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「此度はこのような場にお招き頂き、ありがとうございます。香港を代表して謝意を。志藤組の武勇は予てより存じ上げておりました。我々がこの街に進出するにあたり、あなた方のバックアップを受けられるのであれば、これほど心強いことはありません。是非我々の『足がかり』として、その武を存分に奮って頂きたい。」
どうやらこの尊より少し年上に見える青年は、中国人男性の通訳としてこの場に馳せ参じたようだった。
「…足がかり?」
その一言に過敏に反応したのは猛ではなく寧ろ尊の方で、イケメン通訳はそれを受けて自分の言葉を直ちに修正した。
「…失礼、私の翻訳に語弊がありました。劉(りゅう)大哥に落ち度はありません、どうかご容赦を。」
それから、再び中国人が何事か話し始めー…通訳の男は一瞬だけ戸惑うような顔つきになって、その言葉を尊に伝えた。
「申し遅れました、私の名前は劉徳懐(りゅうとくかい)です。あなたのお話は、お父上から伺っております。何でもお父上に似て優秀で、大学に特待生として通ってらっしゃるとか。」
「違う違う。親父に似なかったから優秀なんだ、俺は。」
しかし、尊のツッコミは通訳に翻訳するに値しないと判断され、話はそのまま進行した。
「我々はお父上の組織と、家族のように親しい関係を構築していきたいと考えております。私のことは『徳懐叔』と呼んで頂いて構いません。あるいは、ええと…。」
そこで何故か通訳が言い淀んだ。
「その…あるいは『パパ』と呼んでもらっても結構です。」
一瞬、尊にはその単語の意味するところが分からなかった。
通訳が翻訳を忘れたのだろうか。
「パパってどういう意味だ?」とキョトン顔で尋ねると、返ってきたのは「…パパって意味だ。二度も言わせんな。」という通訳の苦々しい表情だった。
自分でも訳していて、ちょっと気持ち悪いと思ったのかもしれない。
尊が「はぁ?」と顔をしかめながら、改めて中国人の方を見やる。
カタギには見えないがヤクザにも見えない、独特の風貌の男性だ。
オールバックの古めかしい髪型に、銀縁眼鏡の奥に潜む蛇蝎の双眸。
年は50代くらいで、確かにパパでも差し支えない年齢ではありそうだが、しかし、黒のスーツに真っ赤なネクタイというなかなかパンチの効いたファッションセンスの男をパパと呼ぶ勇気は、尊にはなかった。
本物のパパの方を振り返って言う。
「親父、正気かよ。こんな得体の知れない連中とつるむつもりか?」
「チッチッチッ。尊、これからはヤクザもグローバル化の時代だぜ。志藤組にもワールドワイドな視点ってやつが必要なんだよ。」
…一体誰だ。この馬鹿に小賢しい単語を仕込んだ奴は。
「いいか、尊。今から話す内容はトップシークレットだ。誰にも喋るんじゃねぇぞ。」
「…俺は組とは無関係な一般人なんだけど?」
「馬鹿野郎。お前は無関係どころか、今回の大事な主役なんだぜ。」
「はぁ?」
顔をしかめる息子に、父親は声をワントーン低くして続けた。
「聞いておったまげるなよ。劉さんはこう見えても、香港マフィアの大物でな。ウチと組んで、この街にどでかい花火を打ち上げようって話があるんだ。」
それを聞いた瞬間、尊は顔面蒼白で叫んだ。
「ほ、香港マフィア!?」
「がーっはっはっは!驚いたか、尊!これでウチもインターナショナルな組織の仲間入りだ!」
「笑ってる場合か!そんな連中と手を組むなんて何考えてんだ、この馬鹿親父!」
怒鳴りながら、父親の着物の胸倉を掴む。
少しはだけた襟の隙間からは、立派な龍の入れ墨が見えた。
「今は関東明誠会が新宿の外国人を一掃しようと躍起になってる最中だろ!そんな時に香港の、しかもこんな胡散臭い連中とつるむなんて、宍戸組は承知してんのかよ!」
「だからトップシークレットだって言ってんだろうが。でかい声を出すんじゃねぇ、外に聞こえたらどうすんだ。」
言いながら、猛は息子の細い腕を掴んで引き離した。
関東明誠会は関東の大小様々な組織をまとめる広域暴力団、宍戸組はその二次団体で新宿歌舞伎町を縄張りにしている、志藤組にとっては親に該当する組織である。
しかしー…。
「いい加減、連中には愛想が尽きたんだよ。オメェだって宍戸組のド汚ェやり口は知ってんだろうが。」
「………。」
知らないわけではない。
親である宍戸組が、暴対法以降さっぱり奮わなくなった志藤組に何かと難癖をつけて切り捨てたがっていることは、尊の耳にも入っていた。
「し、宍戸組に宣戦布告するつもりなのかよ、親父…。」
不安げに尋ねる尊に、返事をしたのは通訳を介した『徳懐叔(おじさん)』だった。
「その点はご安心を。我々も事を荒立てるつもりはありません。問題解決には、平和的かつ友好的な手段で臨みたいと思っております。」
「平和的かつ友好的な手段って何だよ。皆で宍戸組の組長の誕生日パーティーでも開いてやるとか?」
「それは良いアイデアです。皆でプレゼントを用意して、バースデーソングを歌いましょう。」
尊は正面のいけ好かない2人組を睨みつけてから、再び父親の方を振り向いた。
「親父、考え直せ。こいつらも宍戸組の連中と変わらねぇ。チャイニーズマフィアの常套手段だ。親父を言葉巧みに騙して、組を乗っ取る気なんだよ。」
しかし、部屋に響いたのは鼓膜が破れんばかりの豪快な笑い声だった。
「がーはっはっはっ!その心配なら必要ねぇぜ、尊!何たって劉さんは今日から名実ともに俺達の家族になるんだからよ!」
「…どういう意味だよ?」
眉をひそめる尊の前で、猛がゴソゴソと懐を探り、1枚の紙切れを取り出した。
「…何だよ、これ。」
「オメェ、大学に行ってるくせにこんな簡単な漢字も読めねぇのか?」
「そうじゃない。…何で親父が婚姻届なんか持ってんのか聞いてんだよ。」
尊はテーブルの上に置かれた用紙を見て、不吉な予感を感じざるを得なかった。
まさか…まさかとは思うが…親父が俺をわざわざここに呼んだのは…。
嫌な予感ほどよく当たるものはない。
次の瞬間、猛はその強面にはちきれんばかりの笑顔を咲かせ、声を大にして言った。
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