13.一言でも相談していれば「お兄ちゃん、それ……ヤキモチ妬いちゃってない?」と言って貰えたのに。


 ――『α』は番を捨てられる、という一般論の先入観をどうか捨ててください。私の人生に貴方以外の『番』なんて最初から候補者すらいないんです。


 初めての電話の最後如月は確かにそう言った。

 とても演技とは思えないような切実な口調で言われた灯莉は最後通牒を告げることが出来ず、曖昧な雰囲気で電話は終わってしまったのだ。

 我ながら優柔不断な態度だったろうか……とあれから暫く考えたりもしたが、今の自分に出来ることは無いと一旦気持ちに区切りを無理矢理に付けた。


 だって灯莉は自分の素直な気持ちを正直に伝えた。

 その上でこの曖昧でいつ次の接点を持つ事態が起こり得るのか灯莉本人ですらちっとも分からない関係を継続させたいと望んだのはあちらなのだ。

 Ωの先輩、母の一見強かともとれる強いマインドを参考に灯莉はちょっと強気に心の中で思うことにした。


 ――待ちたかったら、勝手に待っていれば良いじゃないか。


 心の中でも思って、実際に声にも出して灯莉はこれ以上この問題を今考えることはやめた。

 今はとにかく、仕事のことを考えたいのだ。

 小さい時に家族で色々な所に遊びに行って灯莉はダムや橋、トンネルと言った規模の大きな土木設計の世界に憧れた。しかし色々勉強をしていく内に自分に向いているのは建築設計の方だと理解して猛勉強の末二十代の内に一級建築士を取得したのだ。

 そして一級建築士取得前から勤めている勤務先は大手のゼネコンなどではなく個人の尊敬出来る先生が代表を務める設計事務所で今は勉強をさせて貰いながら様々な規模の設計に携わらせて貰ってとにかく経験を積ませて貰っている段階だ。

 だから今はとにかく仕事が最優先。一番大事なのだ。


 灯莉が色々な仕事を一通り経験していく中でいつかメインで関わりたいと感じる様になったのは家族が幸せに末永く暮らして行けるような戸建て住宅なのだが、二十代の建築士と言うとどうしても舐められてしまう。

 しかし「一級建築士」の肩書が入った名刺を出すと大抵の相手はころっと態度を変える。なんだかなぁと思う部分は確かにあったが仕事がしやすいのならばあの苦労も無駄ではなかったし、様々な経験を重ね将来的には大きな建造物の設計に携われたら良いなと言う気持ちは確かに心の中にある。

 だからΩになんてなっている暇は無い。


「先生が俺と同じ年の頃に引いた図面……すごいんだよなぁ」


 尊敬する先生の過去の実績を見ると自分との実力差に落ち込むこともあるが、そこでへこたれていては成長は無い。

 灯莉は如月との連絡用のスマホをリビングのガラステーブルの上に置いてまた仕事のことを考え出した。




 ***




 それから暫くは仕事が充実していてとても楽しい日々だった。

 つい先日念願の三十歳をようやく迎えたのだが当然身体が急に衰えるなんて実感を覚えるはずもなく普通に過ごせている。


 そんな時、母から「莉帆の帰国パーティーをするから良かったら帰っておいで」と言う連絡があり金曜日の夜灯莉は事務所から直接実家へと向かった。少し遅くなるから途中参加にはなってしまうけれどいつもそうなる場合が多いから家族は誰も気にしていない。ただ「気を付けておいでね」と優しく言われただけだ。

 そんな中、明らかに不自然なほど人だかりが多い一角を見付けた。


「ドラマの撮影だって!」

「え? 嘘誰? 誰、どの芸能人?!」


 それなりに遅い時間帯なのに女子高生達は制服姿のまま短いスカートを靡かせて駆け抜けて行く。

 普通そう言った撮影の類は許可や周辺への影響を考慮して深夜などに行うと勝手に思っていたのだが、本当に撮影用機材とかを設置して何かを撮っているようだった。


 ――こう言う現場に遭遇するの、初めてだな。


 東京生まれの東京育ちだが灯莉は芸能人と言うものを生で見た事が一度も無い。

 よく地方から来た人が笑い話の一つとして「芸能人の一人でも見て地元に帰りたいものです」とか言っていたけれど、灯莉はいつも決まって笑いながら「会えると良いですね」とだけ返していた。

 だから今日の撮影をしている役者をちらっとでも見られれば灯莉が肉眼で直接見る人生初の芸能人だ。家族でのパーティーと言う名のちょっと豪華な晩御飯の時の良い話のネタになるだろう。

 そう思って足を向け掛けて――止まった。


「如月透麻がいるらしいよ!」

「えええッ?! じゃあ椎奈日和シイナヒヨリと共演するって噂の新ドラマ?!」


 後ろから別の女性たちがそんなことを話しながら灯莉のことを追い抜いて行く。

 若い女性特有の高いはしゃいだ声は少し距離をおいてもハッキリとその会話の内容を灯莉の耳に届けた。



「この二人って『番同士』なんでしょ?! だから透麻も共演OK出したんでしょ?」

「やだぁー!!! 透麻の運命ってやっぱ椎奈日和なんだぁー!!! お似合い過ぎて逆に嫌あああああ」



「……――」


 このまま最寄り駅に向かいたかったが灯莉は無意識に踵を返した。

 少し時間は掛かるが一駅歩こう。逆方向に一駅歩くのは自分でもおかしいと思うけれどこれは安全策だ。

 万が一でも遭遇してしまったら人生が破壊されてしまう。

 そう自分に言い聞かせて速足でその場を離れた灯莉は電車の中で先ほどの女性たちが言っていた「椎奈日和」と言う女性をなんとなく検索してみた。


 彼女はΩである事を公言している子役上がりの女優さんで今年二十三歳になったばかりの若さだが結構なキャリアと実力が評価されているとても可愛らしい女性だった。

 Ω女性が高確率で有する小柄かつ豊満な所謂トランジスタグラマーと言う男であれば思わず目を奪われてしまう見事なスタイルに加え愛らしく整った顔立ちを持つとても可愛らしい女優さんだった。

 ハッキリ言うまでもなくお似合いだ。年齢も容姿も経歴も何もかもが誂えた様にお似合い過ぎる。


 ――なぁーにが、貴方以外の『番』なんて最初から候補者すらいない、だ。馬鹿馬鹿しい。


 さっとネットアプリを落として灯莉はスマホを仕事用の鞄にしまった。

 やっぱりあの時のセリフは役者様の演技から出た言葉だったのだろう。心に迫る物を感じたのは嘘じゃないが、それを真に受けて会いに行くことを考えたりしなくて本当に良かった。

 父の忠告でもあった「お前は人が良過ぎる。相手を疑うことを覚えろ」と言う金言を忘れなくて良かった。


「……あのスマホ、お金勿体ないな。もう使うことも無いだろうし」


 もう必要無いだろうから今日帰ったら解約を申し出てみよう。

 灯莉はそんなことを考えながら実家へ向かったが、母の手料理をみんなで囲んで家族全員でいざ楽しい話をして盛り上がるとスマホの話をするのをすっかり忘れてしまい、翌日自宅へと戻りテーブルの上に置いてあった現物を見てその存在を思い出した。


「……あ、忘れてた。――でもまあ、今度で良いか」


 なんとなく視界に入られると邪魔なので充電器ごとテレビボードについている殆ど何も入っていない引き出しに放り込む。

 視界に入らなければ思い出すことも無いだろう。

 それに母は「手段を持っているだけで心が落ち着く」と言っていたから、考えてみれば両親が優しさで持たせてくれたものをたった数か月で突き返すのも悪い。

 そこに思い至ると灯莉は昨日解約を申し出なくて本当に良かったと思った。


 元から芸能関係には疎い。

 一時期如月が出ている映画を続けて見てしまった時期もあるけれど、それは元々の灯莉の好みからは外れている。

 だから意識しないと決めてしまえば楽な物だった。


 本当か嘘か、邪推から生まれた単なる噂なのかも分からないけれど、どっちだって別に良い。

 αの俳優とΩの女優で年頃もちょうどいい。素晴らしい組み合わせじゃないか、大いにやれば良いだろう。


 灯莉は自分の中だけでそう結論付けた。

 敢えて誰にも相談しなかった。恐らく莉帆の耳にでも入れば聡い妹は冗談っぽくでも言ってくれただろう。


「お兄ちゃん、それ……ヤキモチ妬いちゃってない?」


 と。

 でも灯莉は誰にも言わなかったから、誰も知らない。

 電池が完全に切れてバッテリーの劣化が進んで行こうともどうだって良い。だってもう使う予定の無い物だ。

 あのスマホは、両親が持たせてくれた存在するだけで効力がある一種のお守りに過ぎないのだから。



 毎日毎日スマホを手元に置いて祈るように待っている誰かが居るだなんて灯莉は想像することも無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る