2. 真岡シュピーゲル史
真岡シュピーゲルは樺太県真岡市をホームタウンとする、日本公式フースバルリーガに加盟するクラブチームの一つである。
シュピーゲルとはドイツ語で鏡を意味し、真岡市の活気あふれ、栄える様子を鏡写しにするかのように活気に満ちた強いチームになってほしい、という願いを込めて真岡市民の投票によって決められたという。
前身は真岡漁業社会人サッカークラブであり、一九四六年の創設以来社会人リーガで大きな成績を残していたかというと最高は真岡市リーガ一部で全一五チーム(当時)中七位である。Nリーガ参入を決意したのは一九九〇年の事だった。この理由を真岡漁業の会長である伊丹浩さんは次のように語る。
「現在日本には四九の都道府県がありますよね。その中で、かつては明治時代時点で日本の領土だった四七の都道府県、つまり大戦前から内地と呼ばれた場所をホームタウンにしたクラブしかNリーガへの参入は認められていなかったんですよ。
でもね、一九九〇年にかつて外地だった地をホームタウンにしたクラブチームの参戦が認められたんです。次の世紀に向けて過去を礎とし新しい日本を作っていこうってね。僕はそこでチャンスだと思いましたよ。
旧外地差別も未だ残る中、真岡の地に旧内地にも、そして世界にも誇れるものを作り出せる。そうなったら居てもたってもいられなくなっちゃった。これが理由ですね」
二〇三八年現在では、旧外地と呼称される日本列島外をホームタウンとするクラブチームは八クラブほどあるが、二〇〇一年にNリーガ加盟を果たしたこのチームは旧外地からのNリーガ参戦のパイオニアとも言える。
五部からのスタートをきった真岡シュピーゲルは当初、下位争いを続けていたが、二〇〇七年に後の日本代表監督となる冠城一が監督となると三位でN4昇格。
この時のN3との入れ替え戦で三得点を生み出したエースストライカーの今野準選手は、この年のN4得点王に輝いている。
四年後の二〇一〇年にはN4リーガ優勝でN3への昇格を決める。しかしN1経験のあるチームも在籍するN3での戦いは厳しく、下位で低迷するも、二〇一五年にチームの元エースストライカーの今野準さんが監督に就任すると、ツートップを生かした戦術で一気に上位に浮上、二〇一八年には三位でN2一八位の室蘭フースバルと対戦するが、敗北。
しかしその二年後にはN3リーガ準優勝と言う記録とともにN2昇格を果たす。Nリーガ加盟から二〇年経たずでN5からN2まで昇りつめた真岡シュピーゲル。しかしここからの一八年間はクラブ史上最も厳しい時期となる。
毎年、前年度をN1で戦ったチームが降格してくるN2では真岡シュピーゲルもなかなか勝利を伸ばせず二〇二一シーズンは開幕七連敗。後半で巻き返したものの二〇チーム中一二位と上位争いに食い込むことは出来ないシーズンとなった。
それからも残留争いに巻き込まれるか巻き込まれないかの瀬戸際をさまよう結果は続き、一時期はN3降格も現実味を帯びることとなっていた。そして二〇二七年、この危機に対してチームは、N4に所属していたフィオレット鈴鹿を五年でN2上位に引き上げた名将エンデを監督に招聘。
選手時代は名門横浜マーレで活躍し、その美貌からエンゲル・エンデとして日本中から注目を集めた彼が、旧外地のチームを率いることになったという事実は日本サッカー界で大きな話題となった。
この話題を引き継ぐかのように真岡シュピーゲルは開幕三連勝。この時に勝利したチームの中にはN1から降格してきた名古屋シュヴェーアトヴァルも含まれていた。中盤に五連敗をしながらもこのシーズンは歴代最高の七位で終える。
ここから真岡シュピーゲルは確実に力をつけていき、二〇二八年は五位、二〇二九年は六位、二〇三〇年にはついに四位となり、N1との入れ替え戦進出も夢物語とは言えなくなった。
ついに二〇三一年には三位になるが、N1一八位のアウグスト大阪との入れ替え戦で敗北。クラブはN1の厳しさを思い知ることになる。
ここまでの真岡シュピーゲルはある問題を抱えていた。それはN1から降格してきたチームに対する勝率の低さである。実際、二〇二七年に第二節で勝利した名古屋シュヴェーアトヴァルにも、後半の対戦では敗れている。
他にも二〇二七年から二〇三一年の間の五シーズンでN1降格チーム相手に勝ち点一以上を得たのはわずか三試合のみである。
この状況に対してクラブはチームのN1化を目標に掲げ、平塚オーケアノスから元日本代表の水田翔、ウィクトリア姫路から神田章、スペインのアンダルシアからエンリケを獲得。
監督はエンデがN1の大宮ライトニングに引き抜かれたこともあり、代わりに日本代表監督として日本代表を初のベスト8へ導いた東野玲を招聘し、N1所属経験のあるチームに対抗できるチーム作りへの姿勢を示した。
しかしながら、このシーズンは選手の怪我が続出し、七位に終わった。さらに翌年にはエンリケがN1フィオレット鈴鹿に移籍し、サポーターは昇格が遠のいたのではないかと不安を感じていた。
そんな人々の不安とは裏腹に東野体制の真岡シュピーゲルは攻守のバランスに優れたチームとして勝ち点を積み重ね、再び四位に浮上。
この時から真岡シュピーゲルの強みの一つであるミラーゲームでの戦い方も確立されている。二〇三四年には三位に浮上するものの、入れ替え戦でN1の名古屋シュヴェーアトヴァルに敗れることとなる。
これまで真岡シュピーゲルの最高順位はN2三位。この事実を変えなければならない、クラブはそう考えるようになった。
二〇三五年に真岡シュピーゲルが掲げた目標はN2優勝。N1への夢はN2リーガ制覇なしでは果たせないと判断したのだ。この目標のためクラブはフィオレット鈴鹿からエンリケを呼び戻し、横浜プテロスから佐藤悟を獲得。
この年は再び三位となったもののPK戦で敗北、二〇三六年は四位、まだ昇格は遠いのだろうか? 人々がそう思っていた二〇三七年、真岡シュピーゲルは三位でN1一八位の仙台ツヴァイズィーベンと対戦。延長戦の末に勝利を飾った。
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