ギターとジュース1本

俺には好きな人がいる。

いつからだろう、彼女のことが好きになったのは。

初めて気になった日のことは覚えている。

歩者分離式信号の交差点、バンドが分裂して消えていくことに憂いを覚えていた時だった。


「ねぇ、ちょっと邪魔なんだけど?」


険のある声で伝えられた言葉は、まるでその時の自分にバンドを辞めろと断言するように感じて、辞められない自分を認めたくなくて、逃げてしまった。


「ごめんなさい。」


あの時の言葉は、誰に向けたものだったのだろう。

分裂していくバンド仲間に向けたもの?

あるいは何処か諦めようとしていた自分自身に向けたもの?

どちらにしろ、彼女に向けたものではなかったはずだ。


だから、俺はあの日、昼休みにやめようとしているバンド仲間に縋りついたのだろう。

残ってくれと。俺を置いていかないでくれと、年甲斐もなく頼み込んだ。

でも、それすら素直な言葉では言えなくて、やはり伝わらなくて。

心が張り裂けそうになっていた時、また彼女と会った。


朝とは真逆の立ち位置。

逃げようとする彼女に俺が声をかけて。

気づけば屋上に連れて行って、彼女に縋りついていた。

俺の歌を聴いてほしいと。


彼女の心底面倒そうな目線は気づいていた。

俺に何一つも興味がないことも伝わっていた。

でも、それが逆によかった。

俺の歌を純粋に評価してくれる気がして。

諦めきれない思いに介錯をしてくれる気がして。


ただ、実際は違った。

彼女は俺の歌を最後まで聞いてくれて、約束通りジュース1本だけ持って行った。

それから毎日、ギターとジュース1本が俺と彼女のつながりだった。

大した会話もない日々なのに、彼女の聴き入る顔にいつしか俺が引き込まれていた。


彼女に思いを伝えたら、どうなるのだろう。

きっと今まで通りにはいられないのだろう。

だからこそ、俺は言えずに今日もギターを弾く。


今では俺があげたジュースを翌日彼女が差し入れてくれていると知っているのに。

彼女の目的がジュースじゃないことなんて気づいているのに。

臆病な自分の気持ちを歌詞に忍ばせて、君に伝えようとしている。


上手くいくかなんてわからない。

伝わるかもわからない。

でも、こうして伝えることしかできないから。


ずっと練った歌詞を朝、一読する。

歌の題名は「無名の君へ」――

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