第6話

 雪原に鉄獣を見つけた。


 グラスハウンドという種の鉄獣だ。

 大きさも形も中型犬に近く、ホクセン地方に広く生息している。名前にグラスとついているのはその瞳がとても透き通っているからだ。肉食動物のような顔のつくりをしていても、この目が魚眼レンズのように働き、視野が草食動物並みに広い。


 本来は群れで行動する種なのだが、今は一匹しか見えない。

 どうも群れからはぐれたようだ。

 これは私にとってとても都合がいい。


 私は手首のスイッチをスライドさせ、手の甲から金属製の爪を引き出した。

 爪は薄い光を発し、バチバチと音を立てる。

 私はこの武装を光爪プラズマクローと名付けていた。


 ハウンドはこちらに気づくと逃げ出そうと走り出した。

 追いかける。速さではこちらが上だ。


 飛びかかって爪を突き立てた。



 ◇



 この体はよく動いた。


 今にして思えば人間の肉体は柔らかく、疲労しやすい上に脆すぎる。

 ある知り合いも老年に差し掛かって生身の体に不満を持ち、全身機械化していたのを思い出した。

 私ももっと思い切りが良ければそうしていたかもしれない。後戻りが利かない改造は成功率がいかに高くとも躊躇してしまうものだ。


 光爪の性能も悪くない。

 リーチが短いが、威力はある。人型にしては素早いエカのボディであれば十分に実用的だった。元々エカに備わっていた機能を改造したのだから相性がいいのも当然と言える。


 ただ慣れの問題はどうしようもない。

 私は鉄狩りではなくただの素人だ。一匹だからなんとかなったが、これからもエカの体で戦うのであれば戦闘技能は身に付けるべきだな。


 殺したハウンドを担いで拠点に戻る。

 第三大陸には旧時代の廃墟が至るところに点在している。何百年もの年月が経っても姿かたちをそのまま残すほど丈夫なので今も住居として使われたり、旅の宿になっていたりする。大きな廃墟群ともなれば凍土狩場のような都市に姿を変えているほどだ。


 私たちがこの日の拠点にしたのもそういった廃墟のひとつ。

 何に使われていたかもよくわからない平屋だ。中にあったものは撤去されていて何もない空間だけが広がっている。地面も風化しておらず、草も生えていない。


 その隅の方で小娘が焚き火に当たってもそもそと携帯食を口にしていた。


 まだ顔色が悪い。

 寒い中で穴堀りなんかしていたから体力も使っている。ずっと雪道だったこともあり、ずいぶんと時間がかかってしまった。怪我のこともあるし、早めに人里にたどり着きたいところだ。


 私は再び光爪を展開し、ハウンドを細かく切り刻んで、その破片を口に入れた。

 小娘が目を丸くしてこちらを見ていた。


 携帯端末を手に取る。


『今の私は鉄獣と変わらない。人間が食事を取るように私はこのように他の鉄獣を食事とする』


 まあこの体での食事は世界的にも初めての試みで、実験的な部分もないわけではない。

 鉄獣の生態系を考えれば理論上、これが正しいはず。


 人間の舌に相当する部分が熱を帯びて金属を溶かし、それは内蔵を通って体内に吸収される。そうして体に入った金属は傷ついた体を修復したり、更に装甲を分厚く作り替えるのに使われる。

 原料は違えど基本的な原理は動物と変わらない。


 ついで、飲み物がわりに工業用アルコールを飲む。

 これは一時的に体温を高めるのと間接の滑りを良くするのに使われる。鉄獣が普通の動物を襲うのも可燃物や脂を確保するためだ。


 小娘の服の隙間から小さなトカゲが出てきた。

 これも鉄獣だった。

 ヒフキトカゲと呼ばれる種だ。

 名前の通り、火を吐き出す性質があり、比較的人に慣れやすい。ホクセンの鉄狩りの中にはこれを飼って火付け道具の代わりにする者もいる。

 そういえば、タロも飼っていると言っていた。


 トカゲは私の狩った鉄獣によじ登ると火を吐いて、溶けた部分を舐めるように食べた。

 私は彼、あるいは彼女のために少しだけ瓶からアルコールを地面にこぼした。


『君は勉強ができるそうだな。凍土狩場ではどのようにして教育を行っているのだ?』

「……別に」

『人見知りか?』


 あまりの手応えのなさ。

 沈んだ表情でタロの見せた写真のときのような明朗さはどこにもない。


『今までどのようなことを学んできた? 得意な分野はあるかね? 一通りは触れたのだろう?』

「……いろいろ」

『説明苦手か?』


 もはや答えになっていない。

 コミュニケーションこそ相互理解の第一歩であるというのになげやりが過ぎる。


『まあいい。人間は知的好奇心があるから進歩してきた。学び、調べ、知識をものにすることは非常に大切だ。かくいう私もその好奇心に突き動かされ、我を忘れることが度々ある。しかし、それを苦に思ったことなどなく、今も』

「もう放っておいて」

『反抗期か?』


 話すのが嫌なら聞くのも嫌。

 コミュニケーションこそが相互理解の第一歩であるというのに拒絶されては何も進展がない。

 これだから子供という非合理的生物は困る。

 好き勝手に生きているだけでは動物と変わらないではないか。私が同じ歳の頃にはもっと感情豊かではつらつとしていて分別がついていたぞ。


 怪我の具合も申告がないからわからん。

 とりあえず、これ以上の遅れれば食料も尽きかねないし、天候次第では動けなくなる。

 次に落ち着ける廃墟も少し距離があることだしな。


『荷物は私が持とう。できるだけ早く進みたい』


 小娘はうろんげにうなずいた。


 私ももうこれ以上は話す気も起きず、無心にグラスハウンドを口に運ぶ。

 この油臭さとガチガチの触感も最初は悪くないと思ったが、単調に感じてきた。

 人間の食事と同じように味付けや料理をした方がいいのかもしれん。


 足元を見ればヒフキトカゲが先程こぼしたアルコールを舐めていた。



 ◇



 急な攻撃だった。

 道中、物陰から唸りをあげて刃物が襲いかかってきた。

 かわしきれずに小娘のリュックの紐が切り裂かれ、中身が辺り一面に散らばる。


 襲撃者は鉄狩りだった。

 黒の下地に紫の装甲、黒鉄重工製。

 旧式の鉄殻衣のようだが、元々のモデルかわからないほど全身がカスタマイズされている。

 鉄殻衣を使っているというだけで警戒に値するが、この使い込みようは間違いなく手練れだ。

 両手に巨大な丸ノコを装備しており、これがメインウェポンだろう。


「どっせいッ!」


 鉄狩りは甲高い叫び声と共に丸ノコを振り下ろす。

 後退する他はない。


 今の私は鉄獣だ。

 しかも素材が高く売れる珍しい鉄獣。

 狩ったところで褒められこそすれケチをつけられる理由はない。


 話せばわかって貰えると言いたいところだが、そんな口は死んだときになくしてしまった。携帯端末など取り出している隙に真っ二つになってしまう。


 幸い、雪に慣れていないのか攻撃の手は緩い。

 向上した身体能力があれば、逃げるだけなら簡単に済む。

 だが、私ひとりではないのだ。


 横薙ぎの一振りを避ける。

 気づけば小娘とはだいぶ距離が開いていた。

 鉄狩りは私を無視して小娘に近づく。


 もしも、化け物が戦利品を山ほど抱えて、若い女を連れ歩いていたら何を優先する?

 討伐か? 荷物か? 女か?


 彼らは最も人道的な選択をした。

 鉄狩りが小娘を抱えて跳んだのだ。


 追う。

 そこに弾丸が雨のように降ってきた。

 突然のことに頭がついていかない。とっさに手を交差させて身を守る。小娘の拳銃よりずっと殺傷性の高い銃弾が体にぶつかって跳ねる。


 丘の上をにらみつける。

 鉄狩りはもうひとりいた。

 少し離れた小高い場所から私を撃ち下ろしていた。


 奴の攻撃は体の表面をわずかに削るだけに過ぎず、足を止める必要などなかった。そのことに気づいたときには鉄殻衣の鉄狩りと小娘は見えなくなっていた。もうひとりの襲撃者もすぐに逃げた。


 残っているのは私と中身のぶち撒かれた荷物だけ。

 なんともあざやかな敗北だった。

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