第4話:ベイビー・ドント・クライ
「ここが夜泣き石の伝説のある神社なのね」
「……なぜお主が付いてきておる」
黒い和服を赤い帯で締め、謎に黒のジャケットを羽織った和洋折衷の男・高井戸レイジの隣には、先日の女子高生がいた。名を柊御琴というらしく、彼女は神社の家系だそうだ。あのときも肝試しなどではなく、実家の神社の周囲を友達と電話しながら散歩していただけらしかった。
そして、彼女はレイジのことを聞くと、自分も祠壊しに参加すると申し出てきたのである。無論、レイジは断固として拒否したが、今こうして神社の中心に二人で佇んでいる。
「おじさんだけだと今回は危ないと思うなー」
「危ないからこそお主を連れてはおけんのだ」
「あのときは面食らってアレだったけど! 私も結構やるんだから! それにここは本当にヤバいよ」
今回、レイジが対峙するのは小さな祠などではなく、本殿である。神社の中心にそびえ立つ、小さな本殿。まるで大きな祠のような簡素かつ必要最低限の外観をしており、しかし、異様な雰囲気を漂わせていた。
この神社に祀られているのは、曰く付きの石である。昔、この地を治めていた殿様が庭石を探してこのあたりを部下と歩いていた。その折、立派で形の綺麗な石を見つけて惚れ込み、部下に庭石として持ち出すように命じる。
その夜、殿様が眠っていたところ、女性のすすり泣くようなか細い声が聞こえてきた。
不思議なことに、その声はとても綺麗で魅惑の声のように感じ、殿様はふらふらと声のする方へと歩いてしまう。しくしく、ぐすん。しくしく、ぐすん。こっちへおいで……。声に導かれたどり着いたのは、昼間部下に運び出させた石のある庭だった。
ふと、目の前を部下がよぎる。昼間石を運び出した部下だった。彼が石に抱きつくと、あろうことか彼の身体が石に吸い込まれてしまったのだ。
一人、また一人と部下が石に吸い込まれ消えていく。
その恐ろしい光景に目が覚めた殿様は、石を元の場所に戻させたが、それでもまだ夜泣きは止まず……。急ぎ社を作らせ、その石を祀ることにした。
「あれはもうただの悪霊じゃない……江戸時代から十分な信仰を集めて、御霊神になっちゃってる」
「わかっている」
「夜泣きの呪いの発動条件もゲキヤバだよ、聞くだけでアウトなんだから」
レイジは深く息を吸い、バールを構える。今回はただ壊すだけではない。流石にバット一振りで本殿は壊せないため、まずはバールで扉をこじ開ける。
扉から姿を表したのは、しめ縄を厳重に巻かれた巨大な石だった。なるほど、とレイジは思った。昔の偉い人が庭石に欲しがるのも理解できるほど、綺麗な石だったのだ。
しかし、今は厳重に封印が施されており、御神体となっている。近づくだけで気が狂いそうなほどに、霊的オーラを発し続けている。
「ひょえぇ、聞いてた以上にヤバいね」
「本当に戦力になるのか?」
「まっかせといて! あ、はいノイキャンイヤホン」
御琴がノイズキャンセリングイヤホンをレイジに手渡した。二人してイヤホンを身に着け、電源をオンにし、携帯電話……スマホに接続している。なんでも、周囲の音をかき消す周波数を出すイヤホンらしく、身につけて機能をオンにするだけでこれまで聞こえていた木々のざわめきが聞こえなくなった。
しかし、完璧ではない。
特に人の声にはあまり強くなく、御琴の「なんか適当に音楽でも聞いてて」という声がしっかりと聞こえていた。
とにかく、音量が大きく激しい音楽のほうが良いだろう。
「ふむ……なるほどな」
レイジはゴリゴリのハードロックを再生した。
「まずは……この巨大な祠を内側から破壊する!」
レイジは御琴を外に逃がし、本殿の中で思い切りバットを振り回し暴れた。そうして木造の本殿をボロボロに破壊し、石を野ざらしにする。壁も天井も崩れた本殿には最早、この石を封印するための効力は無くなっているようだった。
しかし、まだ封印は完全に解除されてはいない。厳重に巻かれたしめ縄を解くごとに、漏れ出す嫌な気配が強まっていくのがわかる。
そして、石は完全に自由になった。
瞬間、石から女性の姿が飛び出てきた。涙を流し、裾で涙を拭う白装束の女性。なんとテンプレート的な幽霊の姿か!
「あれが夜泣き霊……結構美人さんだね」
涙を流しすすり泣く声がほんのりと聞こえはするが、レイジにとっては完全に意識の外だった。自分が好きなハードロックを流し、その音にだけ集中しているのだ。泣き声を聞くだけで効果を発揮する呪いも、ただ耳に入っているだけではダメらしい。
脳にしっかりと届き、脳が処理をしなければいけない。つまり、脳に意識させなければ発動しないようだった。
塩を片手ににじり寄ってくるレイジを見て、夜泣き霊は首を傾げる。
「どう……して……?」
ふと地面を見ると、深夜にもかかわらず虫たちが地を這っているのに気付いた。どこへ向かっているのか、考えるまでもなかった。皆、石に吸い寄せられている。一匹の虫が石に飛びついた瞬間、虫の身体が蒸発するかのように石に取り込まれ消えてしまった。
久しぶりに、背筋がゾッとするのを感じた。背中が汗ばみ、バットを握る手に力が入る。その勢いのまま、バットを思い切り振り上げ、そして振り下ろした。
大きな音を立てて夜泣き石が割れる。
これで終わりか、あっけないものだ。
そう思った瞬間、全身の鳥肌が立つのがわかった。思わず飛び退き、石を注視する。割れ目から、おびただしいまでの怨霊が飛び出てきた。地面を歩いていた虫たちが全員、パタリと動かなくなる。木々で休んでいたであろう鳥たちが、地面に落ちた。
周囲の木々の葉が一斉に枯れ、地面にドサッと落ちる。
明らかに異様だった。
「何……これ」
「わからぬ、だが用心しろ」
「ヤバいよ絶対、おかしいってこれ」
くすくす、と笑う声がした。振り返るも、御琴は顔を引き攣らせ震えている。
「こっちよ……」
声に振り返ると、石の前に夜泣き霊が立っていた。先程よりもハッキリと、姿を視認できる。石から出ていた怨霊が、彼女に吸い込まれていく。怨嗟の声をあげながら。
なるほど、この怨霊たちは彼女によって石に吸収された者たちの魂なのか。
レイジは、これまで感じたことのない不気味さを感じていた。
これまでも祠から飛び出す悪霊や御霊神は不気味であったが、目の前の女の霊がより不気味なのは、夜泣き石にまつわる伝承はあっても彼女に関する逸話の類は全く無いことだった。なぜ彼女は泣くのか、なぜ石の中に封じられているのか。
そういった話は一切、残っていない。
仮にも御霊神社の御神体として祀られているにも関わらず、何もわからないのだ。
「お主よ、なぜ泣く」
思わず、レイジは目の前の御霊神に問いかけていた。彼女は首を一瞬傾げてから、悲しそうに眉をひそめる。
「わからないの……何も。わからないから泣くの」
「なぜ他者の魂を吸うのだ」
「だって、気持ちがいいもの……紛れるんですもの」
問答をした結果得られた答えは、わからないということ。彼女の行動原理も、彼女がなぜ悪霊となったのかも何もわからない。生前のトラウマや記憶を刺激して対処することは、不可能だった。
そして、レイジは恐ろしかった。先程までは音楽に紛れよく聞こえなかった彼女の声が、今はハッキリと聞こえている。まるで脳内に直接響いているかのようだった。この状態で、もし彼女が泣くようなことがあれば、ノイズキャンセリングなどという科学技術など何の役にも立たないだろう。
「お主には楽しいという記憶はなかったのか」
「ちょ、なに問答してるの?」
御琴の疑問はもっともだ。
だが、レイジはどうしても彼女に聞いてみたくなったのだ。泣いてばかりいる彼女に。
「どうでしょう……でも、あったんだと思います」
「なぜそう思う?」
「楽しい、幸せな記憶があるから、泣くんです。何もなければ、悲しくもないんじゃないかしら」
その言葉に、レイジの心の奥底のデリケートな部分が刺激される。
彼自身の、幸せな記憶。妻子とともに過ごした、穏やかな日常の記憶が脳内に溢れた。彼の妻は、優しくも怒れば怖い人物だった。聡明でもあり、いつも子どもに色々なことを教えていたし、レイジが馬鹿なことをしたときには呆れるように笑っていた。
レイジは子どもに甘く、妻にも甘く、二人を笑顔にしようといつも何かを画策していた。ある日にはドッキリと称して休日に二人で出かけさせている間に家中を飾り付け、豪華な食事を振る舞った。妻が「今日は何かお祝いだったっけ」と言うと、レイジは「何もないときこそ必要なんだ」と言って笑う。
そんな幸せな暮らし。
「確かにそうかもしれんな」
「同情してくれるのかしら?」
「まさか、お主は生者に害を成した。その罪許してはおけん」
「じゃあどうするの?」
「お主を成仏させてくれる」
レイジは、懐から札を取り出した。彼の祖母が、生前こしらえた念仏の書かれた札だ。この世にはもう、一枚しか存在しない特別製である。
御神酒や塩のきかない御霊神を苦痛なく成仏させるための、最後の手段として取っておいたものだった。
レイジが持っているバットでも、御霊神の成仏は叶う。バットには大量の札が貼られ、念仏も書かれているからだ。
しかし、打撃とセットであるため、苦痛を伴う。単なる悪霊にはそのような配慮は無用と考えているレイジだが、この悲しみをたたえる御霊神にはなぜか、配慮したくなった。
彼女は泣くこともせず、ただ目を伏せる。石から解き放たれパワーアップしたはずなのに、なぜかその呪いの力を使おうとはしなかった。
「お主はなぜ俺達に攻撃しない」
「なんででしょうね、別に泣きたい気分でもないから」
「抵抗はせぬのか」
「別に……成仏できるならしたいのよ」
彼女は泣き声を出さず、一筋の涙だけを流す。
「だから、好きにすればいいわ」
「ねえ、成仏ならいつでもできるんだから、協力してもらったら?」
「協力? 何をかしら」
「おじさんの復讐よ、私なら安全に封印できるし全部終わったら成仏させればいいんじゃないかって」
レイジは、御琴を見た。冗談を言っているような顔には見えない。彼女が手にしているのは、封印用の人形だった。頭部と四肢を持つ、クマの人形である。人間の霊魂を封じるには、頭部と四肢があればよい。理論上は、クマのぬいぐるみでも封印は可能だ。
「いいわ、協力したげる。でもいいの? 私の能力は無差別よ」
「現代にはね、ノイキャンってのがあるんだよ」
「わからないけど、大丈夫ならいいわ、封印なさい」
自分を置き去りにして話が進んでいく。
しかし、レイジは素直に札を懐におさめた。確かに、彼女の能力は強い。無差別ではあるが、防ぐ術さえあれば安全に運用できるだろう。来る戦いのために封印しておくのも、悪くはないと感じた。
何より、この夜泣き霊からは邪悪な感じがしない。彼女に吸収されてしまった怨霊たちのほうが、よっぽど邪悪な気を放っている。恐らく彼女は、望まずに呪いを振りまいていたのだろう。
「……頼んだ」
「おっけー! 任された!」
御琴がくまのぬいぐるみを彼女に押し付ける。そのまま手で何かの印を結ぶと、夜泣き霊はくまのぬいぐるみに吸い込まれていった。ぬいぐるみに細いしめ縄を巻いて、「よし」と明るい声音で呟く。
「封印完了! 心強い味方が増えたよ、おじさん」
「いずれ成仏させる」
「私がいてよかったねぇ、イヤホンも私が持ってきたしねぇ」
「……帰るぞ」
「あ、ちょっと! 会話してよー!」
御琴からクマのぬいぐるみを受け取り、レイジは帰路についた。悪霊という存在を憎む彼の心は、夜泣き霊に変えられてしまったようだ。望まずに呪いをばら撒き悪霊と化してしまう魂もあるのだと、自分が憎むべきは悪霊や御霊神ではなく自身の妻子を殺した霊ただ一人なのではないかと。
だが、無駄なことだ。
感傷も、感慨も、思い遣りもこれから訪れる死の前には等しく無為なことである。レイジは、まだ知らない。自分が再び地獄へ送るべき悪霊が、最早単なる悪霊ではなくなっていることを。
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