第9話:なんだというのだ、この少女は(王子視点)




 ――何なんだ、この少女は。


 レイテ・ハンガリアの領地散策に付き添いながら、ヴァイス王子は戦慄していた。



「ん~、子供に買わせたパン、うめ、うめ……!」



 表面上の言動はたしかに悪辣なところもある。

 彼女自身が『自分は悪の女王様よ!』と酔っぱらった戯言を述べているように、悪党のつもりで生きているのだろう。

 だが、



「さて、お腹も膨れたし悪行二番目よヴァイスくん。道行く民衆どもを罵りまくるわよ!」



 青い瞳を見開くレイテ。彼女が「ギフト発動、『女王の鏡眼きょうがん』!」と叫ぶと、元々美しい瞳がさらに明るい水色に輝きだした。



「さぁーいきましょ~!」



 そうしてレイテはるんるんと歩きながら罵倒を開始する。



「そこのアンタ、お酒飲みすぎよアホ! 頭だけじゃなく肝臓も悪くなってるわぁ!」


「えっ!?」


「そっちのアンタは結核菌が潜伏してるじゃないのシッシッ! 移るからあっちいきなさい!」


「マジですか!?」


「そこのアンタなんて物理的に頭悪くなりそうじゃないの! 脳腫瘍の赤ちゃんがいるわぁ!」


「なんとぉ!?」



 ……罵倒、というのだろうか、これは。

 レイテに病状を指摘された人々は、驚きつつもありがたそうに病院の看板がある方向に急行していく。



「うっふっふ、逃げ散る民衆どもの様が愉快だわぁ。わたしってば辻悪役ヒールね!」


「……あぁ、まさに辻診療ヒールだな」



 彼女のギフト『女王の鏡眼きょうがん』。

 怪我や病気を見抜くという感知系能力である。レイテはこのギフトを“悪役にピッタリ!”と思っているようだが、ヴァイスは違う。



“とてもとても、優しい力だ。その能力をキミに与えた『女神』に……そして何よりキミ自身に感謝しよう”



 なぜならヴァイスもまた、女王レイテ鏡眼ひとみに見出されることで救われた者なのだから。



「さぁて。それじゃあ悪行三番目といきましょうか」



 人々を罵倒(?)してすっかり機嫌を良くしたレイテ。雑踏の中、次に彼女は街角のほうに向かっていく。



「どきなさい、民衆ども」


『ははァッ!』



 彼女がズンと一歩進めば、そちらを歩いていた民衆の群れが一糸乱れず道を開けた。

 まるで訓練された王宮騎士たちのようだ。

 その様にレイテは「民衆どもが恐れているわァ!」と上機嫌に笑いながら進んでいく。


 ……人々の目に宿る感情は、恐怖ではなく絶対的なる『感謝』の想いだというのに。



「レイテ嬢、一体どこに向かう気で」


「わからない? あそこに荷物抱えて落ち込んでる女がいるでしょ」


「なに?」



 指を差されてようやく気付いた。

 幾重もの雑踏が開いた先。遠く離れた建物の日陰にぽつんと、悄然とした女性が座り込んでいることに。



「は?」



 ああ、これで彼女と出会ってから何度目の驚愕になるだろうか。

 人々が退く前からレイテは察知していたのだ。見落としても当然なところに、苦しみを抱えている者がいることに。



「一体どうやってあの女性を見つけたんだ……? それもギフトの力か?」


「いえ、わたしの感知には引っかからなかったわ。どうやら彼女、精神のほうが参っているみたいね」


「じゃあどうやって」



 重ねて問うと、レイテはさも当然かのごとくこう言った。



「別に。雑踏の縫い目から普通に一瞬見ただけよ。悪党たるもの、視界に入る奴隷たちの様子は全部チェックしておかないとダメでしょ」


「……ダメなのか」



 知らなかった。

 ここに来るまで数百人以上の民草とすれ違ったが、彼ら全員に目を向けていなければ悪党ではないのか。

 どうやらレイテ内の『悪党』というのは随分と難易度の高い存在らしい。



「じゃあ悪行三番目。弱ってる女をさらに虐げてやるわよ~~」



 女性の前に躍り出るレイテ。

 突如としてフフンッと胸を反らしながら現れた彼女に、当然女性のほうは困惑気味だ。

 アナタは……? と問いかけながら、胸に抱えた古びたカバンを抱き締めた。



「わたしはこの地の領主、レイテ・ハンガリアよ。それよりもアナタ、旦那さんを亡くしてこの地に来たのね」


「!?」「レイテ嬢……!?」



 女性と共に驚いてしまう。いきなり彼女は何を言っているのか。



「レイテ嬢、このご婦人とは知り合いなのか?」


「知らないわよ。ただ胸に抱えたカバンが、隣領『オーブライト領』で販売されてる男性用のモデルと気付いてね。見た目は武骨だけど頑丈なのが売りで、魔物退治に向かう男たちに人気だったはずよ。この人のモノもそこそこ年季が入っているわね。ほつれを直した跡もある」


「……」


 

 つらつらと語る様子に押し黙ってしまう。


 ……なるほど。そんなカバンを妙齢の女性が長々と使うのは不自然だ。誰かに譲り受けたと見るのが妥当か。

 そして、“ほつれを直す”という親愛宿る行為の跡に、カバンの中身というよりカバン自体を大切そうに抱えた様子からして、



「夫の遺品、というわけか」


「正解よ」



 レイテが頷いた途端、女性ははらはらと泣き出した。

 静かに涙を落としながら、「あぁ……」と悲しみの嗚咽を漏らす。

 


「その、通りです。兵士だった夫は先日、近隣を荒らす魔物との戦いに向かわされ、命を落としました……!」


「ふぅん。それでどうしてこの領地に? オーブライト領の民でいる限り、兵士の伴侶だったアナタには遺族年金が支払われるはずよ。移民したらその権利も」


「それがなかったんですよッ!」



 怒りを込めて女性が吼えた。

 遺族年金がなかった? それは一体どういうことなのか?



「……夫は魔物に直接殺されたわけではありません。怪我をしながらも家に戻ってきてくれて、最初は全然平気そうでした。でも……負わされた傷に雑菌が入ってしまっていたらしく、それから数日後に……!」


「なるほど。敗血症ね」


「ええ、お医者様にもそう言われました。すると領主は、“ならば任務が死因ではなく、その後の処置を怠ったのが死因だ。これは自己責任だ”とのたまい、金を出さなかったのです……ッ!」



 酷い話だと思った。

 領主の言い分も頷けなくはないが、それでも任務がなければ死に繋がる傷を受けなかったのは事実だろうに。

 なによりこれではあまりに慈悲がなさすぎる。



「私は、金銭を惜しんでいるわけではありません。ただ夫が犬死いぬじに扱いとされてしまったのが許せないのです! それでもう、あの地には居たくないと思い……」


「わかったわ」



 涙する女へと頷くレイテ。

 そして。彼女は悪しき女帝が如く、裂くような笑みで宣告する。



「アナタの領地移住を認めましょう。ただし、今日からわたしの雑用奴隷にしてやるわァッ!」


「えぇ……!?」



 あまりにも容赦ない宣告。“弱った女をさらに虐げてやる”とはこういうことか。

 だが、



「屋敷のメイドとして働いてもらうわ。労働時間は休憩含めて八時間、休みについては執事にシフトを組んでもらって週に二日は楽しみなさい」


「えっ」


「初任給は三十万で月末払い。ただしアナタはわたしが設けた『未亡人雇用制度』の対象者だから、慰安金として百万ゴールドを今日からでも受け取れるわ。また住居に関しても朝食付きの集合住宅を与えてあげるから、あとで屋敷までサインしにきなさい」


「えっ、えっ」



 ……もはや婦人は呆然とするばかりだ。

 レイテより語られる突然の好待遇に、悲しみも怒りもすっかり忘れた様子だった。そして、



「最後に、旦那さんの墓を無償で建てる権利をあげる。残念だったわねぇアナタ? これでアナタは、一生この地わたしから離れられなくなるわ」


「――」



 それが、トドメとなった。


 息を呑んで固まる女性。

 次の瞬間、彼女の両目から大粒の涙が零れ落ちる。



「あっ、あぁぁ……!」



 だがそれは、最初に流した悲哀の雫などではなく、



「レイテ様は、噂通りの人だった……っ! アナタは本当に、なんて人なのでしょうか……!」



 零れ落ちるは感謝の涙。

 喜びと感動に満ち溢れた、どこまでも美しい雫だった。


 レイテ・ハンガリアという少女は、涙の理由を一瞬で変えてしまったのだ。



「おーっほっほ! どうやらわたしの極悪っぷりに感服したようねぇ! 見ていたかしら、ヴァイスくん!?」


「ああ……目が焼けるほどに見ていたよ」


「それは見すぎでしょ!?」



 見すぎでいいのだ。


 なぜならヴァイスは、この『邪悪』なる少女の生き様から、『王』として目指すべき姿を垣間見たのだから。


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