第29話
私がそれを見つけたのは夕暮れ時だった。
私はひとり、壁の外側を歩いていた。おじさんに言われた異変がないかを調べるためだ。
そのときになって具体的なことを何も言われていなかったのに気づいて、内心憤慨しながらも壁そのものと遠くの様子の両方を確認することになった。
要塞市場はさすがに大きくて一周するには時間がかかり過ぎる。
そもそも途中で川があって街の中の橋を渡らないと向こう岸にはたどり着けない。
だから、川が見えてきた辺りで引き返そうかと思ったら、遠くから妙な音が聞こえてきた。
聞き慣れない鉄獣の鳴き声だ。
耳障りで不規則的な、耳の奥をひっかくような機械音。
鉄獣の声が聞こえる人はあまり多くなくて、それも大人になれば聞こえなくなってしまうものらしい。昔はおとぎ話の妖精みたいと思ったけど、現実はそんなにかわいいものじゃない。私はもう鉄獣がどんなに危険な生き物か知っている。
警戒心を高めて注意深く音のした方へ向かった。
ちょっとした坂の上に背の高い大木がまばらに生えている。生き物の気配はない。
けど、坂の上には足跡があった。
二足歩行で大きさは人間より二倍ほどある。
この足跡もまた奇妙だった。足跡は要塞市場の方へと向かっているが、途中で空でも飛んだかのように途切れている。気持ち悪い。もっと近づこうと思ったけどすぐにやめた。
これがおじさんの言っていたものなのだろうか。
胸騒ぎが抑えきれずに心臓を抑えた。硬いものが手に当たる。おじさんに貰ったゴーグルだ。
そういえば、このゴーグルは目では見ることできないものが見えると言っていた。
私はおそるおそるゴーグルをかけた。
電源を入れ、機能を切り替えるためのダイヤルを回しながら足跡をにらみつけた。
そして、それは姿を現す。
温度を感知するようにしたとき、足跡の途切れた場所に立つ赤い輪郭が浮かび上がった。見上げるほど大きく、上半身が膨れ上がった人の形をしている。
ぼんやりとしか見えないため、詳細はわからない。
それは要塞市場を眺めているようだった。
つまり、
ゆっくりと後ずさった。
心臓が大きな音を立ている。
気づかれないことを祈りながら、一歩ずつ距離を取る。
息が震えた。
それが頭を動かす。
目が合った気がした。
もうこの空間にいることが耐えられない。
頭の中は真っ白で、気づけば全力で走っていた。
後ろを確認する余裕は、ない。
◇
キャンプに戻ってきた。
平和そのもので今も夕食の配給が行われている。
このときやっと振り返る余裕ができた。後ろから追ってくる様子はなかった。
額の汗をぬぐう。
この寒さでも全身が火照っていた。
直に冷めて汗が気持ち悪さに変わるだろう。その前に体を拭く、いや、それよりも先にやることがある。私が見たものを伝えなくちゃならない。
「少しいいですか」
顔見知りの鉄狩りの男に話しかけた。
彼はキャンプ地を守るための居残りだ。凍土狩場へ向かった人に比べて腕が劣るわけではなく、家族と共に避難していることからここを任された。
「おう。お嬢じゃねえか。飯は食ったか。ちっちぇんだからいっぱい食わねえと大きくなれねえぞ」
「余計なお世話です。それよりも向こうに鉄獣がいました」
「そりゃ一匹や二匹はいるだろ」
「普通の鉄獣じゃないんです。目に見えなくて、大きくて不気味なのが。あんな鉄獣は見たことも聞いたこともありません」
「はあ? なんで見えないものが見えるんだよ」
「これで見ましたから。父さんの使ってた特殊な鉄獣を見つけるための道具です」
「へえ。タロさんがねえ」
男はしげしげとゴーグルを眺める。
「よくわかんねえけど、明日見回りに行ってみるわ」
「明日? 今日は?」
「いや、もう暗えだろ。雪も降りそうだしよ。鉄獣だって人間が固まってるところにわざわざ来ねえし、見張りも立ててるから心配いらねえよ」
やはり、あれの異質さがまったく伝わっていない。
自分の口の回らなさを恨んだ。
「また、凍土狩場と同じことが起きるかもしれません」
「まさか。どれだけ距離があると思ってんだ」
「凍土狩場のときもみんなそうやって安全だと思ってました。凍土狩場も最前線の一部なのにずっと上手く鉄獣を狩ってきたから大丈夫だって。でも」
「はあ。わかったわかった。警戒はしとく。皆にも伝えておく。何かあればすぐ動けるようにしておけってな。今日のところはそれでいいか?」
「……ありがとうございます」
「あんまり気にすんなよ。不安なのは皆同じだろうからな」
あやされているような気もしたけど、これ以上は言っても無駄だと思った。
おじさんに言われた通りにやってみたけど、本当に意味はあるのかと思った。
わからない。
わからないけど、今夜は眠れそうになかった。
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