第26話 出会った意味②


 遠い昔、魔法使いはこの大陸の全土に存在していた。

 魔物も当時はヒトと共生していて、魔法使いのなかには魔物の契約者として魂を分かち合って生きている者も珍しくなかった。


 領土や王権をめぐる戦争は大陸各地で常に勃発していたが、自然と生命を愛でる魔物やその契約者たちは争いを厭い、争いの場には無縁だった。



 しかしあるとき、強大になった一帝国の皇帝が、魔物を完全に服従させる方法を編み出した。

 それを利用した帝国は、自国にいる魔物────契約者がいる魔物たちさえも利用された────に加え、同じ術式が適用できる動物たちを「魔獣」として使役し、今まで以上に他国を蹂躙し侵略の限りをつくした。


 ────それでも帝国外の魔物たちはただ、ヒトを赦そうとしつづけた。

 いくら使役され残虐になっていても、同胞である魔物たちと戦などしたいはずがなかった。


 数多のヒトが恐怖に慄き、帝国と彼らの使役する魔物や魔獣を呪いながら死んでいった。

 なぜ帝国外の魔物はヒトのために戦ってくれないのかと恨む者も多くいた。


 惨状のなか、心優しい魔物たちをついに立ち上がらせたのは、当時の魔物の王の契約者だった。


 友であるはずの魔物を無理やり使役したこと、意思に反して仲間同士で殺戮させたこと、罪もない者を多く殺め自国の利に走ったこと、これらすべての帝国の行為は悪であり、誰かが立ち上がらなければこの大地から正義は永遠に失われる。しかしヒトだけの力ではもはや魔物を相手になす術がない。


 その魔女は魔王に言いつのった。


 ────なによりも魔王として看過すべきでないことは、使役されている魔物たちの魂が永遠に苦しみ、闇の中で嘆きつづけるということです。



 悲願であった帝国外の魔物の参戦は、戦うヒトをおおいに鼓舞した。

 魔王のもとで団結した魔物たちの力は強く、多くの犠牲を伴いながらもついに帝国を圧倒しし、大陸は平和を取り戻したかのように見えた。


 だが帝国なき今、最もヒトにとって脅威となるのは、強大な力を持つ魔物たちになったのだ。


 ──────魔物の力を削がなければ、大陸にヒトの平和は訪れない。


 そして選ばれた手段が、魔物の契約者をまず殺めたあとに、魔物も殺すというものだった。

 その方が、魔物を大幅に弱らせて確実に狩ることができたからだ。



 大陸全土で、契約者狩が始まった。


 契約者の首や居所を国に届け出た者には莫大な報酬が与えられた。

 使は、契約者を炙り出すために魔力を活用したり、迫害に積極的に加担した。


 大陸には「魔物の契約者とその他」という対立図式ができあがっていた。


 なぜ帝国から人々を救ったはずの魔物と契約者たちが、こんな目にあわなくてはならなかったのだろう。

 憎しみがさらなる悲劇しか生まないことを知っている魔物たちは、ただ嘆きの淵にいた。


 そんななか、多くの魔物や契約者が隠れ住んでいた森の中の城で、過去最大の虐殺が行われた。


 この時に、魔王はヒトの世界にもうずまく思惑があることを知った。

 魔物を完全に消し去ることを望むヒトがいる一方で、いつか自国が他国を凌駕するための武器とするために使役して隠し持っておきたいと考えている者もいたのだ。


 魔物はヒトと共に生き、愛と魂を分かち合ってきた。多くのことを赦してきた。小さな異種族の友がいることが喜びだった。

 しかし、これ以上ヒトと共にいることが本当に魔物の幸せなのだろうか?


 魔王はついに、当時の帝国が失われたあと、領土の分配がまだ決まっていなかった土地────今では「壁の向こう」と呼ばれている封じられた地────に、魔物たちを逃すことを決めた。


 一部の魔物はそれぞれ思い入れのある場所に残ることを選んだが、いずれにしても彼らはヒトと関わることをやめた。

 魔王が結界をはり、それらの土地には誰にも立ち入られないようにした。



 魔物が消えた世界で、契約者は殺されなくなったが、全員が各国の奴隷になった。



 しかしそれでもなお、ヒトは魔物を恐れつづけた。


 いつか報復されるかもしれない。

 いつかヒトを征服しにくるかもしれない。


 そうおもった各国の王は、魔王が隠れ住んだ土地に接した領土をもち、なおかつ国王が使だったラートッハ王国に、奴隷だった全ての契約者を集めることで合意した。


 何かあった時に最初にそこで塞きとめる。

 魔法使いは団結した魔物に抵抗できる唯一の力だったし、魔法使いの制御は魔法使いにしかできないと考えられたからだ。


 奴隷だけでなく、各地にいた使も、有事のためにラートッハに集められ、迫害に貢献していた者から順に大貴族の称号を与えられた。

 奴隷達も、万が一にもよからぬことを企てぬように貴族の爵位を与えられ、魔法使い同士────つまりは貴族同士での結婚が義務付けられた。


 こうしてラートッハは大陸全土の魔法使いを手に入れ、その他の国は軍の強化に励むことになった。

 ラートッハは魔法使いの力を悪用して他国の侵略などを企てぬよう、軍隊の放棄を約束し、大陸は百年をこえる安寧の時代を手に入れた。



 レヴィン様の話は、静かに淡々と語られた。



「……ここが、その魔王城があった場所なのですか」

「そう。僕の父が住んでた」


 初めて聞いた話に、皆がただただ押し黙る。


 もちろん、レヴィン様の話がぜんぶ嘘って可能性もあるけど、もともと歴史に違和感を持っていた私にとって、彼の話は本に載っている内容よりもずっと、筋が通っているように思えた。

 ……それに深く悲しみをたたえたこの瞳を信じずに、なにを信じろというのだろうか。


 長い沈黙を最初に破ったのは、テトラだった。


「僕は、あなたの話を信じます」


 そう言ったテトラは涙さえ流していて、私はその時やっと、テトラの持つ超能力を思い出した。


 人の発言の真偽がわかる、読心術の使い手。

 その能力をもってしてテトラがレヴィン様を信じると言ったからか、ラッセンさんが、観念したかのように額に手をあてて呟いた。


「ハハ……。それが本当だとすれば、なぜ誰も知らないんですか? たとえば口伝えとかでも家系に……」

「魔物の契約者だったヒト達は口封じの魔法で戦後、真実を語れなくなっていた。使は、虐殺に加担したことをおのずから語るはずもない」

「でも平民とかは?」

「平民のなかに真実を語るものがいても、歴史書とも吟遊詩人が語る内容とも違う話となれば、どうなる? 時が経つにつれ、老いて現実と空想が混じっていると鼻で笑われるだけになる」

「……なるほど、そうして真実は葬り去られ、今の時代を生きる者たちはかつての為政者がつくった空想物語のなかに生きている、と?」


 オスカー様が自嘲気味な言葉を放つ。

 そうして、じっと押し黙っていたルイスも、ついに口を開いた。


「…………あなたは、ラートッハの王族は、過去に魔物やその契約者たる魔法使いを理不尽に迫害した者たちの血族だとおっしゃるのですか」

「ブラットフォードも、グリーナワもキャリックも、我々魔物や契約者を最も残虐に辱めた者たちだったのは事実だ。けれど、それでも僕が選んだ契約者はグリーナワの血脈のシャーリーンなんだよ。その血を恥ずかしく思う必要はない、幼き器よ。血は血でしかないのだから」 


 ルイスがその言葉を聞いて自身の胸元をぐっと掴む。

 そして、悔しそうに言った。


「歴史まで書き換えて、魔物は忌むべき敵で、王族が尊く崇められるべき存在だと、誰もが思うようにしたのか……自分勝手な理由で」

「まったくだな。そういえば悪の帝国指導者は女だったと思うんだが。あれも後付けの設定なのか?」

「だとすれば、目的はこの先永遠に、女が社会的な力を持てないようにするため……だろうな」


 ユリア様が低い声で呟き、それを聞いた誰もが静かに長い息を吐いた。

 そしてみんなの表情を穏やかな表情で見つめていたレヴィン様が、しばらくしてユリア様に微笑んで言った。


魔王僕の父を立ち上がらせた魔女は、グアラの村娘だった。君のように勇敢で、強いひとだった」

「グアラの……」


 ユリア様が思わず声をあげる。


「二人は真の友だった。常に互いの幸福を願い、けして魔物や父をけしかけて無理に争いに巻き込もうとはしなかった。結果的に魔王を立ち上がらせて多くの人や国を救ったのは彼女だけれど、はやく名乗り出なかったからと……魔法使い狩の一環ではなく、魔王と契約しながらその事実を隠し国を見殺しにした大罪人として、彼女は処刑された」


 淡々と語られるからこそ、余計に胸が痛くなるのかもしれない。

 みんなが知っている絵本の話────魔物が人を襲い大地を血に染めたという────のは、たしかにまったくの嘘ではなく、事実も含まれてはいたのだ。


 けれど歴史のほんの一部を切り取った一場面の話でしかなかった。

 魔物は大地を血に染めたかもしれないけど、それは人が人をずいぶん傷つけた後の話で、魔物にそうさせたのは人で……。


 都合よく歪められた真実に寒気がしたあと、ふと私は尋ねた。


「しかし、帝国の指導者が強い魔女だったという理由で、ラートッハでは強い血を引く家系で女児を間引くんですよ。本当の指導者が男だったなら、なぜそこまでのことを……」

「その話は、魔物を使役する手段に関わっている」


 レヴィン様が言うには、何かを使役するには魔法陣と呪文、そして相応の生贄が必要になる。


 必要な生贄は使役するものに応じて変わり、例えば魔物を使役するには、強い魔法使いを五〜十人程度。

 ただの動物であれば生贄が魔法使いである必要はなくなるものの、それでも複数人の犠牲を必要とする。


 ちなみにこの魔法は、人間には発動しないから、対象は魔物か動物だったという。


「そして最も重要なことは、常に、生贄の半数以上は女である必要があったということだ」

「……つまり強い魔女がいると、また魔物を使役しようとする者が現れるかもしれない。だからそもそも強い魔女が生まれないように間引くことになった、ということですか?」

「そう……魔法使いを全てラートッハで管理することが決まった、密約の際に」

「けれど、私が間引かれなかったのは……」

「国王たちは、強い魔女が一人生まれたところで脅威にはならないことを知っている。強い魔女が少なくとも三人いなければ、魔物は使役できないから」


 レヴィン様の言葉に私は頷く。

 その時、ルイスが遠慮がちに言った。


「使役魔法に必要なものの中に、魔力は含まれないのですか?」

「そう。使役魔法と呼ばれたものの、本質は魔法というより呪いだ。だから生贄を必要とするし、魔法使いでなくても発動できた……現に、帝国の皇帝は魔法使いではなかった」

「魔法使いでさえ?」

「とはいえ皇帝には六人の妻がいて、そのうちの一人は強い魔女だった。最初に使役されたのは彼女の契約していた魔物で、そのあとも彼女の強い献身が皇帝を支えてはいた」

「……使役魔法に関わる呪文や魔法陣は、今もどこかに保管されているのですか」

「関連書物はすべて焚書されているはず……公的には」

「公的には?」


 そう呟いてふと、先ほどレヴィン様が語ってくれた歴史の一節を思い出す。


 ────魔物を完全に消し去ることを望むヒトがいる一方で、いつか自国が他国を凌駕するための武器とするために使役して隠し持っておきたいと考えている者もいた。


「……レヴィン様。当時、使役魔法を自国の武器として隠し持つことを企んでいた国はどこだったのですか」

「…………ラートッハ王国だった」


 レヴィン様の言葉に、ルイスをはじめ、誰もが息を呑んだ。


 そういえば、ゲームのシナリオではバッドエンドの時にかつて封印されたが復活して国が滅びたはずだ。


 それが今後また、誰かが使役魔法を使って動物や魔物の軍隊を復活させるということであれば……そのための生贄として多くの人も犠牲になるということだ。

 そしてそれを主導するのが、ラートッハになる可能性があるということ?


 誰もが深刻な様相で押し黙っていたせいか、レヴィン様が優しげな瞳で言った。


「……みんな、そんな顔しないで。すべては仕方ないことだったんだ」


 本当に、そうだろうか。

 なぜただ蹂躙され、利用され、傷つけられなければならなかったのだろう。


 誰かにとっては都合よく、誰かにとってはひどく理不尽。

 何も知らず平穏に暮らす者がいる一方で、生まれた瞬間から歴史の業を負って苦しみながら生きるしかない者もいる。


 そんなのが当然の世界は……前世で十分だったのに。


「だけど、こんなのひどすぎます……っ。あなたたちは何も悪くないのに」

「ありがとうテトラ。だけどきっと、僕たちはこの大陸の平和のための微妙なバランスを保つのに、必要ななんだろう」

「……仮に。もし過去百年以上そうだったとしても。その状態が永遠に続くことはありえません」


 たしかに平和は、一定の緊張感のもとで成り立つ。


 しかし長い時を経ても一向に報復してこない魔物への恐怖はもはや薄れ、存在さえも認識しない者ばかりになった今。

 共通の敵をもって人間が結束することから、自国の利のために動く人が出てきてもおかしくはない。


「……私、レヴィン様に出会えた意味が少しわかったような気がします」


 世界はいつだって理不尽だ。

 そんな世界に振り回されて一喜一憂することも、苦しみを耐えしのぶことも、なにもかも横暴で解し難い。


 だけどそれをただ受け入れて傍観するのは柄じゃないのよ────前世でもそうだったように。


「実は私もこの世界のキャスティングされているのです。でも私は悪じゃない。レヴィン様たちも同じ」

「悪役?」


 私が遺跡に残った血の跡をじっと見ているのを、レヴィン様たちは黙って見ていた。

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