第13話 蛇は契約を重ねる

 ユーラリングが意識を向けたのは契約しているヒュドラとの精神世界(という設定の特殊空間と中の人は認識している)だった。すとん、と真っ暗闇の中に足をつけると、目の前の、見上げるしかない気配に目を向ける。

 ……どうやら目の前の気配ことヒュドラは、巨体を縮こまらせているようだ。はて何があったか、と一瞬思い、まさかと思いつつ、可能な限り平坦に声をかける。


「……ヒュドラ」

『!!』


 びくぅ! と身を跳ねさせる気配。余程“英雄”率いる連結部隊レイドに負けたのが堪えているらしい。その反応に、ユーラリングは何か考える前に、口の端を釣り上げていた。


「随分と無残な姿を見せたようだな?」

『………………』


 挑発的、とも取れる台詞だが、ヒュドラはただ沈黙するのみ。何よりも肯定する反応に加え、見上げるだけの気配が若干だが更に小さくなる。

 思ったよりもずっと忠誠心を向けてくれているらしい相手に対し、しかしユーラリングは(全力のロール込みとはいえ)どこまでも魔王だった。


「くっく。随分と可愛らしい様子だな。そこまで己に自信があったか、英雄殺しの大蛇よ」

『……だからあるじ、その言い方こそばゆいからその、何とか……』

「だが断る。本質で呼んで何が悪い」

『う、うぐぅ……』

「あぁ、今回はその英雄に殺されたのだったな。では冥湖の守護者とするか? 原点に立ち返って蠱毒の主とするか?」

『あの、あの、あるじ。今回負けた身としては、その、あんまりハードルを上げないで貰えると、嬉しいかなって……』

「知らんな。お前はそういうモノだろう。それをそうと呼んで何が悪いと言うのだ。ん?」

『わぁ容赦ねー……』


 更に縮こまりへたり込むヒュドラに、誉めそやしているようでどんどん傷に塩を塗り込んでいくユーラリング。褒め殺しとはこの事か、ヒュドラがそんな事を呟いた気もする。

 口の端を釣り上げたまま、ユーラリングは次を言葉にした。


「負けねば良かろう」

『…………』

「二度と。何者が来ようと、いかなる手段を用いようとも」

『……あるじ……』

「どんな小細工で来ようと、どれほど大所帯で来ようと。蹂躙すれば良い」

『……そーゆー訳にいかんのは、あるじも良く知ってるでしょーよ』


 暴論に対する、ようやくの反対意見。確かによく知っている。良く知ってはいる、が。


「だがどうした? 魔王、とは。ただの国の支配者に非ず、世界を丸ごと敵に回し、その上で支配しつくす者に与えられる呼び名だ」

『…………』

「ま、我は世界の支配など煩わしい。己の領分が守れればそれで良いが」

『引きこもり宣言する為にここに来たんですかあるじ』

「それこそまさかだ。お前があまりにへこたれているのが悪い」

『自分のせいですか!?』


 ようやく持ち直したのか、首が痛くなる程度の高さとなった気配を見上げ、ユーラリングはゆるりと両手を広げた。


「お前を引き戻す。無論、対価は我が持ってな」

『……へ?』

「あとふと思ったのだがな? 事ここに至るまでの報酬を支払っていないだろう。これは由々しき事態だ。見過ごせん」

『え、と。あるじ、話が、』

「ヒュドラ」


 割と本気で困惑しているらしいヒュドラの言葉を遮り、強めに呼べば、沈黙が返る。そこに、ゆるりと両手を広げたまま、口の端を釣り上げたままで、言葉を続けた。


「遠慮はいらん。――腕でも、足でも、腹でも喉でも心臓でも。好きなところ(部位)をくれてやる。好きに食らえ」

『……………………、は、?』


 本気で意味が分からない。言葉にすればそうなるだろう沈黙と、短い呟き。しかしその声に反して、気配はずるり、とぐろを解くように動いた。


「好きに我の体を食らえ、と言った。代わりに、次の敗北は許さん。心臓と頭を選んだ場合、我自身の再生が終わるまでそこに傷を負う事も許さん」

『……真性のバカか。それとも、狂ってるのか。ありえねぇ。話がうますぎて、不安になるぜ』


 敬語も剥がれたその言葉は拒絶のそれだが、しかし萎縮を忘れた気配は完全に狩人のものに変わっている。もし僅かでも灯りがあれば、無数の首が狙いをつけているのが見えただろう。

 殺気に近い、濃厚な飢えと欲の気配。自身に向けられたそれを知覚して、しかしユーラリングは、笑みを深めた。


「お前から持ちかけた取引だとしても。――お前を選んだのは我だ、ヒュドラ。今更そこを違えるようなことはせんし、何より我の誇りが許さん」

『……――』


 何か言いかけたヒュドラだが、それは蛇特有の高い音を伴う呼気になっただけだった。完全にとぐろは解け、鎌首をもたげる気配。


「尽くしてもらうぞ。この先の無数の時を。世界が終ろうとな」

『――――仰せのままに、我があるじマイロード


 ずしりと腹に響く、銅の声。

 それが終わると同時に、ユーラリングは、食い散らかされた。




 1週間の強制ログアウトが明けて、ようやく目を覚ました(ログインした)ユーラリングは、やはりというか予想通りというか、自身が作りだした血の海に沈んでいた。小型プールほどもあるタライの、ほぼ3分の2が血で満たされている。

 ユーラリングは再生が終わったばかりで引き攣るような感覚を覚える体を血の中から起こし、まずは周囲をぐるりと見回す。

 そこに、自身が『復活地点』に選んだタライの周囲に、ずらりと無数にして無貌の影が並んでいるのを見て、ふむ、と1つ頷いた。


「思ったよりも集まったようだな」


 『配下』契約の呼びかけ対象は、属性が闇もしくは闇を含む、実体のない、アンデッド種族。戦場跡かカタコンベ(集団埋葬地)かという死者溜まりがすぐ地下にあった事から、多少珍しい種族でもいるだろうと判断しての呼びかけだった。

 探しているのは、通常戦闘においてはむしろ弱い部類のモンスターだ。“英雄”や“魔王”クラスになると、存在を知覚する前に範囲攻撃で薙ぎ払えてしまうだろう。

 あるのは1つ限りの特殊能力。けれど、その能力はユーラリングが求めている役割にぴったりと当てはまるものだった。


「――問う。シャドウホロウは居るか」


 さわさわ、と無音で影たちがざわめく。気持ち不満げに見えるのはもっと上位のアンデッド種族だろうか。来てくれたのに悪いな、と、内心だけで返して動きを見守るユーラリング。

 しばらくおいて、ゆらり、と影が3つ、前に出てきた。まだまだ無貌の姿は、しかし周囲に比べて一段存在感が無い。


「……思ったよりも居るものだな。僥倖だ。して、重ねて問う。得物は何か」


 むしろあれだけアンデッドがひしめいていて3体しかいない時点でレアなのだが、ユーラリングは元より1体しか『配下』に加えるつもりが無い。更に選べるという贅沢を内心だけで喜びつつ、問いを重ねた。

 ゆらり、と持ち上げられた手には、薄っすらとした影で構成された武器が見える。1体が短剣、1体が長剣、そしてもう1体が、……、棒、じゃない。スタッフ(打杖)、か?

 可能であれば遠距離攻撃持ちがほしかったのだが、まぁ贅沢は言うまい。まず対応力だ。そうユーラリングは決めて、右手を、変わり種の得物を持つ影に差し向けた。


「お前にしよう。……違う。そっちの、変わり種だ」


 その後ろの影が反応しかかったのを制して、スタッフを持つ影を手招く。気のせいか一度迷ったようなそぶりを見せ、武器を下ろして無貌の影はタライの近くまで寄ってきた。

 その位置が他と一線を画するところまで来た時点で、ユーラリングは控え続ける無数の影に解散の意思を伝えた。


「他は悪いが、今回は契約できん。……近くお前たちが居た場所も支配下に置くから、その時は存分に働いてもらうがな」


 さわさわ、再び無音でざわめいた影たちは、これまた無音で闇へと姿を消した。残った1体に、アイテムボックスから毛布を取り出し、自身の血に塗れた上半身を覆って視線を向ける。

 タライの近くまで寄らせてようやくはっきりとしたその影は、なるほど確かに変わり種だった。珍しくも職業(クラス)を持つその種族は、その1つきりの特殊能力故にそのほとんどが暗殺者(アサシン)か、良くて騎士(ナイト)だ。

 だが今ここに残ったのはそのどちらとも違う。六尺棒と呼ばれる、身長より若干長い長さの棒は、そのままクォータースタッフという打撃武器。しかも身に纏っているのは、確かダルマティカ、という聖職者用の衣装だ。


「修道士(モンク)か? ……いや、あれは格闘戦が得意だったはずだ。得物持ち、という事は、また別か」


 首を傾げつつ、ようやくはっきりとした形を持ったシャドウホロウをユーラリングは眺める。相当に無遠慮な行為だが、この場において雇用者はユーラリングであり、シャドウホロウは選ばれた側だ。優劣がはっきりしすぎている。


「さりとて呪術師(ドルイド)でも無さそうだ、明らかに近接戦慣れしている。だが騎士(ナイト)系列であるなら、スタッフ(打杖)ではなくランス(長槍)だよなぁ、ふむ」

『…………』


 疑問を連ねるユーラリングの言葉の合間に、おどろおどろしい、しかしか細い音が割って入った。恐らくは目の前のシャドウホロウの言葉なのだろうが、何とも聞き取り辛い。

 が。“魔王”の恩恵か、ユーラリングには問題なく聞き取れた。一瞬真顔に戻ったユーラリングは、くくくくっくっく、と笑いを加速させながら、自己申告された職業(クラス)を口の中で呟く。


「そうか、そうか――なるほど。これは、随分と良い掘り出し物だな」


 そう言って、口の端を釣り上げた。それはそれは、愉快そうに。


「さて、契約といこう。寄る辺なき魂よ。我が支払う対価はここに在る我が血と、今後の功績に応じて装備及び貴様の望むものである。返答を是とし、我に従う事を受け入れるならば、この手を取るがよい」


 またもおろおろと揺れるシャドウホロウ。今はその身長も縮んで、かなりはっきりと姿が見えるようになっていた。普通は身長より少し長い程度のスタッフ(打杖)が、頭一つ分か、もう少し長い。

 顔はベールをかぶっている為分からないが、少年か少女だろう。もちろん服が服なので性別も不明だ。

 ただ――ストラ。そう呼ばれる、階級を表す肩布。それが首から下げられて正面で交差している。その上でヴェールに入った紋章。それそのものがどこの何かという識別は出来ないが、あれだけ精密な紋章を入れておいてそこそこの階級では無い筈だ。


『……』


 そんな観察をしている間に、シャドウホロウは覚悟を決めたようだ。スタッフ(打杖)を額の所で捧げるように横持ちして膝を折り、スタッフ(打杖)を床に置くと、両手を揃えてユーラリングの右手に伸ばした。

 揃えて添えるように触れた手を握り返し、ユーラリングは笑みを浮かべる。


「――汝は我が懐剣にして最後の守護となる者。

 ――我は永く空白であった汝の主の座に収まる者。

 ――努めよ、限りの無くなったその身と力の総てを以って。

 ――汝に与える名は、ドルク。

 ――その名に相応しく、護って見せろ」

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