第19話 きれいなものだけ


「おはようシャーリーン」


 穏やかな声が聞こえて、睫毛を震わせる。


 ぱちりとまぶたをあけると、急にとりこんだ光に目が眩んだ。



 しばらく目をこすってから瞬きすると、突然ルイスの顔が視界いっぱいに広がって思わず声をあげる。


 …………寝起きの美形は心臓に悪いわね。


「今日はいい天気だよ。甲板で昼寝してしまいたいほど」


 甲板という言葉で、まだまどろみの中にいた私の脳が急速に覚醒しはじめた。


 海賊の襲撃してくるシーンが、映画のように頭の中でぐるぐると流れ始め、はたと気づく。


 ……あれ? 私の足、全然痛くない。

 怪我したはずなのになんともない。


 ってことは、なんだ。


「夢だったんだ……」


 私は船室のかたい床で寝そべって、妙にリアルで気分の悪い夢をみただけだったのだ。


 安心したのか気が抜けて再度眠りにつこうとした私をみて、微笑んだルイスが私の目を手のひらで覆った。


「ルイス?」

「こうして君の目を覆って、きれいなものだけ見せてあげられたらよかったのにね」

「……それ以上、おっしゃらないで」

「でも君は好奇心旺盛で、きっとそんなことさせてはくれないね。たとえ傷ついても、何が待っているとしても、真実のこの世界の有様をその目で見たいというんだろうね」


 手のひらで目を塞がれていて何も見えないのに、ルイスが泣いているような気がして私は顔を歪めた。



 見たくないものはたくさんある。

 認めたくないものはたくさんある。

 信じたくないものもたくさんある。


 でも私は、もう純粋無垢な子供じゃない。

 何も知らないふりするには年をとりすぎているし、だからといって真実から目を背けるには若すぎる。



 ──────ぜんぶ夢なんかじゃなかった。


 海賊がきて、私たちは甚大な被害を被った。

 それは前世も含め、無防備に蹂躙されるというはじめての経験だった。


 海賊被害が話題になっていると聞いた時には実感がわかなかったけれど、今ならわかる。


 なす術なくいたぶられることの屈辱、無念。


 なぜ戦うすべを自分は持たないのかと、なぜこんな目に合わなければならなかったのかと被害者達は恨んだかもしれない……その先は国か、己の運命か。


「傷は……」

「僕が治した。めずらしく二属性持ちでね、火と光の魔法を使えるんだ。光魔法が使えることは親にも隠してるけど」


 驚くべき発言に、私はぽかんと口を開けた。


「ああ、怪我した船員たちも、できるかぎり治療したから心配無用だよ」

「光魔法を……人のために使ったの?」

「うん? 使いたかったからね」


 あの状況でも自分の頭を覆っていた思考を思い出し、私は思わず涙をこぼした。


 ────私はなんて情けない人間なんだろう。



「……小さい頃から外の世界について考えるのが大好きでね、よく本を読んだり話を聞いたりした。疑問があるとすぐに大人たちに聞いたよ。でも答えにいつも納得がいかなかった」


 静かに泣いている私の髪をゆったりと撫でながら話しだしたルイスの様子を大人しく伺っていると、ルイスがふっと笑った。


「シャーリーン、きっといくつか普段から感じている疑問があるだろう。言ってごらん。なんでもいい」

「……なぜ、かつて魔女は、魔物や魔獣を利用してまで他国を侵略したのでしょう」

「強い魔女は魔女だったから」

「……魔物や魔獣はどこへ行ったのですか」

「当時の各国王陛下たちが力を合わせて壁の向こうへ封印してくださったお陰で、邪悪なものは弱体化し、今では消えてしまったんだよ」

「なぜラートッハにしか魔法使いはいないのでしょう」

「ラートッハの国民が善良だったから、能力を天から授かったんだよ」

「……そんなの答えじゃないわ」

「そうだね。大人は自分達に都合のいいように物事を解釈して、古びた言葉を何の疑いも抱かずに信じ込んでいる……。それが理にかなっていないと心の底では知りながら」


 見上げると、ルイスのつやつやした紫の瞳と目があった。


 ちなみに今のは僕が五歳の時に周囲の大人としたやりとりだよ、といたずらそうに笑ってから、ルイスは続けた。


「物事の善悪は見る者によって容易に変わる。善悪の判断ができないほど複雑な事象も、この世にはある……それほど不確かなものだよ。生まれたばかりの赤子を裁く理由としては弱すぎる」


 ルイスがこちらを見る目があまりに優しくて、また一粒だけ涙がこぼれた。


「今まで君がしてきたことは、誰かを貶めることだったかな? ラートッハの国民にとって良いことはあれど、悪いことなんてなかったのを僕は知ってる。君は生きるべくして生きてるんだよ」

「でも、でも私、何もできませんでした。皆が戦っているのに、何の力にもなれませんでした」

「……本当に、強い魔力を持つ女性が悪いものだと誰が決めたんだろうね。君はこんなにも優しいだけの女の子なのに」


 ルイスが私の頭を撫で、私はわけのわからない気持ちで胸がいっぱいになった。

 ただ静かに涙だけが流れたので急いで袖で拭おうとすると、ルイスがそれを阻んで指を頬に滑らせた。


「シャーリーン、一人で抱え込まないで。君という人間は、君が考え、行動してきたことでだけ定義される。僕はちゃんと君を見てるよ」

「ルイス……」

「ヘイヘイヘイ! なあおい、シャーリーンは大丈夫か……ってあれ? なんだ、ルイスは不機嫌か?」

「お前ほどタイミングの悪い奴は初めて見たよ、ラッセン」


 その時、ばたんと突然ドアが開いて、聞き慣れた声が響いた。

 思わずほんの少しルイスから距離をおくと、頭上からルイスが低い声を出す。


 ……へえ、そんな声も出せたのね。


「シャーリーンちゃん、大丈夫? ああ、ほっとした。血を見た時は本当にどうなるかと。心配したよ。ほんとによかった」

「本当にな。まったく心配させるなよ。でも、よく頑張ったな。いっぱい飯食えよ」


 横で様々な言葉をかけてくれるラッセンさんとテトラに、私はなんだかまた泣きそうになる。


 その時、ラッセンさんがそういえば……と切り出した。


「船内に残っていた海賊も、うまいこと処理したぜ。貨物はやっぱり、けっこう奪われちまってるらしい。結局あいつらの目的は、盗みか?」

「ああ、それなら私が少し知っています」


 私が言うと、三人が揃ってぽかんとした顔でこちらを向く。

 その様子を面白く思いながら、私は真っ白な船室の壁を指差した。


「こちらをご覧ください。船内に残していた海賊に少し自白させました」

「「「え?」」」


 ブツ、と音が鳴り、まるでホームシアターで壁に投影したかのように映像が流れ始めると、三人は呆気に取られたような顔でそれを見つめた。


 それもそうか。

 人に自白させるのも、その様子を録画するのも、それを映写して他人に見せるのも、そんな魔法の呪文や魔法陣、アイデアさえもこの世に存在しないのね……。



「…………まあ、というわけなので私が思うに、今回襲撃してきた海賊は、私掠船だと考えられます」

「へえ、なるほど〜……っていやいや、ツッコミどころが多いぜ! どうなってんだよ?!」




 ◇◇◇




 あと数日でグアラ王国の港につくぞ、というラッセンさんの言葉で、私は船室でせっせと荷造りに励んでいた。


 服をくるくるとまとめて詰めたとき、ふと突然頭に重みを感じて私は口元を緩めた。


「あらレヴィン様」

「……お互いの名を呼ぶとお互いの近くに転移するように、僕たちの関係にはいくつかの制約がある。相手の名を呼んで強く訴えたことが強制力をもつのも、そのひとつ」


 あの惨劇のさなか、レヴィン様が急にいなくなったのは私が逃げてと強く言ったからだったらしい。

 そうだったんですねえ……と改めて魔物との契約について感慨深く思っていると、レヴィン様が沈痛そうな面持ちでつぶやいた。


「辛かっただろう、シャーリーン。頑張ったね。僕がいれば、君はあんな痛い思いをしなくてよかったのに」

「いえ、よかったのです。私が経験すべきことでした。でも……レヴィン様を今後はもっと頼りますね」


 私が言うと、レヴィン様は小さな羽をぱたぱた動かして目の前に飛んでくる。

 そうして、ぎゅっと私の頭に抱きついた。


「久しぶりに会っておいてなんですけど、レヴィン様にお願いがあるんです。私を、鍛えてくださいませんか」

「……そうだね」

「ええ。魔法の使い方や戦い方を、ちゃんと知りたいの。レヴィン様ならきっと助けになってくれると思いました」



 海賊に襲撃を受けた経験が、いまだ色濃く脳内にこびりついている。


 人を悲しみ悼む気持ちが心に影をおとすし、痛みや恐怖、そして心の傷は多分ずっと癒えない。


 だけど誰かを、自分を、守れないのはイヤ。

 自分の周りで人が傷つくのを見るのはイヤ。

 自分の思うように動けない自分なんてイヤ。



 だから私は、進まなければならない。



「……もちろん、すべては友の心のままに」


 そう微笑んだレヴィン様が少し不安げに見えて、私は言葉を促す。


 すると、かなり逡巡したのちにレヴィン様は言った。


「強大な力を得たいならば、ひとつ約束して欲しい。これから先、悲しみや怒りのあまり、感情に呑まれることはないと。……どんなことがあっても」


 レヴィン様のきれいな瞳が揺れた気がして、私は安心させるために強く頷いた。


「ええ。心配しないで」

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