そのように聖女に抱かれ、別の騎士も聖騎士になった。
「ね? 大丈夫だから。ちょっと緊張したりすると、そういうこともあるから。ほら、気を取り直して。自信をもって。お茶いる? すねないで、わたしの目を見て。――あなたの目、透き通ってて綺麗よ。ね、キスしよ? ……あ、来た来た来た来た! ほら勃った! ね? 大丈夫だったでしょ?」
このように聖女に励まされ、また別の騎士も聖騎士になった。
聖騎士は魔なる者を打ち払う。
清らかなる騎士が、純潔を聖女に捧げることで生まれる。
幼い頃に見出され聖女として育った娘は、女神の代理として、夜ごと聖騎士を生み出す。
女神は人を愛していた。人は女神を愛していた。
そしてこの蜜月の終わりが、密やかに芽を出そうとしていた。
その春の日は、騎士の来ない日だった。
前日にひとり来ていたが、日没前にさっさと
「なにそれ……? もう寝る。今日はたくさん寝る」
結果として聖女は翌日、早起きした。
「すごい! 早寝すごい!」
感動と共に聖女はカーテンを開き、上げ下げ窓を押し上げる。窓の向こうは裏庭と崖と海。潮の香り、若葉の匂い、
開放感のままに、二階から無遠慮に叫ぶ。
「はるー!」
「……はるー」
海はこだまを返さない。返ってきたなら魔物がいる。
驚いて見回し、裏庭の石に若い
浅黒く日焼けした男で、無造作に縛った黒髪が束ねた若枝のように跳ねている。園丁の武骨な左手には、山盛りの
「春だよなぁ。おはようございます」
「だれ? 何? 魔物?」
「俺は人間で、この裏庭の手入れを頼まれた園丁で、ちょっとした花壇を作ってんだわ。今から休憩して苺を食べるところなんだけど、食べるかい?」
「男の人なのに、可愛らしいものを食べるのね」
「こっちは騎士さんじゃないんでね。食べ物が強そうかどうかなんてどうでもいい。苺は可愛らしい上に体に良くて
「いいの? あ、でもわたし取りに行けない」
「館を出ちゃいけないんだっけ? こっから投げるんで、両手を出して。お皿みたいに。そうそう。そのままじっとして。ほら」
園丁が軽く放った苺は放物線を描いて、聖女の手のひらの上へ、小鳥のようにそっと降りた。
聖女は早起きするようになった。
騎士との一夜が明けたらぐずぐずさせず、早々に送り出すようになった。
雨の日は園丁が来ないのでふてくされた。
園丁の姿がなければ二度寝した。
しかし、外から土をいじる音がすれば起きだして、窓を開けた。
「おはよう園丁さん。すごい雨だったね」
「あのね園丁さん。料理長がクッキー焼いてくれたんだけどね」
「ねえ聞いて園丁さん。昨日の騎士様ってばね」
二階の窓が開けば、園丁は作業の手を止めて休憩を取る。
「おはよう聖女さん。いやー参った参った。水はけを考え直さないとだ」
「おやおや聖女さん。もしかして俺にもくれるってことかな?」
「どうしたのさ聖女さん。なにか嫌な事でも言われた?」
やがて、裏庭にも花が咲くようになった。
園丁は裏庭にこっそり
「つぶつぶ!」
「ローズマリーの種だ」
「あの青っぽい紫のお花ね」
「そう。これがその葉っぱ」
「いい匂い! お肉にかかっているの見たかも」
「それ。こっちが三色スミレの種」
「つぶつぶ!」
「種はみんな粒々だ」
「えー? じゃー……、クルミは?」
「バカでかい粒々」
「ずるい!」
午前の小一時間をそうやって過ごし、聖女が
「もしかして、苺のつぶつぶって、種だった?」
「そうだよ」
「じゃあ、おヘソから苺が
「三年たったら」
「え、すごい。取り放題で食べ放題」
「冗談だよ生えないよ」
「生えてよ」
「腹ん中じゃ種は育ちませんて」
「子種は育つよ」
「いきなり生々しい……」
「おー、照れましたかぁ?」
「
「まあ、わたしのお腹じゃ子種も育たないんだけど」
「……」
「黙らないでよ。聖女ってそういうものなんだから。病気しない。妊娠しない。毒も効かない。体の中がすごい安定してるんだってよ? むてきむてき」
「あー……ともかく動物は、例外。植物の種の話だって」
「おやぁ? 話を戻したなー? あ、でもそういう植物の魔物もいるそうよ。こわーい」
「魔物も例外」
「ずるい!」
そうして秋が深まってきた頃、園丁は手に入ったばかりの球根を手に、ほくほくと梯子に登った。
「ほらほら、見てよ聖女さん」
「わあ、おいしそう!」
「食べる用ではないです」
「あら、じゃあ植える用?」
「そう。ここいらじゃまだ新しい花なんだけどね、今植えれば来年の春には――」
部屋の戸が叩かれた。
園丁は窓辺に乗り出していた身体を引っ込め、外壁に隠れた。
聖女は海を眺めるフリをしながら、小声で告げた。
「もうお
寂しそうに伸ばされた聖女の右手を園丁も右手で取り、その指の細さや
上げ下げ窓が下ろされて、閉じる。
「――来年の春には咲くよ」
言えなかった部分を誰に言うともなく口にして、園丁は梯子をおりた。
そして、花咲くところを思い浮かべ、部屋の窓から一番きれいに見える配置を考えて、丁寧に球根を植えていった。
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