第20話:王子と執事の夜①(ヴァイス視点)


「駄目だ、眠れん……」



 その日の夜。ヴァイス・ストレインはとこを抜けて屋敷の中庭に向かおうとしていた。

 理由はもちろん鍛錬である。



「体力が……体力が有り余ってしまう……!」



 もはや完全に末期である。

 長年の間ショートスリープ(※ほぼ気絶)で睡眠を済ませてきたこの王子。レイテに“夜はちゃんと大人しく寝なさい!”と子供並みの説教を受けたものの、肉体がそれを拒否していた。



「くっ……。全身火傷を負っていた時は、逆にほぼ一日中眠れたのだが……」



 それはただの昏睡である。



「うぅむ。眠るとは難しい行為なのだなぁ……」



 などと赤ちゃんレベルの悩みをぼやきつつ、使用人用の居住階層を抜けていくヴァイス。

 今いる建物は屋敷と繋がる形で設けられた洋館であり、ヴァイスのように常々屋敷で働く者たちのために作られたものだった。


 なお今のような夜更けに、使用人たちの住まう部屋の横を通ると、



『あぁレイテ様……! 本日も無事に一日を終えられたことを、アナタ様に感謝しますぅううううう……!』

『スゥーハァーッスゥーハァーッ!!! 肺活量を上げることでレイテ様の吐息を直接吸えるようになるわよォッ! 愛の呼吸ッッッ!』

『朝起きたらレイテ様の枕になってますように朝起きたらレイテ様の枕になってますように朝起きたらレイテ様の枕になってますように!!!』



 ……恐怖ホラーである。


 一日の締めに『レイテ様レイテ様』と主人を想う使用人たち。

 彼らにはそれぞれ劇的にかの少女に救われた思い出があり、その忠誠心たるや“王の首を獲ってこい”と命じられたらノータイムで国家転覆者に転職するほど極まっていた。

 端的に言って狂気である。



「ふむ、レイテ嬢はとても慕われているのだなぁ」



 なお天然王子は「いいことだ」と思うだけで済ませている模様。終わっている。



「さて、軽く四時間ほど剣を振れば眠気もくるだろうか……」



 そんなトンキチ発言をしつつ、ヴァイスが中庭に出た時だ。

 そこにはすでに先客がいた。



「――フッ、ハァッ!」



 鮮やかな拳撃を繰り出す燕尾服の男。

 夜空から射す月光で、眼鏡をきらめかせた彼こそは、



「修行中か、アシュレイ」


「む、ヴァイスか」



 傭兵結社『地獄狼』が元幹部、アシュレイ。

 今はレイテの執事であり、先日はハムだった男である



「貴様、レイテお嬢様にしっかり寝ろと言われただろうが。命令違反だぞ」


「申し訳ない。だが鍛錬を怠ることに身体が慣れていなくてな。少しばかり剣を振るってから寝るつもりなのだが……」


「知るか! お嬢様のお言葉に逆らうことは万死に値するぞ……ッ!」



 偏狂的な闘気を出し始めるアシュレイ。そのまま拳を王子に向けようとするが、



「それに、少しでも修行して強くなりたいんだ。レイテ嬢を守るためにな」


「ならよしッ!」



 ならよしだった。


 とにかくレイテ至上主義な男である。相手がレイテのことを想って行動しているのであれば、この眼鏡は笑顔で受け入れる所存なのだ。



「フッ、国家最強の王子が護衛とは頼もしいじゃないか。貴様のことは気に入らないが、その強さだけは認めているぞ」


「ありがとう。お前ほどの男に認められてとても嬉しい。これからもどうか仲良くしてくれ」


「む……相変わらずバカ真面目な言動をする男だな……」



 それでは為政者は勤めれまいとぼやくアシュレイ。

 だが、口元には小さな笑みが浮かんでいた。



「戦闘面では『氷の王子』たる貴様がいて、技術面では『学術界の怪物』と呼ばれたドクター・ラインハートがいる。レイテお嬢様の周囲も、いよいよ盤石となってきたな」


「ああ、それに元『五大狼ごたいろう』のアシュレイがいるしな」


「っ……私はお前たちより格落ちするだろう。強さの面では貴様に及ばず、技術のほうもそれなりの給仕が出来るだけだ。特殊技能など何もない」



 吐き捨てるように言う執事だが、ヴァイスはそれにピンときていない表情だ。

 そして事もなげに言葉を返す。



「意味が分からないな。お前は誰より素晴らしいだろうが」


「ぬ!?」


「俺が一切手を抜けないほどの強さを持つ上、瀟洒しょうしゃで素晴らしい持て成しでレイテ嬢を満足させられる技術がある。そんな男が何を言ってるんだ?」


「ぬぬぬっ!?」



 これにはアシュレイもたじろいだ。


 ヴァイス・ストレインは不器用で不愛想な男である。

 されど人格の善良性と誠実さだけは、誰よりも何よりも群を抜いていた。

 偏狂的な面のあるアシュレイのことも嫌わず、むしろ人としての素晴らしさに着目しているほどだ。



「アシュレイ、俺はお前を尊敬している」


「!?」


「友になりたいと切に願う」


「!?!?」


「自らの意思で悪辣な傭兵団から抜け出したという決意。レイテ嬢に身も心も捧げんとする忠義。そして、そんな彼女と別れることになってでも、彼女の平和を案じて去り行こうとしていたおとこ気。そんなお前の全てに対して敬服しよう」


「!?!?!?」


「これからもよろしく頼むぞ、アシュレイ」



 ――そんな王子の誠意の連打に打ちのめされて、もはやアシュレイはたじたじである。



「お、おまッ、そんな恥ずかしい言葉の数々を、よくもさらさらと……!」


「恥ずかしい? 尊敬すべき友を称賛することの、一体なにが恥ずかしいというのだ?」


「っ~~~~~!?!?!?」



 これにはもう堪らない。アシュレイは半ばブチ切れるように、



「なッ、何を考えてるんだ貴様は! お嬢様でなく私を攻略してどうするつもりだッ!?」



 と叫ぶのだった。

 なお王子、まったく訳が分からない模様。



「ん? 特に俺は何も考えてないが? ただ思っていることを言っているだけだが」


「おま……はぁ、もういい」



 諦めたように肩を落とすアシュレイ。


 ああ、この王子のなんととんでもないことか。

 誠実で、強くて、そのくせどこか放置できない天然さもある。

 これには騎士や兵士たちもガッツリ心を掴まれるわけだと、執事はヴァイスの人望っぷりを見抜くのだった。



「……貴様は、『地獄狼』のザクス・ロアとは真逆のタイプだな。あの人は邪智と恐怖と演技でヒトを惹きつける手合いだ」


「ふむ、俺にはどれも無理そうだな」


「不器用だもんなぁ貴様は。……その点、貴様はレイテお嬢様と似た性質タチか」



 夜空を見上げながら、アシュレイは最愛の少女について思い起こす。



「六年も前になるか。ちょうど『大仮装祭』の時に、私はこの地に逃げてきてな」


「ほう?」



 執事は語る。

 あの頃のハンガリア領は、今とはまるで違っていたと。



「余裕がないというのかな。住民の数も笑顔も少なく、仮装している者もまばらだった。まぁ当然だろうと思ったがな」


「なぜだ?」


「この地が『辺境』だからだよ。国土の最外縁であり、日夜『未開領域』より迫りくる魔物を撃退せねばならんからな」



 そう。本来ならば今のように人と笑顔で溢れているほうがおかしいのだ。


 辺境地とは危険な場所。仲間や家族の戦死が当たり前で、時には街に侵入した魔物に女子供が喰い殺されることもある。

 そんな場所で気楽に祭りなどやっていられるか。



「その上、領主夫妻がその年に事故死。結果、当時まだ十歳だったレイテお嬢様が領主の座を引き継ぐことになったのだ。民衆たちはそれはもう失望していたことだろう」



 危険な地の上、指導者も未熟ときた。泣きっ面に蜂とはこのことだ。



「そうだったのか……。人々はよく逃げ出さなかったな?」


「逃げ出さなかったのではなく“逃げれない”のだよ。……辺境地は古来より『隔離の地』ともされてきた。奇病を患った者や刑務を終えた元罪人、それに思想や信仰がおかしいと判断された者など……そうした者たちは、国から顔を記録されて辺境に押し込まれるのだ」


「……知らなかった。知るべきだったな」


「今度勉強してやるさ。――そんな場所ゆえ、別の領地で何かをやらかして逃げてきた者も多いというわけだ」



 要するにみんな行き場がないのだと、アシュレイは自嘲気味に語った。

 なぜなら彼自身もそうなのだから。



「私は元々貧民街スラム生まれで親もない。そこで暴力だけを頼りに生きているうちに、いつしか暴力の快楽に酔うようになってしまった。それで『地獄狼』に入ったわけだな。“悪人の俺にはちょうどよさそうだ”と」



 だが、



「彼らの行いは……あまりにも残忍過ぎた。最初は私も楽しもうとしたが、駄目だったよ。一体どうして、無抵抗の女子供を、笑顔で力いっぱい殴り殺すことが出来ようか」


「そんなのは無理だ」


「あぁ無理だ。……だが、ソレが出来る連中の集まりこそ、傭兵結社『地獄狼』だったというわけだ」



 結局そこで、アシュレイは自分が『小悪党』に過ぎなかったことを思い知った。



「されど、そんな時に『ギフト』に目覚めてしまってなぁ。しかもそれが“異能殺しの異能”ときた。当然、組織全体から持て囃されたよ」



 ――ギフトとは、魔物に苦しむ人類を救うべく『女神アリスフィア』が百人の戦士たちに与えた力とされている。

 

 百人の戦士は異能を振るい、見事に人類の生息圏を広めてみせた。

 そんな彼らは当然ながら貴族や王族に任じられ、結果的にその子孫たる『貴き血族』ほどギフトが発現しやすいものとされている。



「アシュレイ、ギフトに目覚めたということは、お前の出自は……」


「貴族なのだろうなぁ。侍女か娼婦にでも作らせた不義の子、といったところだろう」



 まったく迷惑な話だと肩をすくめる執事。

 おかげで貧民街スラムに捨てられた上、ギフトに目覚めたことでとても面倒なことになってしまった。



「私の異能は敵軍の切り札たる異能力者を葬るのにすこぶる有用だ。そのためザクス・ロアに――ザクスさんにとても可愛がられることになってな。金払いも最高にいいこともあり、貧民街スラム生まれの貧乏性な私は何年もそこで働いてしまったよ」



 結果、アシュレイは組織から逃げる決意が出来なくなってしまった。


 当然である。

 貴重な異能者である時点で組織は彼を過剰なほどに大切に扱い、そして愛と欲に飢えた孤児アシュレイにとっては、その好待遇は求めてやまないモノだったのだから。



「ザクスさんはうまかったよ。組織への嫌悪感が再燃するタイミングで、高い酒を持ちながら『一杯飲もうぜ!』と、兄か父親のように優しく接してきてなぁ……」



 まるで、熾火おきびにぬるま湯をかけるがごとく。

 あるいは、復調せんとする病人に中毒薬を飲ませるがごとく。

 そうしてアシュレイは、ずるずると性分に合わない場所に留められ続け……唐突に限界が訪れた。



「だが、ザクスさんが私のような孤児を殺そうとしている姿を見て、いよいよカッと。……あまりにも遅い反逆だったよ。私自身も、戦場で多くの命を奪ってきたというのに」


「それで、この領地に逃げてきたわけか」


「ああ。ザクスさんに半殺しにされた状態で、命からがらな」



 そういえばと思って苦笑する。

 目の前の王子とは、あの人に殺されかけ仲間だな、と。



「当然、この地の人間は死にかけの私を放置したよ。なにせ彼らにも余裕がない上、当時の私は絵に描いたような悪人ヅラをしていたからな。“近づいてトラブルに巻き込まれるのは御免だ”と、誰もが見ないフリをしたさ」



 そうして日陰に横たわり、静かに力尽きようとしていたアシュレイ。



「まるで、スラム時代に戻ったようだった。弱ってようが傷付いてようが、誰もがオレに目もくれず、足早に目の前を去っていくんだ。……とても悲しくて辛かったよ」



 一体自分の人生は何だったのか。

 無駄に殺して無駄に逃げて、最期は無意味に死にゆくのか。


 そうして虚しい絶望の中、夕闇が墜ちてもなお誰にも救われることはなく、時刻は午前零時を迎えた。


 街に響く大時計の鐘の音。


 一日の終わりにして『大仮装祭』の終幕であり――同時に、アシュレイの命が尽きようとした瞬間だった。



「そうして、私が瞼を閉ざそうとした時だ」



 灰色の人生を終えようとしていた男の下に、



「『悪の女王』が、現れたのだ」


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