第3話 廃墟

◆廃墟


 あの廃墟は、まだあるのだろうか?

 子供たちの間では「ヘルマン屋敷」とか「お化け屋敷」と呼ばれたりしていた。

 町を流れる川の上流の高台にあったはずだ。

 俺は記憶を辿りながら、川まで歩き、上流を眺めた。

 ・・あった!

 廃墟はまだあったのだ。まだ解体されていない。

 人や町の様相は変わっても、廃墟はその姿を変えずにあった。まるで俺の訪問を待っていたかのように思えた。

 廃墟は、洋風の大きな建物だ。

 それは遠くからでも見える。

 なぜなら、建物の尖塔には古い教会のように十字架がそびえていて、遠くからでもその位置がよく分かるからだ。

 俺は尖塔を目印に高台に向かった。

 この建物は、昭和の初期、ドイツの大金持ちが権力の象徴であるかのように建てた三階建の屋敷だ。小さなホテルのようにも見える。

 だが、すぐに、太平洋戦争が起こった。この辺り一帯はアメリカの空襲、焼夷弾を受け「ヘルマン邸」は廃墟同然の建物になってしまった。

 屋根は抜け落ち、壁はあちこちが崩れ去り、庭園の草花は焼けた。

 それが今、俺の見ている「ヘルマン邸」だ。当時の豪奢な生活など想像もできない。


 この廃墟と化した「ヘルマン邸」には、立ち入り禁止の表示も見受けられない。

 いくら廃墟とはいえその構造を見ていると、昔は豪華絢爛だったのに違いない、と容易に想像を巡らすことができる。

 建物は四階建ての構造で宿泊客用の小部屋がいくつもあり、舞踏会でもできそうな大きなホールが一階と二階にそれぞれあったらしい。

 建物はコの字型になっていてその中心には中庭がある。

 今では雑草が生い茂り、庭の美しさなど微塵も感じられないが、庭の中心には噴水があったと思われる丸い池が配され、池の周りには草花を植えることのできる花壇のような盛り土がいくつもある。


 子供の頃、ここで近所の友達とよく遊んだものだ。

 廃墟なんかで遊んで何が楽しいわけでもないけれど、自分の家や学校以外の建物が自分たちのものになった気がして楽しかったのかもしれない。

 当時、大聖堂のような建築物の中を歩くのはわくわくしたものだ。何分か歩いているとすぐに迷った。それほど建物の中は広い。


 広いが、ここで何かをするのでもない。ただ、ぼうっとして廃墟を眺めるだけだ。子供の頃のように遊んだりもできない。


 それにしても暑い。肌がじりじりと焼けていくのが分かる。

 戻ろうかとも思ったが、せっかくここまで来たんだ、と思い、

 中庭の池のベンチに腰を下ろした。読みかけの週刊誌を敷いたので何とか休憩をとれる。ベンチは丁度木陰になっているし、山の風が流れ込んでいるのか、少し涼しくなった。

 涼はとれるが、周囲は雑草だらけだ。どこまでも雑草だ。虫も多い。廃墟は無音だと思っていたが、セミの声がうるさい。


 セミの声を聞きながら、俺は、一体ここで何をしているのだろう? と思った。

 携帯電話で誰かに電話しようか・・「俺、懐かしい場所に来ているんだ」そう誰かに言いたい気がした。だが、そんな話に誰も興味は示さないだろう。

 そんな思考を巡らせても眠くはなるものだ。ここまで歩いて来たことで疲れていたようだ。

 俺は、うとうとし始めた。首が何度もカクンとなる。そうなるとセミの声も子守唄のように聞こえ始めた。

 セミの合唱の中、夢のようなものを見た。

 最初は、退職した会社の夢。その次は、学生時代、付き合っていた女性の夢。

 夢はどんどん遡り、子供の頃の夢まで見た。

 夢というのは、夢を見ていると分かる時と、分からない場合がある。

 今見ているのは、分かる方の夢だ。

 近所の男の子、女の子・・今頃、どうしているんだろうなあ、と思いながら、彼らを眺めていた。

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