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 ピンクのボールが動いた? あれ生き物なのか?!

 よく見れば、あの人、というか女の子が剣を振っている。

 戦っているのか……?

 あ、空振った。そしてその隙に、ボールの体当たりがお腹に直撃してるし。

 鎧を着ているみたいだけど、痛いだろうなぁ。

 蹲っちゃたよ。これ好機とばかりにボールたちが熾烈な体当たりを繰り出している……。


「って、呑気に実況している場合じゃねぇ!」


 あれ、襲われているんだよな!? 助けないと!

 でもどうやって?

 あんなゲームの世界から飛び出してきた生物なんて初めて見たんだけど。

 ゲーム……? そうか、さっき見た魔法みたいな名前の羅列!

 本当にあれ使えるんじゃないか?!

 スマホを出して、たしか【ステータス】から【スキル】だっけ。よし、出てきた!

 使うってどうすればいい? 一番上にあった【ヒートランス】をタップしても、説明が出てくるだけだ。

 どこかに【使用する】みたいなボタンはないか? うん、ないな……。

 心の中で念じれば使えたりしないかな。

 ヒートランス!

 ……なにも起こらないか。

 やっぱりこういうのって、名前を声に出して叫ばないとダメなのか?

 ちょっと恥ずいんだけど。

 ああ、こうしてまごついている間にも、ボールが女の子に集っていく……。

 くそぅ、こうなりゃ、なるようになれだ!


「ヒートランス!」


 ただ叫ぶのも気恥ずかしいので、手を突き出してポーズをとって、高らかに叫んだ。

 すると、手のひらから、円錐状の真っ赤な炎が飛び出した。

 すごい! 名前の通り、炎の槍が出た!

 槍は上手い具合にカーブを描いて、ピンク色のゼリーボールの群れの中の一体を貫いた。


「…………。一体だけかよ!」


 効率悪すぎだろ!

 と、突然仲間が弾け散ったことに驚愕したボールたちが、一斉にこちらを向いた。

 いや、顔とかは無いんだけど、なんかそんな気がする。

 女の子から離れてくれたのはいいんだけど、狙いをこちらに定めたのか、すごい勢いでピンクの波が迫ってくる。

 ピョンピョン跳ねてるだけで、どうやってそんなスピードが出せるんだよ。

 って、そんなこと言ってる場合じゃない! 早く倒さないと、今度は俺がピンクに埋もれる番だ。

 スマホで、効率の良さそうな他の魔法を確認している時間なんて、当然ない。


「ヒートランス! ヒートランス! ヒートランス! ---」


 何度も同じ言葉を連呼しながら、ピンクゼリーを一体一体順番に貫いていく。

 貫かれたピンクは、弾け散って、ただの粘液と化している。


「ヒートランス! ヒートランス! ヒートランス! ヒートランス! ヒートランス!」


 もう何回叫んだのか、分からない。

 そろそろ声が枯れるんじゃないかと思った時、目の前を動いているモノが無くなっていることに気づいた。

 ヒートランスbotとなった甲斐あって、全部のボールを処せたみたいだ。

 というか、辺り一面ピンクの粘液まみれだ。服にもちょっと付いてしまった。

 足元もヌルヌルしている。これ、滑ったら悲惨だなぁ。

 慎重に歩いて、まだ蹲ったままの女の子に近づいていく。片っ端からヒートランスで貫いたせいで、もろに粘液かぶっているな。申し訳ない。


「えっと、もう大丈夫ですよ」


 ちゃんと言葉が通じるか不安だったが、一応声を掛けた。

 女の子が顔を上げた。頭を押さえて伏せていたおかげか、キレイな黒色の長髪には全く粘液がついていない。

 キョトンとした表情で、キョロキョロ辺りを見回す。それから俺の顔をじっと見てきた。


「あの……スライムは……?」


 スライム……。まあ、あのピンク色のゼリーボールのことだろう。さすがに俺は、そこまで察しの悪い人間じゃない。

 それよりも言葉が問題なく通じることに安心していた。


「見ての通り、全部倒したぞ」


 その辺に散っている粘液を、テキトウに指さした。


「全部……ですか? 私が言うのもどうかと思うんですが、相当な量いましたよね?」

「ああ、結構いたな。でも全部倒した」


 信じられない、とばかりに少女が地面の粘液に見開いた目を巡らせた。

 一体ずつだったから時間はかかったけど、全部ワンパンだったし、大したことないと思うんだが……。

 それよりも俺は、どうしてあの量のスライムと戦うことになったのか知りたい。


「いや~、街が見えてはしゃいじゃって、真っ直ぐに丘を駆け下りようとしたら、スライムの群れに突っ込んじゃったんですよ。助かりました!」


 なるほど。つまり、アホの子なんだね。

 なぜか照れくさそうに、後ろ頭を掻いている少女を見てそう思った。


「あ、今更ですが、私、ポポッタって言います!」


 少女が元気よく自己紹介してくれた。

 気持ちのいい、ハキハキした声だ。

 おかげで、こちらも気分良く名前を名乗ることができた。


「俺は左庭弘生だ。よろしく」

「サニワヒロキさん、ですか? 変わったお名前ですね」


 変なのは君のイントネーションだよ。

 どうして苗字と名前を区切らずに、一本で発音してしまったんだい?


「『左庭』が苗字、ファミリーネームで、『弘生』が名前、ファーストネームだ」

「……? サニワヒロキさんじゃないんですか?」


 どうして上手く伝わらないんだろう。

 そんなに難しい苗字でも名前でもないと思うんだけど。

 何度も『左庭』と『弘生』で発音を区切るんだと教えたが、ポポッタがそれを理解することはなかった。


「ポポッタにも、家族と同じ苗字があるだろ?」

「? ポポッタはポポッタですよ?」


 うーん、つまり、この子には苗字の概念が存在しないってことだろうか。


「まあいいや。俺のことは『ヒロキ』と呼んでくれ」


 別に名前なんてどうでもよかった。

 今の俺には、ポポッタに聞かなければならないことがあるんだ。

 スライムとのエンカウントですっかり忘れていたが、ここが何処なのか、それを知りたい。

 と言っても、大方の予想はついているんだが。

 一応答え合わせという意味も込めて、尋ねてみることにした。


「なあ、ポポッタ。ここが何処なのか分かるか?」

「はい? どうしてそんなこと聞くんでしょう?」


 しまった、迂闊だった。

 街を目の前にして、ここが何処だか分からないというのは、確かにおかしい。

 このまま不審に思われて、街から遠ざけられても困る。最悪、牢屋にぶち込まれるかもしれない。

 まいったな。

 いや、悔やむ暇があったら、何か……それっぽいストーリーを考えろ……。


「えっと……故郷から出てきたばっかりで、あんまり地図とかに詳しくないんだよ。ほら、俺、ずっと村を出たことなかったから」

「なるほど! そういうことでしたか。それはさぞ大変でしょう!」


 もの凄く情報の薄い出まかせになってしまったが、ポポッタは信じてくれた。

 疑いを知らないキレイな瞳をしていた。

 あまりの純粋さに、嘘を吐いたことに胸が痛くなったけど、半分くらいは割と真実なので許してほしい。


「ここは『エンギャップ地方』と言います。二つの大国、『アルトファント』と『オメルグ』の国境の隙間にある地域ですね」

「そうか。『あるとふぁんと』と『おめるぐ』の境……」


 何を言っているか、さっぱりだったけど、それっぽく呟いてみた。

『エンギャップ地方』『アルトラント』『オメルグ』

 全く聞いたことのない地域の名前だ。

 まあ、分かっていた。ここは日本じゃない――そもそも地球じゃないんだろう。

 スライムとかいたし、魔法も使えた。いわゆる『異世界』というヤツか。

 そういえば、ここに飛ばされた時、あの虎が言っていたな。

『燐精世界リーフォロス』だとか……。


「なん、だけど……」


 ポポッタの耳に目を向ける。

 それは、獣のような耳でも、先端の尖った耳でもない。いたって普通の人間の耳だ。

 俺の肩くらいまでしかない華奢な身体に、サラリとした長い黒のストレートヘアー。体格に似合わないゴツイ鎧を着ていることを除けば、日本にいても違和感はなさそうだ。

 異世界人みんなが皆、ファンタジックな外見をしてるワケではないんだろうが、なんかこう、新鮮さが足りないな。


「あの……どうされました?」

「や、悪い」


 黙ってじっと見てしまっていたので、警戒されてしまった。

 慌てて街を指さして話題を反らす。


「あ、あの街に行きたいんだけど」

「カルカスですね! 私も向かうところでした。一緒に行きましょう!」


 へぇ、あの街はカルカスというのか。

 どうせ一人じゃ、右も左も分からないんだ。だって異世界なんだもの。

 なので、せっかくだから、ポポッタの好意に甘えさせてもらうとしよう。

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