第25話

 出立の朝がやってきた。

 あいにくの曇り空。寒さも相まってピクニックには向かない空模様だ。


 トレーラーで留置所前まで行くとすでに凍土狩場への遠征部隊はそろっていた。その数は予想よりは多く、どれだけエクシオが尽力したのかがうかがえる。

 車を降りると敵意のこもった視線を向けられるものの、それ以上の反応はない。

 気にすることなくエクシオのところへと向かった。


『話は付いたか?』

「揉めましたけどねえ」


 エクシオのヘルムの奥からは疲れ切った声。


「私たちも善意からあなたを自由にするわけではありません。本来なら斬首で済ませるところを手間をかけさせられたのです。リターンは期待しますよ」

『貴様も大変だな』


 力なくエクシオが笑った。

 鉄狩りたちの手前、エクシオは威厳あるリーダーでなければならない。お喋りが突然喋らなくなれば怪しまれるが、人付き合いを好まない性格だったのが功を奏しているようだ。

 まあ演技などせずともエクシオほどの鉄狩りになら従うと思うがな。


 トレーラーに戻る。

 まず、斥候役が雪上車で走り出し、安全の確保できた場所を大型の除雪車で道を作る。その後、本隊の戦闘車両たちが雪を踏み固めて凍土狩場への列をなす。我々はその最後尾だ。


『気持ち悪い』

「どうしたの、唐突に」

『いや、鉄獣除けの音がしたのでな』


 甲高くうねった音。

 そんな音が幾重にも重なり合って吐き気が込み上げてくる。

 鉄獣除けの超音波は本来人間では聞こえない周波数の振動だ。

 それが鉄獣の体になったことで聞こえるようになった。


「やっぱり、鉄獣だと気になるの?」

『ああ』

「たまに子供も聞こえるっていうわよね」

『子供は大人には聞こえないような高音域も拾えるからな。だが、すべての子供が鉄獣の周波数に適応できるわけではない。耳のいい人間だけだ』

「へえ。珍しいんだ。そういう子供を狩りに連れてくなんて話も聞いたけど」

『鉄狩りをやるなら便利な能力だろうが、狩りに出れば鉄獣除けの音も拾ってしまう。今、その音を聞いている身からすると、我慢強くなければやっていけんだろうな』


 鉄獣除けにもいくつか種類があり、音色も音の高さも違う。

 自分で聞くとその差がはっきりとわかる。

 この耳を使えばより鉄獣が寄り付かなくなる鉄獣除けを選別し、開発することも可能……いや、私がやっても効くのはエカと同種の鉄獣だけかもしれん。要検証だな。


 揺れるトレーラーの中でしばらくそんなことを考えていた。



 ◇



 道中は平和そのものだった。

 怪我をした子供を連れ歩いたり、鉄獣を狩るのに寄り道したりすることもない。行き先が攻め滅ぼされた都市でなければ旅行のようなものだ。


 たどり着いたのは翌日の昼。

 帰還した凍土狩場は以前と何も変わらないように見えた。


 エクシオが鉄狩りたちを集める。


「ここまでは想定通りです。事前の情報では鉄獣はいないということですが、日数が経っており、現在はどうなっているかわかりません。用心には越したことないですねえ。今のところ、戦闘も消耗もありませんから予定通り、選抜部隊による偵察を行います」


 本隊は街の少し離れた場所に陣を張り、選ばれた数人が街へ入っていく。



 ◇



 一時間が経った。


 しかし、彼らは帰ってこなかった。

 無線にも応答はない。次第に鉄狩りがざわつき始める。

 予定では偵察班から情報を受け取って何もいないことを確認してそのまま進軍という流れだったのだろう。だが、戻ってこないことには始まらない。


 一体、どうするのだろうと思っているとエクシオが自身の天幕に私を呼びつけた。

 向かうと背を丸めて頭を抱えたエクシオがいた。


「もう誰も死んで欲しくないだけなんです」

『ああ』

「避難した人々も、ここにいる鉄狩りも、あなただってそうです。死ぬ必要なんかありません。できることならメアリーも、凍土狩場で死んでいった人たちも生きていて欲しかった」


 エクシオを苦しめているのは理不尽な現実だ。

 凍土狩場を取り戻さなければ飢えと寒さで避難民が死ぬ。

 凍土狩場を取り戻そうとすれば戦闘で鉄狩りが死ぬ。


 どちらを選んでも死が待ち受けるというダブルバインドによって無駄に責任感の強いエクシオはやられてしまっていた。直接近くで戦うことができず、指示だけ出して自分が生き残っていることが許せない。こんなにも今の立場が似合わない人間が他にいるだろうか。


「なのに、どういうことですか」

『何がだ』

「凍土狩場に敵はいないと言ったでしょう!」

『私が起きたときはな。今は違うかもしれない。貴様も皆の前で敵がいるかもしれないから気をつけろと直々に言っていただろう』

「ああ、その通りですねえ」


 声から苛立ちがにじみ出ていた。

 こいつ、まさか、私に文句を言うためだけに呼んだのか。


「困りましたねえ。情報が何も得られないのは想定外です。ただの道に迷っただけならばいいのですが、十年住んでいた都市で迷子にはならないでしょう」

『帰還できない状況にあると考えるのが妥当だろうな』

「具体的には?」

『もう死んでるだろ』

「あなたが何もいないと言ったからここまでッ……!」


 ぎり、と歯を軋ませる。


「すみません。決めたのは小生でした」


 喉から絞り出すような声。

 エクシオは壊れかれている。それはまるでヒビの入ったガラスのようで、触れれば粉々に散ってしまうのではないかと思わせるほどに。


「……日が暮れる前に攻勢に出ましょう」

『自棄になるな。それは博打だぞ』

「では、どうすべきだと?」


 指の隙間から血走った瞳がすがるように私を見ていた。


『私が偵察に行こう』

「死にませんか?」

『舐めるなよ。私は必ず戻ってくる。だが、もしも戻ってこなければ逃げ帰れ。そもそもこれはこの程度の数の鉄狩りでは手に負える案件ではない』


 ゆるく首を振る。


「そのときは総攻撃です」


 情緒の安定しない昔馴染みを残して天幕を出る。

 早速、私は鉄狩りと賭け事に興じていたメイズたちを連れて凍土狩場へと向かった。



 ◇



 襲撃の跡は降り積もった雪に覆われて見えない。

 かつての賑わいはどこにもなく、より古い時代、廃墟だった頃に帰ってきたようだった。


「何もいないわね」


 メイズがささやく。


『ワレムシやらの小型がいたはずなのだが、それすら見えんな』


 ネイロは両手の丸ノコをだらりと垂らしたまま構える様子もない。鉄殻衣を着込んでいるときはいつも臨戦態勢の彼女がそれだけリラックスしているのはそれだけ敵の気配がないということだ。


 このネイロという女は欠点も多いが鉄狩りとしては非常に使える。

 近接戦闘の暴れっぷりが目立つが、他の能力を見ても平均を超えるだけのパフォーマンスがあった。索敵もできれば、場面によって様々なデバイスも使いこなせる。丸ノコを付け替えれば遠距離戦闘にも対応できるという。それでいてやばいときにも怖気づかない。

 加えて、彼女は鉄狩りを続けるのに最も大切な能力を備えている。

 弟のゴーズでなくとも惚れ込む奴はいるだろうな。


 膝まで埋まる雪をかきわけて大通りを進む。

 やがて、タロが倒れていた付近までやってきた。

 この辺りまでは先遣隊の足跡も確認できた。しかし、ここから少し先のところで足跡がどこに向かったのかわからないほど不規則に入り乱れている。その上、血の跡まである。本人がどこにもいないということはすでに逃げたか、あるいは――。


「嫌な予感がする」

「姉貴が言うならまずいかもな」


 先頭を歩いていたゴーズが止まる。

 すぐに一歩下がった。彼の持つライフルの先が欠けていた。バターをナイフで切ったみたいにあっさりと切断されている。

 私はこれと同じものを一度見たことがある。

 タロの鉄殻衣だ。


「いる」


 メイズがつぶやいた。

 何かが動いた。それは影のようだった。

 細いものが光に反射して、輝く。


 私は視界を熱源探知サーマルビジョンに切り替えた。

 ふと、これを導入するきっかけとなったときのことを思い出した。攻撃されたはずのタロが鉄獣の姿を見つけられなかったときの話だ。私はそれを看破するためにタロにゴーグルを作った。そして、ついでにエカにも同じ機能を搭載した。


『カクレグモだ』


 その種を知っていたのだろう、メイズが顔を険しくした。


「厄介ね」


 カクレグモは光学迷彩によって姿を消す能力を持った手のひらサイズの鉄獣だ。隠れた状態のカクレグモを視認し、戦うためには専用の道具がいくつか欲しい。

 本来、カクレグモはホクセンに生息しない種。用意しているはずもない。


「一度戻ろうぜ。対カクレグモ用の装備を持ってる奴がいるかもしれねえ」

『いいアイディアだ。しかし……』


 排水溝から一匹、街灯に一匹、屋根に一匹。まだ増える。もう数えるのも間に合わない。

 周囲を無数のカクレグモが這いまわっていた。


『どうもすでに囲まれているようでな』

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