第3話:ゴースト・イン・ザ・ジェーケー
黒い和服を赤い帯で締め、謎にジャケットを羽織った男・高井戸レイジ。彼の目の前には、祠があった。何やら周囲が騒々しい。大方、肝試しに来た命知らずの若者が周囲にいるのであろう。
しかし、レイジは手にしたバットのグリップを強く握る。
そして、祠めがけて思い切り振り下ろした。知り合いの霊能力者に頼み特注してもらったバットは、彼の霊能力に呼応し、力を強め神聖な輝きを放つ。悪霊を屠る度に強さを増す輝きは、彼の霊能力の強さの象徴でもあった。
祠は一瞬にしてバラバラに砕け散る。周囲のざわめきが、より一層大きくなった。
「えー! 嘘マジ!? おじさん祠壊しちゃったの!?」
振り返ると、目の前には制服姿の少女が目を丸くして立っていた。スマートフォンと呼ぶらしい最新の携帯電話を祠に向けている。
「危険だ、離れていろ」
「えー? おじさんのが危険っしょ」
あまりに的を射た指摘に、レイジは何も言えなくなった。
その刹那、バラバラに砕けた祠から肉塊が飛び出る。バットを振ろうとしたときには、既に遅かった。肉塊は女子高生の口から、彼女の体内に入り込んでしまったのだ!
「しまった!」
「なにこれきもっ……うぷっ、ぶ、ぁ、ああああ!」
肉塊が完全に、彼女に入り込んだ。取り憑かれてしまったのだ。
少女はスマートフォンを放り投げ、目の前でバットを構えるレイジを見据える。その目は座っていて、最早何を映しているのかすらわからない。しっかりと立っていた彼女の足は、ふらふらと揺らめくように動いている。
完全に、正気を失ってしまっているようだった。
「ふ、ふふふふ……新しい身体! これで私は、また輝ける!」
レイジは、この祠に祀られている悪霊がどのようなものかを事前に調べて知っていた。彼女に入り込んだ肉塊は、生前は絶世の美人だったという。
名を華といった。
彼女はその美貌から大勢の男性に好かれ、大勢の女性に疎まれていた。彼女自身、自分の美貌を自覚し利用し、生き抜いてきたのだ。ときには男を籠絡し、ときには身体を売り、そうして生きてきた。
そうして高級品で身を包み、自身が輝いているかのように錯覚してきたのだ。
ところが、そんな彼女の華々しい生活は突然終わりを告げた。好きになった男性に求婚され、幸せの絶頂にいたとき、彼女が過去に籠絡した男性の妻が華に呪いをかけた。
呪われた華はみるみるうちに老化し、最終的には皮膚が全て溶け、身体の肉がむき出しになり、死んだ。彼女を心から愛していた男の「バ、バケモノ!」という声が、彼女が最後に聞いた声だった。
華は、自らを呪った女を呪い返し、そして……美しい女性の身体を乗っ取って生きてきた。そんな、厄介な悪霊だったのだ。それを祀る場所に、あろうことか美少女が訪れてしまった。これは、レイジにとっても誤算だった。
生身の人間の肉体を相手に、バットは振るえない。バットを背中におさめ、レイジは彼女から距離を取った。
「あなたが私を解き放ったのね? 礼を言うわ」
「礼など不要だ……俺がお主を屠るために解き放ったまで」
「屠る? 私を? この可愛い可愛い小さな身体を?」
華という悪霊は、美しい女性さえいなければ今のレイジにとっては雑魚だ。彼女はただ身体を乗っ取り、乗っ取った先の肉体に自身にかけられた呪いを移すことしかできない。
新たな肉体を得ても、自らにかけられた呪いのせいですぐにダメになる。そうして大勢の人を自身にかけられた呪いで、間接的に殺してきた。
悪霊としては戦闘能力のない雑魚に等しい。
しかし、人間の身体に入るのがたちの悪いところだった。
レイジは、破壊者や復讐者ではあるが、殺戮者ではないのだ。
「あなたよく見たら結構いい顔してるわね」
「生憎妻と子がいる……地獄行きの俺を律儀に天国で待つ妻子がな」
「あら残念、でもどうするの? 私はあなたを殺す力がないけど、あなたも私を倒せないでしょう?」
言って、彼女は駆け出した。逃げるつもりなのだろう。華からしてみれば、レイジと戦う必要はない。こうして再び外に出て、新鮮な少女の肉体を得ることができたのだ。呪いで朽ちる前に堪能し、その後、また別の肉体を探すことだけを考える。
レイジは彼女に追いすがり、塩を放った。
「くっ……でもダメ、その程度じゃ私は出ていかないから」
多少のうめき声をあげる程度。何度塩を投げつけても、同じ反応だった。
レイジの心に焦りが募る。早く対処しなければ、目の前の可憐な女子高生が死んでしまう。仮に死を免れたとして、今の美貌を失ってしまっては心が死んでしまいかねない。長い黒髪を風にたなびかせながら、悪霊に乗っ取られ走る彼女を救わなければ。
「これでどうだ!」
レイジは御神酒を華めがけてぶち撒けた。御神酒は善霊には安らぎを与えるが、悪霊には苦痛を与える。完全に神となってしまっては悪霊に対しても効果はなくなるが、華はまだ御霊神と呼べるほどの信仰を得てはいない。一定の効果が見込めるはずである。
しかし、無反応だった。
「あら、未成年を酔わせようなんて、いけない子」
「……こうなっては最後の手段に頼るしかないようだ」
「最後の手段? まだ何かあるってのかい? それとも、この子を殺すってのかい」
レイジは懐から、紙人形を取り出す。紙人形からは、得も知れぬオーラが垂れ流しになっていた。目の前を走る華の動きがピタリと止まり、身体を震えさせてしまうほどの禍々しい気を纏っている。紙人形にはしめ縄のような細い紐が何重にも巻かれていた。
「な、なによそれ……なんてものを持ってんのよ」
「これは悪霊ではない……が、お主ら悪霊にとっては悪魔かもしれぬ存在だ」
レイジが紐を解くと、紙人形から何者かが飛び出した。
老婆である。勾玉を何十個も繋いだものを首から提げ、着物の上からジャケットを羽織った赤い帯の老婆。
「頼むぜ、婆ちゃん」
「これで貸しイチ、残り一回じゃぞ、レイ坊」
彼女は、レイジの実の祖母である。
そして……霊能力者としての師匠であった。彼に取り憑いていたが、レイジが一人前に成長してからというものの自らの意思で形代に封じられている。彼を二度だけ助け、その後に成仏すると約束を交わして。
とても、邪魔な存在である。
「汝昔所造諸悪業皆由無始貪瞋癡 従身語意之所生 一切汝今皆懺悔」
唐突に、彼女は念仏を唱え始めた。南無阿弥陀仏の懺悔偈を少し改変した、彼女独自の念仏である。この念仏を唱えられた悪霊は、みるみるうちに成仏してしまう。たとえ、生者の身体に入り込んでいようとも無関係に。
「嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ! 私はまだ――」
辞世の句を言い終えることもできず、断末魔は尻すぼみになり夜闇に消えていった。女子高生は力が抜けたのか、路面に倒れ込む。咄嗟にレイジが支えたが、すぐに目を覚ましそうにはなかった。
「成仏なり」
「ありがとな、婆ちゃん」
「おう、気ぃ付けな」
それだけ言うと、老婆は形代に戻っていった。レイジが再び紐で縛ってから、女子高生を近くの公園のベンチに寝かせる。空を見上げながら、どうしたものかと情けない声で呟いた。
祠を壊し、災いをなんとか止めた無慈悲な復讐者も、可憐な生者にはカタナシであった。
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