「…おい、さっさと起きろ、クソ女。」


その一言で目を覚ました女が、布団からのっそりと起き上がって、こちらに向かって歩いてくる。


上半身は裸だが下半身はちゃんとズボンを履いていたので、尊は気丈に振る舞いつつも内心ではちょっとホッとした。


そして、目の前にやってきた女を見上げて改めて思う。


…で、でけぇ。


女はガッシリとした両腕を尊の肩に乗せ、屈んで視線を合わせると、まだ眠たそうな目でニッコリと微笑んだ。


「おっはよ、ダーリン♥」


「~~~っ!!俺に触るな、このデカ女!!」


「ンだよ、ノリの悪い野郎だな。俺のことは『ハニー』って呼んでいいんだぜ、ダーリン。」


尊が馴れ馴れしい腕を振りほどこうと必死にもがく姿を、ハニーが180は超えているであろう高みから見物する。


その口元には、気に入らないニヤニヤ笑い。


「離れろ、馬鹿女!!」


「クソ女だのデカ女だの馬鹿女だの、さっきから聞いてりゃ酷い言い草だな。せっかくの美しい日本語が台無しだぜ。」


女はようやく尊を解放し、畳に脱ぎ捨てられた黒ジャケットを拾い上げ、内ポケットからしわくちゃになった煙草を取り出した。


その中の1本を咥え、火を点けながら言う。


「周防壱だ。仕事は通訳をやってる。生まれは日本だが、育ちは香港だ。これからよろしくな、ダーリン。」


「ふざけんなぁぁぁぁ!!さっさと出ていけ、クソ馬鹿デカ女ぁぁぁぁ!!」


築50年、いつ崩壊してもおかしくない木造アパート『喜楽荘』が尊の大音声で激しく揺れた。


そう、昨夜尊の父が『美人』で『セクシーダイナマイトボディ』と言って紹介した女性の正体はー…会席の最中、ずっと挑発するようなヘラヘラ笑いを尊に向けていた、あのイケメン通訳。


尊からしてみれば、そもそも女生とすら認識していなかった存在だった。


周防壱と名乗った女が、煙を吐き出しながら顔をしかめる。


「うるせぇな、朝っぱらからがなるんじゃねぇよ。また昨夜みてぇにブッ倒れるぞ。」


そう言われて、尊の脳裏に昨晩の悪夢がまざまざと蘇った。


「そ、そうだ、婚姻届は!?」


「安心しろ、夜間受付で正式に受理してもらったぜ。空欄は俺が代筆しておいた。これで俺達は晴れて夫婦ってわけだ。よっ、この果報者!」


「そ、そんな馬鹿な…マ、マジで結婚したのか、俺…こんな奴と…?」


「ま、法的にはそうだな。」


尊は衝撃の事実に再び卒倒しそうになって、何とか踏み止まった。


それから、壱の精悍な顔立ちと先程から惜しげもなくさらけだされている上半身を見て、ボソッと呟く。


「だ、大体、お前、本当に女なのかよ…。」


「何だよ、お前の目はポンコツか?この立派な胸が見えねぇのかよ。」


確かに、立派な胸ではある。


ただ、壱の『それ』は尊がグラビア雑誌で見るようなフワフワフカフカの『それ』とは異なり、何て言うかすごくー…筋肉質だった。


胸と呼ぶより胸筋と呼ぶべき『それ』を見ながら、尊が半信半疑の口調で問う。


「…お前、本当に男じゃねぇの?」


次の瞬間、尊のデリカシーの欠片も無い発言が悲鳴に変わった。


壱が尊の体を軽々と担ぎ上げ、狭い和室をグルリと見回す。


「風呂はどこにあるんだ。一緒に入ろうぜ。」


「はぁ!?」


「俺が本当に女かどうか知りたいんだろ?」


「や、やめろぉぉぉぉ!!」


風呂場に向かおうとする壱の歩みに、尊は手近にあった柱を掴んで必死に抵抗した。


「遠慮すんなって。ついでに、お前が『真っ当』な男かどうかも確かめてやるからよ。」


その言葉に込められた何だか卑猥な気配を察知して、柱を掴む手にますます力が入る。


これはあれだ。貞操の危機だ。


尊は柱にしがみつきながら、全力で叫んだ。


「大体何でお前はそんな普通にしていられるんだよ!!俺達、親に無理矢理結婚させられたんだぞ!!嫌じゃないのかよ!!」


「何が?俺の初婚の相手が、お前みたいなボンクラのドチビだからか?」


「う、うるさい!!俺の成長期はこれからなんだよ!!そうじゃなくて…!!」


「OK、OK。お前に伸びしろがあるかも、俺がちゃ~んと確かめてやるから、早く風呂に行こうぜ。」


「~~~~ッ!!」


そこでついに、尊の感情が爆発した。


本当はこんな奴に打ち明けるつもりはなかったが、仕方ない。


今年で21歳になる青年が、顔面を真っ赤にして小学生みたいな台詞を絶叫する。




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