14.何処までがΩの本能で、何処からが自分の本心なんだろうか……。

 灯莉はいつも朝必ずテレビをつける。

 それは大事件が起きていたら把握しておきたいのと天気予報の確認の為だ。

 今朝もいつものチャンネルのニュースを掛けて、それをラジオ替わりに聞き流しつつ朝食の用意をしていた。その時最近毎朝報道されている今国会で大問題になっている政治とカネ問題を差し置いて芸能ニュースがトップに来ていた。


「まずはとてもおめでたいニュースからお伝えします。女優の椎奈日和さんが兼ねてより番関係であった男性との結婚を発表しました」


 明るい女子アナの声に灯莉は無意識の内にこれから焼く為に持っていたパンを思わず調理台の上に落とした。

 バクバクと心臓がおかしい位に鳴って、手元が微かに震える。

 自分自身のその反応に一番驚いたのは灯莉自身だった。パンを拾うこともテレビのある方に振り向くことも出来ずに硬直していると、明るい声のニュースは続いて行く。


「気になるお相手は俳優如月 透麻さん――のマネージャーを勤めている男性で、お相手とのこともあって先日の事務所の移籍に繋がったと言うことですね」


 ……。

 …………はい?


 調理台の上でポツンと転がるパンをそのままに灯莉はテレビの傍に歩み寄った。

 画面には幸せいっぱい! と言う様に微笑むあの時の検索結果に出て来た女性が映し出されている。記者会見と言うよりは何かの囲み取材のようだ。


「私は皆さんお察しの通りΩですが、彼と出会い番になった事で安定的にお仕事に邁進することが出来ました。各種契約などの兼ね合いもあり入籍と発表が遅くなってしまいましたが現在もう彼とは一緒に暮らしていて妊娠はしていません」


 さくっと記者達も質問を躊躇うような情報すら自ら公表した姿から察するに大変愛らしい外見から予想される女の子女の子と言ったイメージよりさばさばした性格なのかもしれない。

 それから二~三の質問に答えた彼女は明るい笑顔で「今後ともよろしくお願いいたします!」と言ってさらっと関係者に連れられて去って行った。


「…………え?」


 さらっと切り替わったニュースでは与党の候補者が選挙で全敗して首相が現時点での解散は一切考えていないと青いのを通り越して白い顔で言っていた。

 なんとなく今の総理大臣は怒って血圧を上げるより落ち込んで弱って行くようなタイプに見えるな……なんてどうでも良い事で思考を逸らそうと思ったが当然無理だった。


「……」


 ちらり、と久し振りに見たテレビボードの引き出しを開く。

 その中には綺麗に纏めすらしなかった充電ケーブルと一緒にあのスマホが当然だが入っている。ボタンを操作したが当然の様に電池はゼロで電源は入らなかった。

 なんとなく慌てた手付きでコンセントに差し込んだけど充電を意味する光が点くまでに時間が少し掛かって心がざわついた。


「俺……何してんだろ」


 冷静になって考えると自分の行動は明らかに感情的だったと時間が経った今ではハッキリと自覚出来る。

 赤の他人が言っていた記事として出ているわけでも無い噂話を真に受けてなんでこんな極端な行動に出たのだろう。

 そして、さっきのニュースを見てなんであんなに心臓が跳ねて――今、こんなに安心しているのだろう。


 真っ黒な画面に大き目の電池が表示され/のような状態だったのが数パーセントだけ充電されたことにより起動の処理を行ってくれた。

 自分から連絡しなければ相手からは来ないという父の魔改造が施されたスマホなので着信を無視したということは無いと思う。でも……一度だけ電話をしたあの日からはそれなりの時間が経過していた。

 別に次にいつお話しましょうなんて約束はしていないけれど、自分がした感情的な行動を思うと大人として純粋に恥ずかしい。


 それでも何故か指はメッセージ送信画面を開いていて、時計をちらりと見てまだ時間に余裕がある事を確認した灯莉は如月に短いメッセージを送ってみた。


 ――マネージャーの方がご結婚されたそうですね、おめでとうございます


 我ながら無難過ぎるメッセージだったが送信してほっと無意識に詰めていた息を吐き出すと、充電器に繋いだままのスマホをテーブルに置く前に初めて聞く着信音が鳴り響いた。

 メッセージを送ってまだ数秒なのにと驚くより先に画面に表示された名前を見て思わず身構える。


 ――『如月 透麻』


 当然だ。

 このスマホには、この人の連絡先しか入っていないのだから連絡が来るのならこの人しかいない。

 灯莉はかなり迷ったがこの短時間で折り返し電話を貰ってしまって気付かなかった、の言い訳は無理があると思い電話に出た。


「――はい」

「おはようございます、連絡ありがとうございます」

「あ……うん」


 如月の声は明らかに弾んでいて何をどう考えても灯莉からの連絡を心待ちにしていたように思える。――多分、自意識過剰じゃ無いと……思う。


「お時間大丈夫ですか? 出勤時間はどのくらいなんですか?」

「今日は――在宅だから、九時までにログインすれば良いんだ」


 言った後に何を馬鹿正直に答えているんだ自分は、と思ったが言葉はするりと出てしまったのだからしょうがない。

 如月は真面目な声で「九時ですね」と穏やかだけど機嫌が良さそうな声で言って、自然な流れで話題を提供してくる。


「朝食は済みましたか?」

「――まだ、だけど……いつも簡単にパンと珈琲で済ませるだけだから」

「パン派なんですね。お仕事は繁忙期とかそんな感じだったんですか? 体調は大丈夫ですか?」


 前回の通話から時間が空いたことを暗に責めるような口調ではなく、純粋に心配しているような声だった。

 それがまた何故か灯莉の罪悪感をちくちくと地味に刺激してなんとなく居心地が悪い。


「貴方ほど忙しくは無いですけど、それなりに忙しかったですよ」


 我ながら可愛くない言葉が出たが如月は何も気にしていないようで終始嬉しそうだった。


 そして流石α俳優様、役で甘いセリフなんて死ぬほど言って来たから恥じらいなんてもう何処にもないんだろうなと思わせる程さらりと如月は言った。



「すみません俺、やっぱり一分でも良いので貴方の声がたくさん聞きたいです。――許されるなら、次の約束が欲しいです」



 ――あと、なんて呼んだら良いのかも教えて欲しいです。



 出演映画をテレビで見た時、アップにも余裕で耐えられる美しい男だと思った。

 その印象が凄く強くてなんだか脳内イメージすらキラキラしている程の発光を見えもしない声からだけでもハッキリと感じ取れる。

 灯莉はどうやっても殺しきれない罪悪感とそのキラキラに負けて「俺ってチョロいんだな」と思いつつもうっかり素直に返事をしてしまった。


「名前は――あ、かり」

「あかりさん? ですか? 漢字を聞いても良いですか? 勿論それを元に検索かけて探しまくるとかは絶対にしないです!」


 必死に言う如月に灯莉はちょっと笑った。

 この男が本気でそれをする気があるなら、スマホをわざわざ事務所まで届けに行った父を誰かに尾行させることだって出来たのだと今なら素直に理解出来るからだ。


「漢字は……『トモシビ』に、くさかんむりに利益の利の『』……で、灯莉アカリ

「茉莉花の莉ですか? 綺麗な名前ですね」


 さらっと自分が出した例より綺麗な表現を出されてちょっと複雑な気持ちだったがまあ良いだろう。

 ちらりと時計を見ると少し時間が迫っている。

 少しの間だったのに電波の向こうの彼もそれを察したのか残念そうに口を開いた。


「灯莉さん、俺仕事でどうしても駄目な時以外はずっとスマホ手元に置いてますからいつでもなんでも連絡ください。待ってます」


 穏やかだけど弾んだ声で言われて、灯莉は父の魔改造スマホの使い方を思い出しなんとなく切り出した。


「……後でメッセージ送っておくから、何かあったらそっちからもかけて良いよ。俺も、仕事中は出られない時があるけど」

「良いんですかっ?!!!」


 ――うるさっ! と思わずスマホから耳を離してしまうくらいの声量で言われて驚くと如月はすぐに詫びてとても嬉しそうに何度も礼を言っていた。


「じゃあそろそろ時間だから」

「はい、ありがとうございました。メッセージ待ってます! お仕事頑張ってください」

「ああ……それじゃあ」


 返しの言葉を聞くことがなんとなく恥ずかしくて自分から電話を切った。


 そして灯莉は電話が終わったスマホを見て……先ほどの自分の最後が少し素っ気無かったかな? なんて思って少し考えた後メッセージを送る。


 ――『そっちも仕事頑張って』


 簡素なメッセージだが確かに送信した。

 スマホは充電が完了するまでここに置いておいて、また前みたいにガラステーブルのあの位置に戻そう。

 不意にもう何年も意識しなかった首の真後ろがチリチリしたような気がして灯莉は無意識に手を滑らせた。それと同時に、母のあの日の言葉が蘇る。



 ――『番のα』を求めずにはいられなくなる本能を、過剰なまでに拒絶しないという視点をどうか捨てないで。



 今も心の底から本当の意味でΩにはなりたくない。

 仕事だってまだまだ頑張りたい。


 でも、自分は……如月があの女優さんと結婚していなかったことに確かに安心した。

 スマホを引き出しに放り込んで見ないことにしたのも――嫉妬だったと今なら素直に受け止められる。




「何処までがΩの本能で、何処からが俺の本心なんだろうか……」



 過去の恋人たちと過ごした時間を思い出しても、何の参考にもならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る