告知と見知らぬ男

 2年前のちょうど今頃だった。

 大事な話がある、そう言われて連れてこられたのは町の総合病院だった。

 毎朝通り過ぎることはあっても、お世話になることなんてないと思っていた。案内された小さな部屋で、医者から受けた説明は信じ難いものだった。


「奥さんの病名は膵臓がんです。膵臓がんっていうのは症状が……」


 内容はほとんど頭に入らなかった。唯一覚えているのが、余命はもって1年ということ、治療は治すためのものではなく、限られた命をどれだけ有意義に過ごすためのものか、ということくらいだった。

 こんな若さで? まだ癌っていう歳じゃないですよね? 私にはそんな意味のない質問をすることしかできなかった。

 何はともあれこうして闘病生活が始まった。


 1週間入院しては退院、というスケジュールを繰り返しながら、徐々に入院の頻度は増えていった。


 そんなある日、私が病室に入った時だった。

 見知らぬスーツ姿の男が妻と話していたのだった。男は私に気づくと、はっとして、


「それでは失礼します」


 と言って私に会釈をして帰って行った。


「今の人誰?」


 妻は少したじろきながら、


「田島さん、業者の人で薬の説明をしてくれてた」


 妻の嘘は大体わかる。眉毛がぴくぴくと動くからだ。

 妻は美人で、初めて会ったほとんどの人から「奥さんって美人ですよね」と言われ続けていた。

 

 そんな妻に浮気の1つや2つ、あったかもしれない。

 最期ということで会いにくる人もいただろう、もうそこは触れないようにしよう、私はそう思っていた。


 しかし、不満もあった。

 家のことで聞きたいことがあったので、スマホのビデオ通話をかけようとしたところ、ずっと話し中だったため、私が直接会いに行こうと思った時のことである。


 私が病室に入ろうとしたら、中から妻の楽しそうな笑い声が聞こえてきたのだ。

 私がノックして扉を開けると妻は、

「——あ、じゃあまた。よろしくおねがいします」


 と声色を変えたのだ。


「誰と話してたの? 全然繋がらなかったから、直接きたよ」

「ごめん、田島さん。この前いた人」


 あの男か。

 一体何者なのか、いくら最期だから許容すると言っても、日常生活に支障が出るのは困る。


「あの人、誰? 業者の人じゃないだろ。この病院の知り合いにも聞いたけど、そんな人いないって」


 妻は少し困惑した表情だった。そしてぼそっと呟いた。


「ごめん、今は言えない」


 言えない? 長年連れ添って、今必死に妻を支えようとしている私にも? しかも『今は』って——。

 私は悲しくなった。

 人間最後に本性が現れるという。

 私と妻の関係は所詮そんなものだったのか、悔しさが込み上げたが、私はぐっとこらえた。


 それから妻の体調はみるみる悪くなり、やがて喋るのも難しくなってきた。

 痛みを抑えるための薬は鎮痛薬から鎮静薬へと変わり、ほとんど寝ているような状態になった。

 日に日に痩せ細っていく妻の手を握りながら、妻は口を開いた。


「もし、私が……死んだら。机の……引き出しの手紙を、読んで——」

「机ってここの?」


 妻はこくりと頷いた。


「田島さんを……悪く思わないで——」


 それが妻と交わした最後の会話だった。

 最後まであの男をかばうのか、私はその妻の態度に少し嫉妬心を覚えた。

 数日後、妻は息を引き取った。

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