21.カッコ悪くてもいいから、きちんと二人でやり直そう。

 もう一度ちゃんとしたキスをしてから灯莉はとても大事なことを思い出した。

 自分が抱く側の時は特に気にならなかったが、抱かれる側になるとこんなに気になるんだなと言う大事なことだ。

 ここに来る前に一度自宅に帰って準備をしてくれば良かったと今更ながら思うけれど、多分自分の中で生まれた折角の勢いを殺さないことだけを意識してここまで乗り込んできたせいですっかり忘れていた。


「透麻、俺シャワーしたい」

「今ですか?」

「うん。三分で戻るし、後恥ずかしいからマネージャーさんには帰って欲しい」


 これから何をするかなんてきっとバレバレ……というか他に何をするの? レベルで分かり切っていると思うけれど恥ずかしい物は恥ずかしいのでハッキリ告げる。すると透麻の表情が何故か一気に険しい物に変わった。


「……俺より先に那岐に会ったんですか?」


 その目の据わりっぷりに呆れるより先においおい待て馬鹿何処に行くと言う感情の方が強く出て灯莉は深山の判断に心の中で拍手を送りつつ正直に事情を話す。


「顔は見てないよ。お前が嫌がるって彼は気を使ってモッスの紙袋被ってた位だから。妙な言い掛かりはやめろよな」

「――はい。お風呂は要らないんで、那岐だけ帰しますね。アイツ一応新婚なんで」

「え?」


 さっと身体を離した透麻は思い出したように自然な動作で振り返りちゅ、と唇に一つキスを落としてから入り口までふら付くことも無く歩いてドアを開けた。

 そして低い声で何かを話しているが灯莉は今それどころではちょっとない。


 ――何? 何なの今のキス。

 外人なの? あ、実質帰国子女みたいな生き物なんだっけ?

 え? 昨今の童貞はあんなに掠め取るようなナチュラルなキスをしてくるものなの?

 っていうか俺が風呂を欲しているのに何故お前が要らないとか言うの?


 そんなことを考えている間に透麻はベッドに戻って来て「お待たせしました」と言いながら普通に行為を再開しようとする。

 その流れがあまりにもスムーズ過ぎて灯莉は流石にストップを出した。


「――待て」

「え? い、嫌になりましたか?」


 絶望。

 まさにそんな顔をした透麻に灯莉は「違う」と短く言って、気持ち身体を遠ざける。


「お前明らかに慣れてるだろ? お前だって健全な男なんだから経験があって普通だ。そこは怒らないから、見え透いた嘘はやめろ。俺はそう言うのが嫌いだ」


 人間関係最初が肝心、と真面目な顔をした灯莉を真っすぐ見て透麻は嘘なんて何一つございませんと言うことがありありと分かる顔で笑った。


「シミュレーションはバッチリです! 時間だけはあったんで、手順もイメトレも完璧です! 医学書も見たんで構造もバッチリ把握してます!」

「あ、そう……」


 肩肘を張る方がアホらしくなった灯莉だったが意地でシャワーだけは分捕った。

 流石に頭を洗うことは諦めたが、汗を流して…………なんだ、その、これから初めて本格的に「挿入する」用途で使う部分も洗った。フェロモンがじわじわと身体の内側から受け入れる為の機能を順調に果たし始めていて洗う為に触れた筈なのに生まれて初めての確かなぬるつきを自分から感じた時には死ぬほど複雑だったがそこはもう――割り切る為に必死で思考を切り替えた。だって今更だから。

 そして勇気を出して脱衣所のドアを開けると何故か透麻が目の前の廊下で体育座りをして待っていてこれまた驚く。


「お前……何してんの?」

「あの、近くに居たくて。それと、万が一でも帰られたら辛くて」


 どうやら透麻は妙にカッコつけたりすることをするつもりは無いらしく本音そのままで接してくるようになった。灯莉としてもそれは全く問題無いのだが、この男を知る世間一般のイメージからはきっと遠くかけ離れているだろう。


「帰らないよ。……お待たせ、お前も入るか?」

「俺、夕方仮眠する前に入りました! 浴びた方が良いですか?」

「それなら俺は気にならないから要らないよ」

「――はい!!」


 嬉しそうに笑って立ち上がった透麻は自然な動作で灯莉の手を握って歩き、先ほどとは別のドアを開けた。


「ここは?」

「こっちが元々の俺の私室です。あっちは体調が悪い時に引きこもる用の部屋です」

「……そうか」


 あの寒々しい部屋を思い出してなんとも言えない気持ちになったが灯莉は気持ちを切り替えて透麻を見る。

 そこそこ背は高いと思っていた灯莉でも視線を少し上げなければならない位置に透麻の顔はあった。


「どうしました?」

「いや、ベッド……上がっても良いのか?」

「勿論です!」


 心底嬉しそうな顔で笑われて、灯莉は今までの過去の経験が何一つ役に立たないことを本格的に認め、自称シミュレーションは完璧な年下αに一応のリードを任せることにした。




 ***




 ――結論から言おう。フェロモンは、凶悪だ。

 そして自分達は『不完全』であろうとも確かに『番』だった。その証拠に些細な愛撫ですらとにかく気持ちが良くて、心がどうやったって解けて満たされていく。


「怖くないですか?」

「大丈夫だ……も、んだい……無い」


 キスをして、相手の様子を見ながら服を脱がす。それは灯莉が抱く側だった時も自然としていた動作だった。

 しかし立場が変わるとどうにも、照れくさくて仕方がない。

 普通ならもっと殺せない羞恥心が身体を強張らせてもおかしく無いのだが接近して触れ合って互いの体温が混ざり合うほどに双方から立ち上るフェロモンが少しずつ濃くなってそれが色々な物を確実に溶かしていく。


 ――コレ、もういっそフェロモンがMAXで出て何も分からないくらいの勢いで最後まですっ飛ばしてくれないかな……。


 なんて灯莉は思ったがふと見上げた透麻の顔を見てその感情は一瞬で何処かへと消えた。

 目の前の透麻は今にも泣きだしそうな顔をして、灯莉のどんな小さな反応も絶対に見落とさないと明らかに気を張って集中していたのだ。


 ――馬鹿だなあ。


 もう良いってあれだけ言ったのに。

 良いか悪いかは知らないけれど、何も覚えていないから恐怖も不快感も無いと散々伝えたのに。

 ふふ、と思わず口元から小さな笑い声が零れて、自分に覆いかぶさるαがどうしようもなく愛しく感じた。

 行為のやり直しを必要としているのは、明らかに透麻の方なのだ。


「おい、そんな顔をするな。大丈夫だって言っているし、身体だって反応しているだろ?」


 右掌を伸ばして透麻の左頬を包むとすぐに透麻の左手が灯莉の手を包むように添えられて力がこもる。


「い、一瞬でも気を抜けば前と同じことをしてしまいそうで――すごく触りたいのに怖いです。フェロモンの香りがして……受け入れて貰ってる気がして、調子に乗りそうで」


 あっさり吐露された言葉を聞いて灯莉はまたくすくすと笑った。

 これだけ受け入れ態勢を整えて抱き合っているのにこのαはまだ自分の過去を許せずに強張っている。こんな態度を見て幻滅する人間もいるかもしれないが、灯莉にとってはただただ可愛かった。


「……俺がやってやろうか?」


 したことは勿論無いが、相手は年下の実質童貞だ。自分が頑張った方が話は早いのかもしれないと思って提案したが透麻はそれはちょっと嫌なようで微かに首を振る。

 それを確認した灯莉はまた笑って微かに足を開いた。


「ほら、触ってみろって。大丈夫だと思うから」

「は、はい!」


 ここで「良いんですか?」と聞かれたらちょっとイラっとしたかも知れないが分かりやすいOKサインを貰った透麻は嬉々としてその長い指を伸ばし、灯莉に微かに触れる。


 ――うわ、コレはちょっとヤバいかもしれない。


 透麻は即灯莉の心の変化を見抜き、指の動きを止めた。


「怖いですか?」


 言葉と同時にアッサリと離れていこうとする指を引き留めようと灯莉は無意識に両方の太ももを締めた。

 早めに言っておかないと、行為の間中自分が強請り倒さなければならないと言うある意味羞恥地獄が待っているのが見える。


「違う馬鹿やめるな」

「でも、身体がびくってしました。怖いんですよね? 俺、今でも十分幸せだから大丈夫です!」


 余計な気遣いをされては困る。

 灯莉だって別に豊富な経験を持っているわけでも無いのだから、この勇気を毎回出せとか言われたらかなり恥ずかしい。

 だから今だけ頑張れ俺! と心の中で自分を鼓舞してハッキリと言い放つ。


「予想以上に気持ち良かったから驚いたんだよ。気持ち良い時もびくっとする時はあるだろうが! あのな? 俺だって死ぬほど恥ずかしいんだ。無理そうなら『怖い』、本気で嫌なら『触るな』って言う。それ以外のセリフは『あー恥ずかしくて出てるお決まりのヤツだなー』って聞き流して後はお前の好きにしろ! 長年のシミュレーションの成果をみせろ!」

「――っ」

「返事は?!」

「は、はいっ!」


 真面目な顔をして頷いた透麻をしっかりと見詰めて、灯莉は羞恥から赤くなってしまった自分の顔を隠すように背けつつぼそっと言った。


「……後は任せたぞ」




 俺もう、恥ずかしくて――無理。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る