ギターケース

「ねぇ、ちょっと邪魔なんだけど?」


やや険のある声が朝方の住宅街、信号待ちの交差点に静かに響く。

一瞬、誰の声なのかと思うほど冷たい声音だったけれど、発したのは紛れもなく私自身だ。

普段は内気で、初見の相手だと話すことすら満足にできない私だけれど、なぜだか今日だけは声がでた。

それはきっと、今朝方に髪の毛のセットで手間取ったのが原因なのかもしれない。

あるいは朝食の目玉焼きが普段より固めに焼かれていたからなのかもしれない。

そんな程度の、さしたる理由とも言えない事柄の積み重ねから生まれた、言葉にできない苛立ち。

それが、若干重苦しい雲が空を覆った見慣れた通学路で、歩者分離式信号の待ち時間に、自分より頭一つ分だけ大きな男子高校生へ話しかける衝動を生んだのだろう。


実際のところ、私より先に信号待ちをしていた彼の過失はほとんどない。

ギターケース……というのだろうか?

1m強あるひょうたん型のそれを自身の横に降ろしていた程度のこと。

普段の私なら「大きなケースだなぁ」だとか「ちょっと避けて歩こうかな」で済ませていた程度の話。

だから、私は言った後に少しだけ後悔をした。

内気なうえに面倒ごとが嫌いで、クラスメイトと話すこと自体から逃げているようなのが私だ。

いじめすら起きないような、そもそものやりとりを避けているのが私という人間なのだから、こんな面倒ごとを自分から引き寄せるなんてガラじゃない。

まして相手は自分より大きな男性だ。

声を出したくせに、相手からどんな反応がでるのかわからず怖くなってくる。


(怒らないでほしい――)


こんな自分勝手な考えが脳裏をよぎる。

そんな思考に数瞬苛まれていると、相手が振り向いた。


「ごめんなさい。」


何気なく振り向けられた男子生徒の顔。

それは何処かで見た男性アイドルの顔に少し似ていて、それでいて切れ長の鋭い眼光はそのアイドルにはないもので――口元のピアスに何故か視線が集中してしまう。

そんな整った顔立ちの彼は、感情がここにあるのかないのかわからない顔で定型文のような謝罪を述べつつ、ギターケースを肩へとかける。

そして、半歩分だけ車道側に寄ってくれた。

……どうも、道を譲ってくれたようだ。


「あ、その、ありがとう?」

「別に、俺もずっと置いちゃってたからさ」


必要最低限の短い会話。

けれど、だからこそ、彼の予想よりも少し高めの声が印象深く残ってしまう。

ギターを持っているのなら、ライブ活動なんかをしている人だろうか?

結構かっこいいけど、学校じゃ見たことないな。でも同じ制服だし、転校生かな。

そんなことを意識の端で考えていると、信号が赤から青へと変わる。

とりとめもない思考をしていた私は彼より少しだけ歩き出すのが遅くなり、私より歩幅の大きな彼はあっという間に遠くへといってしまう。


私、春咲雛菊(はるさきひなぎく)と音羽和音(おとはねわおん)の初遭遇は、そんなありふれた日常の1場面だった。

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