第4話 淑女とはなんぞや
元忠がいた世においての女人は――、
旦那がいつ何時でも出陣に耐えるよう、家内を取り仕切り、子を成し育て、内助の功に励むべし。
と、心得ていた。
それ故に、元忠は“淑女”もそういうものかと思っていたのだが、どうも勝手が違った。
世継ぎをもうけ、育てるということはこちらでも大事であったが、
家内の取り仕切りについて、誰がするのかは当主が決める。
と、言うのは、必ずしも妻が行うのもにはあらず、執事、れでぃーすめいど、時には側室がその任につくこともある。
それどころか、子育てすら当主が定めた者に一任し、特に、嫡男の場合は母親手ずから育てることはほとんどないそうだ。
これでは妻の立場がない――――。
なぜこのようなことが起こるのかと言うと、この国の国教であるガイアス教の教えでは――。
“太古、人間は生まれた時、男だけだった。
しかし、そのうちの1人の男が誘惑の悪魔に唆され、神のみに許された果実を口にしてしまった。
主神ガイアスは怒り狂い、その男を雷で焼き殺したが、神の怒りはそれだけでは治まらず、人間全ての不老不死を取り上げてまった。
このままでは滅亡してしまう人間を、豊穣の女神グローナが憐れみ、雷で焼き殺された男の灰をこね、息吹を吹き込んだ。
すると、女神とよく似た“女”が誕生した。
こうして、男は女に子を産ませる事で子孫を残し、滅亡を免れた―――。
故に、“女”は人間が犯した原罪の証であり、焼き殺された男、つまり罪人から生まれた存在であるため、業が深く、生まれながらに罪深い。
であるから、女は男に対して従順でなければならず、苦しみを伴い子を産み落とすのは浄罪のためである―――――。”
つまり、“女”は原罪を犯した証であると同時に、それを償う義務があると。
“淑女の教え”なる書に書かれてあった。
「なんと狭量な教えか――。」
戦ばかりで、家内をあまり顧みなかった元忠でさえ、ガイアス教の教義に眉をひそめた。
元忠はこれから、デゥバック伯爵家の長女アデラインとして、淑女教育に励むべく本を読み漁っていた。
幸いにも、読み書きについてはさほど支障はきたさなかった。
これには元忠も少し驚いた。
見たことのない文字が、読めるのである。
きっと、アデラインの体が覚えていたからであろう。
しばらく後、メイドが戸を叩き客人の訪れを知らせた。
「お嬢様。モーレット夫人がいらっしゃいました。」
「良い。お通しせよ。」
すると、深緑のドレスをまとった薄笑みを浮かべる女が入ってきた。
「お初目にかかりますわお嬢様。ルシア·モーレットでございます。」
女はドレスの裾を片手につまみ、もう片手を胸に当て、会釈してみせた。
元忠は、こちらの礼儀作法もわからなかったので、椅子に座ったまま
(床に座し挨拶をするのはこの国の礼儀に反するらしいので。)
「これは丁重なる挨拶、痛み入りまする。妾はデゥバック家が長女アデラインと申し上げる。此度、礼儀見習い修行のご師事賜りたくご足労願った次第。お引き受けいただき、ありがたく存じ奉りまする。」
と、元忠は腰を折った。
すると、モーレット夫人は、少々目を丸くして、元忠を見つめた。
「…………。あ、あの。あ挨拶の仕方からご指導いたしますわ。」
そう言うと、モーレット夫人はメイドに下がるよう言いつけた。
そして、メイドが出ていき去ってゆくのを確認してから、扉に手をかざしなにやらブツブツ唱え、さざ波のような淡い光が部屋全体を走った。
な、なんだ?
モーレット夫人は振り返ると、嫌な微笑みを向け言った。
「指導に集中するため、防音魔法を使いました。」
ぼうおんまほう?? 何じゃそれは???
「ぼうおんまほう……。」
「はい。では早速―――――……。」
「師匠! ぼうおんまほうとは何でありましょうか?」
元忠はモーレット夫人の言葉の前に尋ねた。
「え?…………。」
モーレット夫人は自分の耳を疑った。
仰々しい喋り方をしたと思えば、いきなり幼児の様な質問を……愚鈍……いや、この眼力から感じる圧力は……。
モーレット夫人は戸惑いながら答えた。
「あの……。外に音が漏れないようにする魔法ですが……。ご存知ではなっかた?」
「あ、いや。これはしたり。失念してござった。そ……妾は
師匠には、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いしたく存じまする。」
と、深々と元忠は頭を垂れた。
この方便は父上が考えたもので、“願いの短剣”を使用したことを、余所者の知られぬようにするためであった。
モーレット夫人は、この違和感だらけの言い訳に困惑したものの、彼女から感じる威圧感、大人びていると言うよりは老成した雰囲気に、かつての自分の師である祖母が重なって、畏怖すら感じた。
その畏怖から、深く追求するのは気が進まない。
しかし、その一方で、若い頃自由の一切を奪われ、同年代の娘達ですら、許されていた行動まで禁じられていた頃の恨みが沸々と蘇り、アデラインに強い憎悪を感じた。
モーレットは鞄から鞭を取り出し、アデラインに言った。
「お嬢様。この年で、挨拶もままならぬとは情けない限り、ご指導もうあげますので、ドレスの裾をお上げなさい!!」
そうカッとアデラインに言いつけた。
しかし。
「それはなりませんっ!!」
「なんですって!! 私に歯向かうというの!?」
「淑女たるもの! 御足を見せてはいけないのでは!?」
「なんですって!?」
「そもそも、遭うた初対面の相手に対し、鞭振るうが礼儀なれば、妾は誰彼構わず鞭打たねばならなくなりまするっ!! それを礼儀と申すのか!?」
「な……それは、お嬢様のご指導のためにっ!」
「なれば、その手本となるべき行いをせねばなりますまいっ!!
いくら師と言えど、牛馬のごとく師弟を扱えば名誉に傷がつくと言うものっ!!
汝の誇りは
ほ……誇りですって!?!?
「自ら手本となり、若人を導き道を開く! 師のあるべき姿ではございますまいか!?」
導く? わ私はただ……祖母に、父に命じられたからっ……!!
「―――――――〜っ!!!
お前なんかに! 何がわかるっ!!!
私はっ……好きで、やってるんじゃないっ!! いいご身分だものねっ!! 伯爵家だものっ! つまらない意地を張らなくても、身分があればそれだけで敬われて……見下されて惨めな思いをしなくて……私は、父や祖母の見栄に振り回されてっ!! 私はっ………………!!」
そうよ、今の仕事は……唯一身分が上の者に優越感を感じる最高の職ですもの。
今までの抑圧された人生無駄じゃないって!!
だから―――――――!!
「たわけ者っ!!!!!」
地鳴りがするような怒声である。
モーレット夫人は、小娘相手に腰を抜かしそうになった。
仁王立ちのアデラインは続ける。
「それを八つ当たりと言うのじゃっ!!
女人であろうともっ! 自が人生を他責してはどうその一生を全うしようというのか!?」
モーレット夫人は、膝から崩れ落ちた。
「人生……。平凡な……子爵夫人の私に……そんなものっ!!」
「それを他責というのじゃ。」
「なっ…………!!」
モーレット夫人は顔をバッと上げアデラインを睨んだ。その時――――。
揺るぎなき確かな眼光がモーレット夫人を見つめていた。
「どのような勝ち戦も……、端から諦めておれば勝てようもない。諦めるでない!!」
元忠は、かつて戦場で臣下達にそうしていたように、モーレット夫人の肩に手を置き力を込め、鼓舞した。
「は……はい。」
この時、モーレット夫人は一筋涙を流して改心を誓った。
その後、モーレット夫人は自らが未熟であったと、アデラインの教育係を辞し、なんと、俗世を捨て尼になってしまった。
このことは、後に国王陛下の耳にまで届きちょっとした騒動となる。が、それはもう少し先の話である。
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