第29話 アーシラ王国①


 グアラ王国にもそこそこ長居したせいか、出発の前夜はつい感傷に浸ってしまった。



 ルイスに旅の終わりを示唆されたことも、私の心を乱す理由のひとつだったのかもしれない。


 眠れずに空ばかり見ているとトカゲ姿のレヴィン様が私の頭によじ登ってきて、黙ってじっと、その夜は一人と一匹で窓の外を見つめ続けたのだった。



 とうとう徹夜で出発の日を迎えた私を見て、朝早くから馬車の準備をしていたらしいルイスはすぐに「眠れなかったの?」と聞いてきた。

 そんなにクマも出てないのに、何で気づいたのかは謎だ。


 辛いことでもあったの、と尚も聞いてくるのに答えずいると、ユリア様やオスカー様、朝から元気なラッセンさんと相変わらず天使なテトラがやってきて、話はうやむやになった。


 オスカー様とユリア様は、お互いの姿が見えなくなるまでお見送りしてくれていた。


 残念だったのは、オスカー様が朝から金ピカのローブを羽織っていて眩しすぎて直視できなかったことと、ユリア様が最後の最後まで名残を惜しむように私のお尻を触りまくったことだ。


 ルイスが「ユリアちゃん、何してるの」とにこにこ笑いながら尋ねると、ユリア様は「こんなことをしても嫌われないのは、きっとこの中で私だけですね」とこれまた満面の笑みで返していた。

 うーん、グアラのスキンシップ文化は一生理解できないだろうな。



「で……オスカーが言ってたのが本当なら、アーシラは不戦協定を破るつもりってことなのか?」


 グアラ王国からアーシラ王国へと陸路で向かう間、馬車に揺られながら、興奮気味にラッセンさんが声を上げる。


 グアラをでてアーシラへと向かうことを決めた日、オスカー様が私たちにある情報を教えてくれた。

 ────アーシラ王国は最近、海上軍事演習をしているらしい。


 オスカー様がいうには、アーシラは今までも海上訓練はしていたけれど、軍事演習となると戦後初めてのことになるらしい。


 言い換えればそれは、アーシラが何かに備えているか、戦の準備をしていることが予想されるというわけだ。


「まだ何もわからないな。情報もオスカーから聞いただけだから、どれだけ正確といえるか」

「わ! すごい……ことになってるん、だね……」


 ちょうど国境のあたりに着いた頃、覗き窓から外を見ていたテトラが小さな悲鳴をあげた。

 異様な表情のテトラを見た私たちも、皆順々に外を覗きみる。


 そこで見たのは、グアラに入国しようとする何百人もの難民たちがたむろしている姿だった。


「そういやアーシラ王国は今、広範囲で干ばつ傾向だと聞いたな。主食のとうもろこしや綿花なんかも、もはや耐えられないとか」

「……干ばつによる食糧難が深刻で、移民志願者が大量にグアラに流入しているみたいだね」

「オスカーもぼやいてたよな。移民の受入手続きはまったく手が回っていないとか。陸続きだから国境を越える手段はいくらでもあるし、正式な手続きなしに流入してる移民も含めたら相当な数だろうな」


 干ばつがいかに厳しいものか、前世ではその地獄のような様をこの目で見たことがある。


 川が干上がり、川底を何度も何度も掘って、そうやってやっと得られる少しの水は泥水。

 しかも家畜も同じ水源を利用しているから、水には汚物が混ざりやすい。


 そんな不衛生な水を使うことによって人が病気になり死に至ることさえあるというのは、旅のはじめに行ったハネスバルトでも、改めて見てきたことだった。


「……で、政府はこの状況に対して何をしているのでしょう?」

「セイフ?」

「え……あ、その、アーシラ国王のことですわ」

「ああ。国は若い娘を供えて雨乞いの儀式をしているそうだぜ」

「お供え?」

「まだ水の湧く泉に投げ込んだり、高い山の頂上で大地に娘の血を染み込」

「もう、大丈夫です。マトモな対策は何もしていないということですね」


 私が頭を抑えてラッセンさんの言葉を遮ると、ルイスがじっと私を見て言った。


があるの?」

「人身御供の儀式は不合理なので今すぐやめるべきです。それより有用な対策はありますわ」

「じゃあ、それをアーシラ国王に言いにいってみようか? うん、決めた、そうしよう」

「待てルイス! その前に絶対行きたい場所がある、南西部の……」

「シャーリーン、国王にあったらなんて言うの?」

「山ほどありますが、彼らが知るべきこととしてそもそも雨が降る仕組みとは……」

「俺は意外と甘いものが好きでさ、知ってるだろ? テトラも。アーシラのマンゴーはうまいんだって、行商人の婆さんが言ってた」

「うん、知ってるけど……なんかすごい空間だなあ……」




 ◇◇◇




「ようこそおいでくださいました、ラートッハ王国王太子殿」

「ご無沙汰しておりますアーシラ国王陛下」


 頭上で聞こえる短い会話の中でさえ走る緊張感に、横にいるテトラの足が震えている。


 そうよね……いや、たしかにもし国王に会ったらって話はしたけど、本当に会えるとは……思わないものね……。


「我々の急な訪問をお許しいただきありがとうございます」


 どう前向きに捉えようとしても全く歓迎されてないのに、こんな時でもルイスの醸し出す空気は花が舞うほど軽やかで甘いのね……。


 陛下の表情はみていないけど、絶対胡散げな表情をしているはずだ。

 それを意にも解さぬ様子の朗らかな声で話すルイスに、私は頭を下げたままで感心した。



 アーシラの王城に急遽訪れて国王謁見の許可がおりるというのは、やはりルイスがラートッハ王国の第一王子だかららしい。


 私やキャリック兄弟も自国では筆頭公爵家として名が知られているけれど、こちらでは登城許可もおりない立場だ。


 というわけで私たちはルイスの付き人・身辺警護人ということで今回許可をもらったのだけど、そのメンバーはどう考えても女な私に、まだまだキュートな小さいテトラ、ルイス同様若い盛りの見目のいい青年。


 これが身辺警護人というのもやはり無理があったのか、明らかに嘘だと思われているのはここに来るまでの視線でもビシバシ感じていた。


「ところで私の従者が首をいためていまして、面を上げることをお許しいただけませんか」

「どの従者のことです?」

「僕の従者全員、首を痛めているんです」

「………………ハハハッ、いいだろう」


 ルイスの言葉にびっくりしたのは私だけではなかったようで、テトラもラッセンさんも珍しくおどおどと頭を上げた。



 アーシラ王国の国王陛下は名をウシュマルというらしい。


 ウシュマル様が試すような目でこちらをみていることに気づいた私がその瞳をまっすぐ見返すと、印象的な鳶色の瞳が面白そうに細められた。



 ウシュマル様は整った顔だけどきれいというよりは荒削りの野性味があり、目元には小さなしわが刻まれている。


 何才くらいかはわからないけど、まだ世継ぎもいないと聞くし比較的若いのかもしれない。


 楽しそうにこちらを見遣る視線には色気と余裕が漂っていた。


「はは……ところで今日は何用ではるばる我が国まで? こんな時ですから、遠足の相手をする余裕はないものでね」

「お役に立てるはずですよ。……ご懸念の干ばつに関して私の従者から提言があります。言葉をお許しいただきたく」

「…………貴殿が経た遠路の価値があれば良いのですがね」


 アーシラ国王の嫌味に私は思わず苦笑しながら、過去最大の優雅さと尊厳をもって挨拶をひろうした。


「……シャーリーン・グリーナワです。それではさっそくお話しさせていただきます」

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