祝杯と甘言
都内某所、高級個室焼肉店。伊吹たちは上機嫌で祝杯をあげていた。
「皆さん、お疲れさまでした」
しかし、テーブル席の上座に座っているのは見知らぬ青年だ。流行りの顔に流行りの髪型、流行りのコーデに身を包んだ軽薄そうな青年である、
「いえ、
伊吹が網に肉を並べる。脂の焼ける破裂音が響いた。
「ほんと、ハドソンちゃんさまさまね」
ハドソン火村と呼ばれた青年は、伊吹から封筒を受け取るとその中身を念入りに改めた。
「40万円、確かに頂戴しました」
ハドソンが手をパーの形にする。
「では、一人5万でよろしくお願いします」
「ええー、もうちょい上がらへんか?祠の石材もゴミ
「そうよ。バイトの報酬だって2万くらいでしょ?」
「霊障用の工作費も総額3万くらいに収まりましたし……。せめて7くらいまでには上がりませんか?」
「いえ、この規模なら5万です」
ハドソンはパーの手を伊吹たちに向かって押し出す。
「なんや、ケチくさいな」
「まあ、今回のターゲットは弱小配信者でしたからね。大した金額は期待できませんよ」
伊吹がハドソンを擁護する。
ハドソンが机に肘をついて両手を組む。
「なら……。もっとヤバい祠を建てませんか?死人がゴロゴロ出たような、そんなところにです」
「それで稼ぎが増えるの?」
政子が怠そうにハイボールをあおった。
「ええ。知名度のある心霊スポットに罠を張れば、かかる獲物も大きくなります。そうなれば、今よりもっと報酬は増えるでしょうね」
「心霊スポットをでっち上げるのではなく、元からある心霊スポットに祠を建てるという事ですか?」
伊吹が問いかける。
「そういうことになりますね」
ハドソンは焼き上がった肉を箸で取り上げた。
「ああ、オレの肉!何してくれてんねん!」
「この業界はルール無用です。手をこまねいていては、何もかもを失いますよ」
ハドソンが霜降りの牛肉を頬張る。
「すでに候補はリストアップしてあります。着手するなら早い方がいいでしょう?」
弓形に吊り上げたハドソンの唇は、脂で不気味なほど照っていた。
夜の道。小さい電灯の下で、一人の老女が立ち止まっている。
「いやー、二万円も貰っちゃったわー」
老女の手には『佐藤フク様』と宛名の書かれた茶封筒が握られている。
「うふふ、これで『剛雷BROS』のライブに……」
フクがほくそ笑む。
次の瞬間、封筒がアスファルトに落ちた。正確に言えば、封筒を掴んだ両手がスッパリと切り離された。手の断面は何かに噛みちぎられたようになっている。
「Grr……」
フクの背後にはうなり声をあげる黒い影。
「よーし、よくやった」
電灯の照らせない夜の闇から、大柄な男が歩み出てくる。
男はアスファルトに落ちた腕から封筒を引っぺがす。
「そら、こっちも喰っていいぞ」
男はフクの腕を黒い影に向かって放り投げた。
「Guaー!」
影は歓声をあげて腕をキャッチし、音を立てて噛み砕く。
「全く、性格悪いぜあの人。……ほら、帰るぞ」
男が影に向かって手招きすると、影は夜の闇に溶けていく。
全てが終わり、夜の道には何も残らなかった。
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