12.俺の番はとても優しい人のようだ。しかし、親父さんは鬼の様に怖い。


 ***


 初めての最愛の番との通話はあっという間に終わってしまった。

 それでも番は透麻を拒絶しきることが出来ず、またいつか電話をする日が来るかもしれない……という曖昧な空気はあったので透麻はそれを心の支えにして生きることにする。


「――透麻、生きてるか」


 通話が終わって画面が暗くなったスマホを時間が経っても手放せずにずっと眺めていると部屋の入り口から声を掛けられた。

 声の主は透麻のマネージャーを勤めている従兄弟の那岐ナギ

 透麻が所属している芸能事務所の代表の次男だ。社長はまず間違いなく現在既に経営陣に名を連ねている長男が継ぐだろうが何もしなくても将来的には役員の一人に収まることは確実なのに、なんの酔狂か那岐は社内で本当の身分を隠し母親の旧姓を名乗ってまで駆け出しの頃から透麻のマネージャーを勤めている大変物好きな男でもあり、透麻の数少ない心を許せる友人でもある。


「ああ、大丈夫だ」

「お、なんか落ち着いたな。今回のお前、ついにマジで首でも吊るかと思ってたわ」


 あくまでも軽い雰囲気で笑いながら言いつつベッド以外何も無い透麻の今いる部屋に入って来て、軽口を叩きながらも身体に傷を作っていないかなど健康状態を具に確認していく出来る男でもある。

 差し出された水を礼を言って受け取った透麻は自分がこの短時間でここまで持ち直せた理由を那岐に教えた。


「――電話を、くれたんだ」

「え? マジで? お前の番が?! だからお前ここまで持ち直せたんか」


 どさっと何の前触れもなく思い切りベッドに腰を下ろされたから身体がバウンドして飲もうとしていた水が少し零れた。

 しかし嬉しそうな那岐の顔を見ると文句を言う気にもなれずに透麻は軽く頷いて水を少し飲み込んでから答える。


「努力して就いた今の仕事が好きなんだそうだ」

「そう、か」

「βとして生きて来て、女性と数回交際経験もあるらしい」

「うっわ……お前それどんな顔で聞いてたんだよ」


 αの自分の『番』に対する独占欲の強さを自身もαである那岐はよく知っている。

 しかし予想に反して透麻の表情は穏やかだった。


「相手がαは無いにせよ男だったら死ぬほど嫌だけど、βの女性なら我慢するよ――俺のせいで対人恐怖症になって誰にも触れられないトラウマを抱えてるって言われるよりは、ずっと良い」

「……まあ、そりゃそうだな」


 那岐はそう言って水を再度飲み始めた透麻をさり気無く見た。

 極めて特殊な方法で幼い時に中途半端に番ってしまった結果、αである筈の透麻の方が何故かΩで言う所の『ヒート』のような周期で訪れる体調不良を長年抱えている。

 Ωのそれとの決定的な差は、性衝動を伴わない点くらいだろうか。しかしその分メンタルに掛かる負担が尋常ではなく、透麻がその時期に入る時は必ず那岐か透麻の両親のどちらかが別室に控えることが常だ。


 今回は三日ほど前から久し振りにかなり重い反応が出ていて突発的な自傷行為やそれを通り越した自殺に走らないように特に目を光らせていた。

 α同士が同じ部屋に居るとどうしても刺激し合ってしまう。しかしβでは透麻を止められない。Ωなんて論外だ。

 更に言うと透麻が咬傷事故を起こしたことは本人がネットでカミングアウトした為誰もが知っているがこの特殊体質については社内でもトップシークレット扱いされており知っている人間はそもそもとても少ない。


「どうして急に電話をくれたのかは分からないけれど、すごく助かった」


 暗くなったスマホを愛しそうに眺めて呟く透麻を見て那岐は口にするか迷ったが、頭に浮かんだ考えを伝えてみることにする。


「――向こうも分かったんじゃねえの?」

「何を?」

「自分の『番』が苦しんでるって。多分、分かったんだと思う。……俺も日和ヒヨリが調子悪いとなんか妙なゾワゾワする感じあるからさ」


 そこまで言うと透麻は少しだけ嬉しそうに目を細めて、少し痩せた顔を那岐に向けた。今回は水分摂取もギリギリだった為顔色が酷く悪い。

 それでも透麻はこの期間が明けるといつも体調不良の名残りをメイクで隠していつも通りの余裕綽々の顔をして仕事に出るのだ。そして普通の顔をして何一つNGを出すことも無く役者『如月 透麻』を完璧に演じ切る。

 そんな姿を一番間近で見ている那岐は、痛々しくて見ていられなくなることばかりだ。


「調子が落ち着いている間に少し食事を取りたいんだけど、何かあるか?」

「おう、色々揃えてるぜ。何でも言えよ」


 意識も鮮明でコミュニケーションも問題なく取れることから那岐は気分転換も兼ねてリビングでの食事を提案し透麻もそれに応じた。

 この部屋は透麻が体調が悪い時用に籠る専用で使われている為、とにかく武器や凶器になりそうな物は当然のこと本当にほぼほぼ何も無い、ただいるだけで気が滅入る空間なのだ。


 幼い日の透麻がしたことは、確かに最低だ。許されない犯罪行為だ。

 でも那岐はどうしても思ってしまう。

 この物悲しくて冷たい部屋と、苦しみながら一人でずっと文句の一つも言わず十五年も耐え抜いている透麻を……相手の『Ω』に知って欲しい。見て欲しいと思ってしまうのだ。


 ――コイツ、ずっとこれだけ苦しんでんだ。

 アンタにしたことは本当に同じαからしても最低だったって断言出来る。でも、十五年もこんな状態でずっとコイツなりに罪を償って来たんだ。だから、そろそろ……。


「……」


 そこまで考えて那岐は透麻に気付かれないように小さく頭を振る。自分が透麻の立場だったら決して口出しして欲しくないと思うことなんて分かり切っているからだ。


「食いたい物が無かったらムーバー呼ぶから好きな物を言えよ」

「ありがとう。でもこのサンドイッチで十分そうだ」

「そうか、飲み物は?」

「さっきの水の残りで良いよ」


 静かな会話をして透麻はスマホを目の前に置いたまま久し振りのまともな食事を始めた。

 那岐も自然と近くに座り、当たり前のように近くにあったおにぎりを開封する。一人で作業的に咀嚼するよりも誰かと共にした方が量を食べてくれるかもしれない。


「そのアプリ、折り返ししか出来ない鬼畜仕様なんだっけ?」

「そう。お義父さ――いや、この言い方をすると大問題になりそうだな。番の親父さんが作ったんだ、この為だけに」

「うっわ、すっげぇ怖ぇ」


 けらけらと笑った那岐に透麻は少し微笑んでいた顔を一瞬にして真顔に戻して返す。

 番の親父さんは――本気で、尋常じゃなく怖かった。透麻が直接お会いしたのは事故後の病院で一度と、アプリの件で事務所にわざわざいらしてくれた二回だけだが、透麻がこの世で最も怖い相手と言っても良いレベルでとにかく怖いのだ。


「――怖いよ。事故直後の入院中に俺がおかしくなった時、番が書いた手紙を持って来てくれたんだけどさ」

「おう」


 二個目のおにぎりを開封していた那岐だったが、不自然に空いた間をおかしく思い視線を上げると透麻は物凄く苦い顔をしていた。


「真顔で『お前が我が子より年上だったなら遠慮なく縊り殺してやれたものを』って言われた。ちょっとしたトラウマ背負うレベルで怖かった」

「それガチで怖すぎねえ?! 何、そっち方面の人なの?!」


 ぶるっと思わず震えた二人だったが、自分の身に置き換えることで直ぐに「当然か」と言う結論に落ち着く。


 ――実に当然の反応だ。

 自分の最愛の番がお腹を痛めて産んでくれた大切な子供を一方的に虐げられたのだから。本当に当然の対応だ。

 逆にいくら番の為だけであっても見捨てずに手を貸して下さるだけ有難いと本気で思う。


「でもよ、『折り返し』が出来るなら今日来た着信履歴に折り返しで連絡つくんじゃね?」

「……」


 ぱっと一瞬だけ透麻の表情が明るくなった。

 妙な真似をするつもりは当然無いが、もしそうならとても素晴らしい効力を持つ精神安定剤になるかもしれない。

 しかしつい先ほどどうにか穏便に追えた通話を思うといきなり電話を掛ける勇気はどうしても出なかった透麻はさり気無く着信履歴からメッセージを送れるかだけでも確かめてみようと指を滑らせて、突如出て来た画面に……硬直した。




 ――『次同じ姑息な行動を起こした場合、このアプリは自動的にアンインストールされる』




「「…………」」


 テーブルの上にスマホ本体を置いていたから画面は那岐にも見えた。

 透麻は慌ててアプリを閉じてホーム画面に戻し、それを見ていた那岐は思わず呟く。



 ――スパイ映画かよ。

 と。

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