第17話 ユアン・グリーナワの追憶


 ノーツ港はかねてより栄えた町だったが、その名が国中に轟くようになったのはつい最近のことだ。



 先般、王宮から全国の上下水道整備への乗り出しとその意義に関する見解調書が発布され、国じゅうが────平民街でさえ────その話題で持ちきりになった。


 いかにこの事業が国民の生活と幸福、環境保全や大衆衛生に関わるのか。

 決断した王への賞賛、王に進言したのは王太子のルイス第一王子であったこと。


 また、事業には税金だけでなく、ルイス殿下とその友人であるキャリック公爵家の子息たちが見返りなしに行った多額の寄付も利用されること。

 その金の出所は貴族向けに最近できたリゾート島の売上からであること。


 ちなみにこの島はノーツ港周辺の平民にも労働を生み出すなど多大な貢献をしていて、この国の明るい未来は優秀な若者によって約束されている……というのが、たいていの人の口に登る締めの言葉だった。



「なあ、そこのパブで一杯やってみないか? ああいう品のなさそうな場所に憧れがあるんだ」


 顔を覆うような大きなメガネをかけ、前髪で目元を覆ったジレスは一見この国の公爵家子息とはわからない。



 自分自身もそうだが、ある程度の力のある家門に生まれると、市中に絵姿が出回ってしまう。


 だからこそ民の混乱を招かないために必要な変装というわけで、ティファニー先生の課外授業でノーツ港に来ていた僕とジレスは、大袈裟なメガネや帽子をかぶってこの穏やかな港町を歩いていたのだった。


 ……ちなみにヴィンセントは、馬車酔いでティファニー先生と宿屋で休憩中だ。


「いいけど、飲めるの?」

「試してみよう」


 ジレスが先んじて足を向けたところには、古びた看板が立てかけられた建物があった。


 重そうな木の扉をみて僕も頷き、ちょうど喉も渇いていたから休憩も兼ねてと店に足を踏み入れると。


「ええ〜っ! 美少年のオーラを感じるわ! そっち座って座って!」


 扉を開けた途端、一瞬の静寂の後こちらにどどどっと集まった女性たちにすさまじい勢いで話しかけられ、腕を掴まれて席に連れて行かれる。


 普段は淑やかな貴族の令嬢ばかりと接しているからか、さしものジレスもこの状況には少し戸惑っているようだった。


「きゃ、変なファッションだけど、ルイスさんたち以来の上玉だと思わない?」

「ほんとね、美形の栄養は美形からしか補えないわ。今のうちに吸っておきましょう」


 店員も客も、みんながわいわいとこちらを見ながら話し始め、ジレスと僕は顔を見合わせる。



 先に口火を切ったのはジレスだった。



「……あの、先ほどルイスさんとおっしゃいましたか?」

「ええ、ここによく来てたのよ。知ってるでしょ、話題のリゾート島! あれの開発でリーダー的立ち位置だったんだけど。銀髪の色男」

「そうそう、同じ名前だからっていつのまにか第一王子の手柄になっちゃってたけど、ありえないわ! 本当の功労者は第一王子と違ってすっごい美形のルイスさんなのよ〜」

「……そうなんですね」


 ジレスが八方美人モードでにこにこと店の人たちから情報を引き出していくのを、僕は呆けて見ていた。


 薄暗いパブのようなこの店は、朝から酒を飲む男女の溜まり場になっているようだ。

 ジレスに会話は任せて、とりあえずガス入りの水を二つ頼むと、サービスよと自分の顔ほどもあるグラスでサーブされて僕は面食らった。


「ルイスさんはとにかくカリスマのある人だったよ。あの笑顔に抗える人間はいない。ほとんど宗教だった」

「カリスマといえば、ラッセンさんも慕われてたよな。あの人が去るって聞いて町の女全員が船の見送りで泣いたのは、永遠に語り継がれるだろうな」

「五ヶ月の娘と五十の母ちゃんも泣いてたよ……」

「テトラちゃんも、ちっちゃくて守ってあげたくなる美少年だったわよねえ。いつもにこにこしてるけど、頭がよくてこっちの考えてること見えてるのかってくらい鋭いこと言ったり」

「最年少なのに一番の苦労人ってイメージだな」

「あら! ある意味一番苦労人なのはシャーリーンちゃんでしょ?」


 聞き馴染んだ音に、胸がどくんと跳ねる。



 ────シャーリーンが家出をしてから、もうすぐ一年がたつ。


 いつも手を引いて僕を導いてくれた妹が、人知れず大層なことを成し遂げた、というのは父から聞いていたけれど、こんな場所でも名前を聞くことになるとは……なんだか手が届かないほど遠いところへ行ってしまったように感じた。



「ヘビみたいに執念深そうなルイスのお気に入りだものね。そりゃもうシャーリーンちゃんは苦労人確定よ……」

「でも苦労に気づかないくらい鈍感そうだよな」


 笑いながらワイワイと思い出話に花を咲かせるパブの客たちを横目に、僕はジレスの方をちらりと見た。


 ……にこにこ笑いながらも眼鏡の奥できらりと光らせている目。

 あれは何か勘づいた時の顔だ。


「そろそろ出よう」


 惜しむ客たちを尻目にして、ジレスが愛想良く笑いながら、会計を済ませて店を出る。



 思ったよりも長居してしまった。

 時計を見るとすでに正午を回っている。


 自由時間がもうすぐ終わることをジレスに伝えようとしてふと、ジレスの真剣な面持ちに僕は気づいた。


「どうしたの?」

「……ねえユアン。ルイス第一王子の絵姿を見たことがあるか?」

「え? ああ、あるよ。なんていうか……少なくともヴィンセントとは似てないよね」

「あはは、そうだな。不細工って言っていいよ。まあ当然だ、あの絵姿は偽りの姿だから」


 ジレスの声に反射的に反応すると、ジレスはさらりと爆弾発言をした。


「なに? どういうこと」

「僕はヴィンセントと乳兄弟だったって聞いたことあるだろう。だからルイス殿下とも会う機会は何度かあったんだけど……あの人は平民のフリをして外を出歩くのが好きだからさ。自分の姿が出回ると不利益を被るって言って、わざと嘘の絵姿を描かせてる。本当は銀髪のすごくかっこいい人なんだ」


 なんてことない風に語られる言葉に、さきほどのパブで聞いた話がよみがえってくる。


 銀髪の美形、カリスマ性。

 名前が同じというだけで第一王子に功績を横取りされた男。それって……。


「そういえば、シャーリーンは絶対に安心な人と旅に出てるから心配するなって、お父様が……」

「ああ、そういうことだ。この町の人も、ルイスって人が本当の王太子だとは知らずに接してたってわけさ。はあ、しかしシャーリーンを狙ってるのがあのルイス殿下なら、もう勝ち目はないな」

「勝ち目? 狙う? まさかジレス」


 次々と出てくる新情報に僕が慌てていると、ジレスがイタズラそうな笑みを浮かべて言った。


「ははっ、さて、そろそろ集合場所に向かわないといけないな」

「ああ……そうだね。なにをするんだったっけ? みんなで船に乗って、イルカを観察するんだった? ティファニー先生がイルカ好きだからって……」

「ヴィンセントが、本当に船に乗るのかってうめいてたよ。馬車酔いの次は船酔いだ」

「うん。それに、あれだけ船が立て続けに壊滅被害にあってるからね……」

「ああ……会ったら終わりの海賊ってやつ。物騒だな。まあ、近海を浮かんで帰ってくるだけだから僕らは大丈夫だろうさ」

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