第2話 ラインとリボン

「え?」

 何かの聞き間違いだろうか。マリエッタは母の具合が悪くなったことに伴い、田舎で静養する母の付き添いを兼ねて、共に王都を去ったと後から聞かされた。

 それから5年の間、ラインはマリエッタに会うことは一度もなかった。会いたいと思ったことは何度あったか知れない。しかし、わざわざ追いかけて会いに行くことは憚られたし、剣の稽古だけでなく、教養を身につけるための毎日に、忙殺されていったのだった。

 ラインはマリエッタを一時たりとも忘れたことはない。というのも、ラインのやや長い髪を束ねるリボンを選んでくれたのはマリエッタだったからだ。擦り切れて、ボロボロになってきたリボンをラインは御守りのように大切に毎日身につけた。

 そして、ある日マリエッタが戻ってきたと聞いて、ラインは早速会いに行くことにした。

 お互い12の歳になった。ラインもだいぶ大人びて、剣の稽古でできた手のマメも分厚くなっていた。そして国内最強の騎士を決める大会で、この度優勝したばかりだった。ラインの才能はメキメキと開花し、今や王国女子の羨望の眼差しを一身に浴びる身だ。

 ラインは今度こそマリエッタに面と向かって好意を伝える決意をしていた。

「え。そう、なのか。おめでとう。あと、ありがとう。」

 ラインはあまりのショックに途切れ途切れの微妙な祝福の言葉をかけるに終わってしまった。

 マリエッタに再開したその時には、隣に男性が立っており、マリエッタはその男性の腕を取ってとても嬉しそうにラインにこう報告したのだ。

「彼は、田舎で暮らした間によくしてくれた、男爵家の生まれで、この度、両親から結婚を許されたんです。私、とても幸せです。ライン様もご健在で、何よりです。国一番の騎士になられたこと、おめでとうございます。きっとこれから良いご縁談が来るのでしょうね?よき方と結ばれるよう、お祈りしておりますね!」

 違う、そうじゃない。私が夢見ていたのはそういうことじゃないんだ!!

 ラインは引きつる笑顔を平常心にコントロールし直すことに精一杯だった。

 相手は男爵家。ラインが今、裏から手を回し、マリエッタが欲しいと言えば、二人は破談になるだろう。でも、それはマリエッタの幸せを壊すことになる。己の欲望のためだけに権力を振り翳すということだ。それはひいてはエドゥアルトの最も嫌う、『権力の亡者』になるということ。何より、目の前に映る幸せそうな二人を引き裂く権利は自分にはないと悟った。

「どうか幸せに。」

 ラインは最後にそう願いながら二人に告げると、二人の前から姿を消した。

 その後ラインはボロボロになるまで泣いた。それだけマリエッタに深く恋をしていた。ラインはマリエッタ以外の生涯の伴侶は考えられないくらい、マリエッタを愛していた。

 夜通し泣いて、泣き腫らした目がみっともなくて、冷水に顔を埋める。腫れた目の周囲に、冷水の温度がじんじんと沁みる。

(私でもこんなに泣けることがあるんだな…。)

 一通り、昨晩の醜態を反省して冷水から顔を上げると、そこにはエドゥアルトの姿があった。

「ヒィッ」

 王城でしか会わないエドゥアルトがわざわざラインの家を訪れてきたことに、流石のラインも驚かずにはいられなかった。

「ライン、残念だったな。でも。頑張ったな。お前まで権力にものを言わせるようになったら、俺はもう心の底から誰も信じられなくなるところだったぞ。だが、安心しろ。マリエッタ嬢を敬愛していたのはよくわかる。でも、世の中にはもっといろんな女性がいるんだぞ。大海を知るいいチャンスじゃないか?」

 珍しく少しエドゥアルトが弱みを見せた瞬間でもあったが、すぐに切り替えて、ラインをポジティブに励ましてくるあたり、やはり王の器として素養がある。

「…ふふ、そうですね。世界は広いですからね。いずれそういう時も来るかもしれませんね。そういう王子こそどうなのです?キャロライン姫とは。」

 エドゥアルトはその問いには答えず、げろ、というポーズをするのみだった。

 それから一週間ほどが経過しただろうか。流石にラインも落ち着きを取り戻していた。

 ショックは大きかったが、マリエッタには幸せになって欲しいと思うようになっていた。己の欲望を優先する浅ましい男にならなくてよかったと、心から思った。

 ラインはある意味スッキリもした。これからの未来、自分は何をすれば良いのかがクリアになったためだ。それは、王子の護衛として、より一層精進し、王子が王になる姿を、そしてその先にある国の未来を守る騎士を目指すこと。その決意を知ってか知らずか、マリエッタが再びラインの元を訪ねてきた。

「どうした?私にまだ何か用事が?」

 今日は伴侶となる男性を連れていない。マリエッタは、おずおずと、何かを差し出してきた。

「これは…。」

 ラインは少し笑むと、マリエッタからそれを受け取る。

「ありがとう、大事にさせてもらうよ。」

 それはラインがいつも髪を結ぶためのリボンだった。

「大切にして下さってるのを見て、嬉しかったのですが、流石にそこまでボロボロになったら買い替えてください!」

 マリエッタからは抗議の言葉が飛んできた。

「いや、これは…。」

 御守りにしていた、とはラインはついに言い出せなかった。

「そうだな。でも私にはリボンを選ぶセンスが皆無だから。新しいのを選んでくれてありがとう。」

 いいえ、とマリエッタは微笑んで、帰っていった。

 いつか君を超える女性が新しいリボンを選んでくれる日まで、これはまた御守りという名の呪縛になるのだろう。ラインはそれを愛おしそうに見つめ、明日からこれに変えるか、と大事にしまう。男性がつけるには少し豪奢な、花柄の刺繍が入ったリボンを。

 そしてラインの初恋は完全に散った。少しだけ胸の痛みを残して。

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ライン 安倍川 きなこ @Kinacco75

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