ライン

安倍川 きなこ

第1話 出会い

 ラインは、ルフト国のとある侯爵家の三男として生を受けた。

 黒の髪、黒の瞳。この国ではいわゆる一般的な容姿だ。特別特徴はないが、不満もない。

 幼い頃から懇意にしていた伯爵家の令嬢、マリエッタとはよく遊んでいた。が、友達らしい友達は他になく、ラインはあまり賑やかな人生は送ってこなかった。

(まあ、侯爵家とはいえ、三男坊じゃあ、な。)

 ラインは自分の境遇に絶望していたわけではない。しかし、幼くしてその立場を理解してしまっていただけだ。なまじ聡いからこそなのだが、まだ誰もその才覚を知らなかった。

 そんなラインは7歳になる頃、王宮で運命的な出会いをする。それが、エドゥアルトであった。当時5歳だったエドゥアルトに剣で頭角を現しつつあったラインを国王自らが呼びつけて引き合わせたのがきっかけだった。

「あんたが俺の将来の護衛?ふーん、よろしく。」

 エドゥアルトの初手はこれだった。

 ラインがエドゥアルトに対して抱いた第一印象は、正直良くなかった。

(なんだこの生意気そうなガキ。さぞかし甘やかされて育ったんだろうな。)

 ラインでもそんなふうに汚い感情を抱くことはある。それは人間なのだから当然だ。でもラインはそれを顔に出す方ではなかった。

「ラインと申します。王子の護衛を任されるべく一層精進して参ります。よろしくお願い致します。」

 そう告げて、その日はそれで終わった。何せまだ7歳だ。でもラインは知らなかった。その日を境に己に起きる運命を。

 エドゥアルトと顔合わせをしてからというもの、幼いラインにでさえ、城でのエドゥアルトの悪い噂が耳に入ってくるようになった。

 来る者を寄せ付けず、ラインで既に8人目になるということ。人に心を開かない。誰に対しても冷淡で、可愛げがないなど。

(5歳にして人を拒む、か。何かあるのだろうか…。)

 ラインは自分よりも幼い身で人を寄せ付けないという王子を慮った。自分も人付き合いが得意な方ではないため、より親近感に近い感情が湧いた。

 ラインは思い切ってエドゥアルトに人が嫌いなのかと問うた。

「人?嫌いだね。寄ってくる人間はみんな権力の亡者どもばかりだ。皆俺を気にかけて寄ってくるんじゃない。俺についてくる権力を気にかけて寄ってくるんだ。」

 ラインは驚いた。いくら王子として生を受けたとはいえ、5歳の子供にそこまでの境地に至らしめた周りの人間とはいかに。きっと既に辛い思いをしたからこうなったのだろう。それなりの家に生まれたとはいえ、三男坊としてぬくぬく生きてきたのが少し恥ずかしかった。

「ならば、その権力の亡者どもに負けないくらい強くあらねばなりませんね。王子も、そして私も。」

 そう告げたラインに、エドゥアルトは少しだけ驚いた様子を見せた。

「お前はそうではないというのか?」

 ラインは自分も権力に寄せられてきたのだと思われていたことを笑って見せた。

「申し訳ないのですが、私には権力などというものは必要ありません。だって、私はどう足掻いても三男坊なのですから。気楽なものです。ただ、お許しを頂けるのであれば、あなたのために剣を振いたいのです。」

 エドゥアルトは目を見開いた。でも、まだだった。

「なぜそこまで言う?嘘を言うものもいくらだって見てきた。お前も権力など要らぬと言うのは嘘なのだろう?俺の何をかけて剣を振るうのか言ってみろ。」

 ラインは確信した。この王子はとても聡い王になると。

「お望みならばお答えしましょう。それは一つ、あなたの笑顔をかけて。」

 そう、ラインはまだエドゥアルトが笑ったところを見たことがない。5歳にして笑顔も見せないというのは異常だと感じた。

 エドゥアルトはその答えに固まってしまった。そして大爆笑を始めた。

「なん、なんだそれ!愛の告白か何かか?俺はその気はないぞ!!お前、頭は大丈夫か?」

 結構真剣に答えたのに、ラインは二つも下の子供に馬鹿にされている。

 でもいいのだ、やっとエドゥアルトの子供らしい一面が見えたのだから。

「そうして笑っている方がいいですよ。私のことは何とでも。今のやり取りで、私のなすべきことは見えました。」

 ラインはこの人の護衛になるべく腕を磨こうと思った。あまりに感情のないやり取りをされたら、ただ単に冷淡な人間なのだと見捨てただろう。だが、エドゥアルトは違う。自分を守るために、こんな幼い頃から人間を遠ざけなければならないのだ。あまりの境遇に同情したという感情が近かった。

「変わったやつだな。気に入ったぞ、ライン。」

 エドゥアルトは初めてラインの名を口にした。ラインはやっぱりこの人は賢いのだと思った。名前を覚えていなかったわけではなく、名前を呼ぶ人間を区別しているようだから。

 それからのラインは、剣の稽古に一層打ち込むようになった。王子を、国の将来を守らねばならないのだから、ラインは国一番の騎士になりたかった。

 そしてそれを応援してくれたのは、伯爵令嬢マリエッタだった。

 ラインは物心ついた頃から親しかったマリエッタに好意を抱いていた。

 マリエッタは同い年で、少しウェーブのかかった黒髪、凛とした黒い瞳が印象的だった。物腰は柔らかく、慎ましやかで、我が強いわけではないが、押しの弱い方でもなかった。筋を通すべきところは通す、そんな強さを秘めた女性だった。

「いつもお稽古頑張ってすごいです、ライン様。」

 マリエッタは会うたびラインの日頃の頑張りを誉めてくれたが、様づけなのがいつも悲しかった。

(君には対等に話してほしいのに…。)

 しかし周囲の目がそれを許さなかった。ラインはそれをもどかしく思っていた。握る剣に力が入る。が、すぐに平常心に戻す。

 ラインは感情のコントロールは比較的上手い方だったのだが、上手すぎて感情を表に出すことはものすごく下手だった。

 ラインは、他に相談するあてがなく、年下のエドゥアルトに少しだけそのことを打ち明けてみた。

「馬鹿だな、ライン。そんなの、素直に言ってしまえばいいのに。」

 エドゥアルトは何を悩むことがあるんだ、と言わんばかりに返してきた。

「確かに言おうと思えば言うことは簡単です。しかし、言ってしまえば彼女は侯爵家の子息からの命令だからという義務感で私と話をしなければならなくなるのが怖いんです。」

 ラインは自分に自信がない方だ。エドゥアルトは自信があるからそんなに堂々と言えばいい、と言ってしまえるんだ。と思った。

「王子には既に許嫁の姫がおられるからそんなに余裕なんですよ。」

 ラインはついぽつりと漏らしてしまった。決まった相手がいて、結ばれることも確定していて。自分にはそんなものはないのだと。つまらない愚痴でしかなかった。

「そう思うか?俺は勝手に相手を決められて大迷惑しているがな。ラインには選択の自由があるじゃないか。俺はその方が羨ましいぞ。」

 そこまで聞いてラインはしまったと思う。失言をしてしまったと。エドゥアルトは何も大恋愛の末決まった許嫁がいるわけではないのだ。ただ、王族同士の政略結婚。エドゥアルト自身は少なくとも相手の姫に好意を抱いているわけではないようだった。それを考えれば、ラインの悩みはかなり贅沢なものだということがわかる。

「まずは言ってみないと始まらないだろう?もし、義務感以外の反応が返ってきたらラッキーじゃないか。」

 エドゥアルトを見ていてラインが思うことは、いつも気丈に振る舞っているのだということ。決して弱みを見せることのないエドゥアルトに、痛々しいほどの王子としての重圧がかかっている気がしてならなかった。不憫、と言われることをエドゥアルトは許さないだろう。

 だが、その日ラインはエドゥアルトの助言もあり、決意することができた。

 今度マリエッタに会えたら、その時は言ってみよう。玉砕覚悟で。

 しかし、その日が訪れることはなかった。

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