8
一体どこをどう走り回って、ここに辿り着いたのか。
薬物疑惑のある危ない女にホッペにチューされるというショッキングな体験から我に返った時、志藤尊は見慣れた建物の中にいた。
尊が特待生として通う、私立桜坂大学である。
フラフラとした足取りで教室へと向かい、ドアを開けた瞬間、悪友達が馬鹿騒ぎをしている光景を見て無性にホッとした。
男4人、女3人の賑やかなグループが、戸口で突っ立っている尊に気付いて声を掛ける。
「尊、おはよー。」
「あんたの席も取っておいたよー。」
「…おはよう。」
「尊君、何だか元気ないねぇ。…あれ、荷物は?」
尊が着席するなり、悪友の1人、西野マナがそう言って顔を覗き込んできた。
すかさず、隣にいた男が言う。
「どうせ『また』女の子にフラれたんだろ。いつものことじゃん。」
「えー!?尊君『また』フラれちゃったの!?」
その誤情報は瞬く間に広がり「何?何?尊が『また』フラれたって?」「今度は誰に告白して玉砕したんだよ。」と無神経な輩がわらわらと集まってきた。
「…べ、別にフラれてないし。」
「今月に入って何人目だっけ?」
「いや、だから、フラれてないってば。」
「尊君、面白いのに、何で彼女できないんだろうねぇ。マナ、不思議だなぁ。」
「じゃ、マナちゃん、俺と付き合ってくれる?」
「マナ、面白いだけの人はちょっとぉ…。」
「………。」
「今、マナにもフラれたから、尊君の今月の失恋人数、6人になっちゃったねぇ。記録更新おめでと~。」
「………。」
いつもならここで尊が切れて教室で大暴れし、先生に怒られるまでが彼らのお約束の流れになっている。
しかし、今日はそうはならなかったので、仲間の1人が心配そうに聞いてきた。
「どうしたんだよ。マジで体調が悪いのか?」
「…あのさ。」
尊が深刻な顔つきで切り出す。
そのただならぬ様子に、友人達も思わず固唾を呑んで言葉の続きを待った。
「俺…もう結婚できないかもしれない…。」
「はぁ?」「ど、どうしたの、尊君、泣いてるの?」
「聞いてくれよ…俺、彼女だってまだ出来たことないのに…それなのに…無理矢理…。」
「お、おい、無理矢理どうしたんだよ。何かされたのか?」
「無理矢理…結婚させられて…今朝、起きたら…裸の女が隣に…。」
一瞬の間。いつもなら笑い飛ばして終わるところだが、尊のやけに不安げな表情を察して、仲間が口々に言う。
「お、落ち着けよ、尊。冷静になれ。お前はモテないんだ、結婚なんか出来るわけないだろ。」
「うんうん。何があったか知らねぇけど、気をしっかり持て。裸の女なんて、きっと童貞をこじらせたお前の妄想だよ。」
「お、お前ら…。」
仲間の精一杯の励ましに、尊は感謝するべきなのか、はたまたこいつらとは縁を切るべきなのか悩んでいると、男の1人、宮本修二(みやもとしゅうじ)が申し訳なさそうに言った。
「気付いてやれなくてゴメンな、尊。お前がモテないあまり、そんな幻想を見るほど思い詰めてたなんて…。お詫びと言っちゃ何だけど、俺の知り合いを紹介しようか?」
「し、修二君…いや、修二様…。」
「バイト先の女の子で、聖蘭女子に通ってる、ちょっと大人しい感じの子なんだけど…。」
尊の死んだような目に再び希望の光が宿る。
その直後だった。
「んなもん、新婚ラブラブのお前には必要ねぇよな、ダーリン。」
「!!??」
突然、悪魔のような声が降ってきて、尊は背後から何者かに抱きつかれた。
わざわざ振り返って、相手を確かめるまでもない。
ガッシリとした腕の感触に、尊の顔面から血の気が引いていく。
悪友達、とりわけ女子達が目を大きく見開き、頬を染めて言った。
「た、尊君…そ、そのイケメン…誰?」
周防壱は尊の首をしっかりホールドしたままニッと笑うと「ウチの主人がいつもお世話になっております~。」と答えた。
それから、尊の耳元で囁くように一言。
「来ちゃった♥」
「来ちゃったじゃねぇぇぇぇ!!」
尊は力の限り暴れてみせたが、壱の頑丈で堅牢なバックハグはびくともしない。
幸い尊の友人達は、イケメンの台詞をイケメンジョークとして受け流した。
昨夜の自分と同じく、これが女だとは微塵も思っていないようだ。
「ええっ、どういう関係!?どういう関係!?紹介してよ、尊君ー!」
「い、いや、えーと、その…。」
色めきたつ女性陣に問い詰められ、尊が返答に窮する。
果たして自分の平凡な生活に突如として発生したバグのようなこいつを、どう説明すればいいものか。
そもそも彼らは、自分がヤクザ一家の跡取り息子であることも知らないのだ。
ここにいる全員が全員『志藤尊』は『どこにでもいる平々凡々な大学生』だと思っていて、尊はそう誤解されたまま、今後も健全な青春ライフを続けていく予定だった。
それなのに。
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