第30話
深夜。
小さな建物の中にみっしりと寝袋が芋虫みたいに転がっている。
私もそのひとつだ。寝袋の中で体を丸め、タブレットで鉄獣のデータを漁っていた。
凍土狩場の鉄狩りの間では図鑑のようにまとめられた鉄獣のデータが流通している。
よく知られた種はその特徴から生息域、討伐時の注意点などがまとめられ、珍しい種でも目撃情報が載せられ生態に関しての考察が添えられていた。
これは凍土狩場でつくられたものじゃない。
ガウが用意したのだと父さんが言っていた。それも本人が調べたのではなく、大企業から盗み出したらしい。それを父さんに渡して、父さんもまた他の鉄狩りに流した。
そのことを知っている人は少ない。
知っていればおじさんはあそこまで嫌われてないはずだ。
本当は凍土狩場のためにできることをやってたんだとわかる。
姿の見えない鉄獣について探してみたけれど、それらしいものはついに見つからなかった。
載っていないのか、検索の仕方が悪いのかはわからない。データベースに記録されている鉄獣の数は膨大で全部に目を通すとなると一週間はかかる。今日は諦めよう。
夜も更けてきたし、形だけでも眠ろうと目を閉じたときだ。
また、声がした。
鉄獣の声だ。あの耳障りな機械音だ。
遠くからだし、風の音に紛れているけど間違いない。
私は上着を手に取り、外に出た。
フードの中にいたサラが落ちてきて、慌てた様子でポケットに入っていった。
昼行性の彼女はいつもなら寝ている時間だった。
「起こしちゃってごめんね」
外に出た。
夜は暗くて何も見えない。
でも、今度はもっとはっきりと声が聞こえた。
宿舎の入口近くでうたた寝していた若い鉄狩りの肩を揺すった。
「ふああ、お嬢、俺も疲れてるんだから見張りくらい多めに見てくれよ」
「います」
「いるぅ? 鉄獣……ああ、なんかいるな」
この吹雪と暗闇でわかるんだろうか。
でも、彼は確信していたようだ。さっきはなかった緊張感を漂わせている。
鉄狩りは銃を手に取ると外に出て、空に向けて三発放った。
「敵襲!」
宿舎が騒がしくなる。
武装した鉄狩りが次々に現れては吹雪の中に消えていった。
すぐに戦闘の音が聞こえてくる。
今度は私にもはっきりと姿が見えた。鉄殻衣を着た鉄狩りに飛び掛かる四足の鉄獣の姿がヘッドライトによって照らされていた。そして、周りにはたくさんの影。その中には大型の車よりも大きな影もあった。
体が震えた。
多分、これは寒いからじゃない。
「まずいな」
鉄狩りが上ずった声でつぶやく。
宿舎の壁は厚くはない。雪と風をしのぐには十分だが、あの丸太のような手足を持つ鉄獣が飛び掛かってくれば積み木のように崩れてしまいそうだ。
「要塞市場に避難しましょう」
「それしかねえか……」
凍土狩場の住民を起こさなければならなかったが、銃声と戦闘音のおかげで多くの人がすでに起きていた。人々は列を作って要塞市場へと向かう。
一体、私たちはどこまで逃げ続ければいいのだろう。嫌になる。
途中二度ほど抜けてきた鉄獣を追い散らし、やっとの思いで門の前にたどり着く。
門は開いていない。高い壁だけが私たちを出迎える。
宿舎からはほんの短い距離でしかなかったのに息があがるほど消耗している。後ろからは戦闘音が近づいている。もう一刻の猶予もない。
しかし、要塞市場側の男は譲らなかった。
『悪いがそれはできない。上からの命令だ』
扉に取り付けられたインターホンのスピーカーから冷たい声がした。
「鉄獣が攻めてきてるんだぞ!」
『いかなる状況でも中に入れるなと言われているのだ』
「そんな場合か!」
『そんな場合ですわよ』
中年の女性の声だった。
『今、開けると鉄獣が入ってくるかもしれないわ。そんなの危ないでしょう。私は市長として市民を危険に晒すわけにはいかないの』
「俺たちはどうなってもいいって言うのかよ!」
『わたくしだってつらい選択ですのよ。でも、安心してくださいまし。我々の雇った傭兵たちがすぐに到着しますわ。ホワイトガード、知ってますかしら。第三大陸屈指の財力を持つPECが運営する民間軍事会社の最精鋭。卓越した技能を持つ者だけが集められた最新装備のエリート中のエリートですのよ。田舎でふらふらしている鉄狩りとは比べ物になりませんわ』
ほほ、と市長は笑って通話を打ち切った。
一層冷たくなった風が私たちの間を通り抜けて壁にぶつかった。寒さにくらくらする。気を抜けばその場にへたり込んでしまいそうだった。
すぐ後ろから鉄獣が雪を蹴る音が聞こえてきた。
戦っていた鉄狩りたちは無事なのだろうか。いくらホワイトガードとかいうのがいくら強いといっても到着する前にどれだけの犠牲が出るかわからない。私だって……。
残弾のない拳銃を握り締める。
「危ない!」
暗がりから四足の鉄獣が飛び出す。
そいつは顔を真っ青にしたお婆さんにに襲い掛かる。押し倒したところに鉄狩りが蹴りを入れた。目に赤いものが映った。突き立っていた牙が肉を裂いたのだ。
「……もうやめてよ」
私たちが何をしたというんだろう。
なんでこんな理不尽に合わないといけないんだろう。
聞きなれた鉄獣の声が周囲からする。
凍土狩場でよく聞いたグラスハウンドの鳴き声だ。
その声は私たちを取り囲んでいるようだった。
闇の中で影がうごめく。
「誰か、助けてよ」
私のつぶやきは吹雪にかき消された。
こんなときどうすればいいのだろうか。祈ればいいんだろうか。
鉄獣が包囲を狭めてくるのがわかる。グラスハウンドは群れで狩りをするときはこうして獲物の様子をうかがいながらタイミングを見計らう。
寒さでもう体も頭も動かない。
このまま雪に埋もれて死ねば少しは楽になるだろうか。
非常用に一発だけ残っていた弾丸を拳銃に込めた。
何もかもがバカバカしい。もう誰も助けてなんかくれない。ホクセンの冷たさがよくわかった。凍土狩場の素晴らしさも理解した。全部あの人の言う通りだった。
でも、わかっていても私にできることはなかった。
勉強しても、鉄獣を見つけても、何の意味もなかった。
一体私はどうすればよかったんだろう。
何者になればよかったんだろう。
ああ、くだらない。
「ふざけるなよ、化け物」
銃口を暗闇に向けて構えた。
暗闇の中でグラスハウンドたちがガラスのような瞳を光らせていた。
たとえ、何の意味がなかったとしても私は、私たちはこの世界と戦い続けるしかない。無力でもできることをやるしかないのだ。
父さんも、おじさんも、他のみんなもそうやって凍土狩場を守ってきたんだから。
音が聞こえる。
鉄獣の声とは違う、もっと人工的な音。
それはホクセンの雪を巻き上げて鉄獣を轟音とともに切り裂いた。
この音にも覚えがある。回転のこぎりの音だ。
「ギリギリ間に合ったわね」
近くの数匹を真っ二つにした彼女はそう言って私に近づいた。
暗闇の中ではまだ戦いが行われているようで、激しい破砕音がいくつも響いている。
「メイズさん、どうしてここに」
「ちょっといろいろあってねえ。ネイロちゃんたちこそどうしてこんなとこで突っ立ってるのよ。せっかく立派な防壁があるのに使わないなんてもったいないじゃない」
「市長が……市長が門を閉じて入れてくれないんです」
「へえ」
振り返る。
後ろには先程まで鉄獣と戦っていた誰かがいた。
「どうする?」
その人物はフードを深く被っていて顔は見えない。
だけど、誰かなんてすぐにわかった。
彼はそんなの決まっていると言わんばかりに門に近づく。
そして、尻尾の先を向けた。
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