第16話 船上②
思い返せば、今世では今回がはじめての海外旅行だ。
グアラ王国には、どんな人や景色が待っているんだろう。
思い描きながらついつい顔がにやけるのを止められない。
ずっとにやにやしている自分の頬を一度ぱんと軽く両手で張ってから、私は改めて海を眺めた。
「シャーリーンちゃん? あんまり乗り出したら危ないよ」
振り返ると、一緒に甲板まできていたテトラが笑いながら私の手を引く。
はあ……その天使の微笑み、癒されるわあ。
今日のテトラと私はお揃いの服を着ている。
ベージュのパンツに白の麻シャツというシンプルな服装ではあるけれど、朝着替えながら「きっと姉弟みたいになるぞ」とにやついていた私は、テトラを見た瞬間、真顔になった。
……なんでこんな平凡なファッションなのに気品と可憐さMAXなのよ!?
ルイスやラッセンさんもだけど、これが洗練されてるってやつなのだろうか。
シャーリーン島の開発の頃から、お前だけは普通でいじりやすいとよく現地の従業員たちに笑われていたのを思い出す。
同じ服なのにこんなにも違うなんて……。
朝から多大なる衝撃を受けたのは言うまでもない。
「トカゲちゃんも海風が気持ちいいのかな? 霧が多くて天気は良くないけど」
「ほんとね。ぐっすり寝てるみたいだわ」
テトラに言われて自分の肩の上を見る。
背中を上下させる黒い塊が右肩にちょこんと乗っているのをみて、私とテトラは顔を見合わせて笑った。
日中もレヴィン様と話ができるよう、目立たない姿になることができるかと尋ねたのはつい最近のことだ。
それ以降、たまに小さな黒いトカゲになって現れるレヴィン様は、私が船内に紛れ込んでいるの見つけてペットにしたということで通っている。
「そういえばテトラはもう社交界デビューしてるの?」
「まあね……。あまり行きたくなくて、逃げてばっかりいるんだけど」
べっと舌をだしたテトラに、私はにやりと笑う。
「そうなの? だけどきっとあちこちのご令嬢がテトラに群がるんでしょう。モテすぎて困るのかしら?」
「関心を持たれるのは僕の家柄がいいからだよ」
「うーん、それだけじゃないと思うわ……テトラは顔もいいでしょ。あと、ラッセンさんに比べると手玉に取りやすそうね」
私がまじめな顔で言うとテトラは一瞬ぽかんとしたあと、笑い出した。
「シャーリーンちゃんはおべっかや嘘を言わないから好きだよ」
「よかったわ。隠し事はあるけど、嘘は言わない主義なの。あなたの前ではね」
私の言葉にテトラが目を見開いたまま微笑む。
言葉の真意を探りたいのだとわかったけれど、私はどういうことかとテトラに聞かれる前に口を開いた。
「テトラが貴族たちの社交の場を楽しめないのは、そういう家柄や立場みたいなウワベでしか物事をみない人と話すのが疲れるから?」
「……息苦しいんだ。笑顔で話しかけてくれる人が裏では僕の家を疎ましく思ってたり、利用しようとしてたり、言葉の裏に隠された意図があったり。貴族って見た目は綺麗だけど、中身は……」
テトラが長い睫毛を伏せて心底疲れた表情で微笑んだので、私はどきりとした。
貴族といえば腹の探り合いをしているのは事実といえ、こんな幼い男の子がその戦場に放り込まれたら、そりゃあ心を病むと思う。
昔のヴィンセント様のことをふと思い出して、似てるなあ……と思わずふふっと笑ってしまった。
耳を塞ぎ心を閉ざし、誰も信じないでいれば傷つかない。
言葉の裏に悪意が見えても、人間なんてそんなものなのだと諦めて見ないふりをすれば、苦しくない。
そう思っているのに、意思に反して心は人を信じたがって傷つくし、知りたくないことを知っては罪悪感に苛まれ、孤独と苦しさばかりが募っていく。
貴族社会に嫌気がさし、そこにいる自分も嫌になり、読心能力をもつ自分自身が嫌いになり……それが続いた結果、純粋そうな平民の女の子に恋したのがゲームのテトラなんだろう。
とはいえ、こんなかわいい幼き頃のテトラと知り合えた以上、この先に待ち受けている苦しい思いをする必要などないのではないかと思うのだ。
今のテトラにもあやういところはあるけれど、まだ優しく朗らかで人を信愛する心は健在だ。
……今のテトラを、汚いものからずっと守ってあげたい。
でも、目に蓋をして真綿につつみ、優しい嘘をかけつづけるより……現実を知り立ち向かう強さを一緒に持つ方が、本当の意味で未来のテトラを守ることになるんだろうから。
「残念だけど実際のところ、貴族の中身が汚いんじゃなくて、人間は誰でもわりと汚いものよ」
私が言うと、テトラが睫毛をぱちぱちしながらこっちを向いた。
「平気で嘘ついて騙して人を貶める人はどこにでもいる。男か女かや、貴族か平民かも関係ない。だからテトラがどこへ逃げても何から隠れても、生きている限り誰かがこれからもあなたに嘘をつくわ」
「……誰でも?」
「ええ、誰でも。だから、逃げずに構えてられるだけの力をつけないと。不誠実な大多数の人のためにあなたが何かを我慢したり失ったり、傷つく必要なんてないの。テトラ自身がいつも前を向いて堂々と生きるために、人を無条件に信じない強さというのもあると思うわ」
言いながら、その言葉は自分に向けて言っていることでもあると思った。
この世の不条理な現実、誰かのつくった嘘や固定概念に振り回される自分じゃなく、私は堂々と生きる────そのために必要なことを、今探しているのだから。
「ひとつだけ覚えていてほしいのは、私はテトラに嘘はつかないってことよ。私を、あなたの心の拠り所にしてちょうだい」
私はそう言うと、テトラの頬を両手で包み、まっすぐきれいなふたつの目を見た。
テトラは私に顔を固定されて動くに動けず、ただおどおどと赤く染まりきった顔で目をさまよわせる。
私の言ってることはすべて本心とわかるからこそ、テトラにとってこれはかなり恥ずかしい出来事らしかった。
いや~それにしても綺麗な顔よねテトラって……そういえばこの世界に来てから美形にしか会ってない気がする。さすがゲームの世界。
なんて、しょうもないことを考えていると、テトラがばっと体を離し、頬に添えていた私の手から逃れた。
「も、もうっ! シャーリーンちゃん、あんまり男の人に触れたりしたらだめなんだよ。僕、部屋に戻るっ」
そう言って顔を真っ赤にしながらテトラに、私も笑いながら謝って、後ろを追うことにした。
その時ふと何気なく海を振り返ったら、霧の切れ間に一隻の船が視界に入った。
「ずいぶん近いわね……」
ぼそりと呟いた瞬間、頭に警鐘がなりはじめた。
商船? 客船? いずれにせよ、そりゃ、すれ違うことだって、あるわよ。
「海賊……? なわけないよね」
言い聞かせるように呟いて、いつのまにか誰もいなくなった甲板で、向かってくる船を私はじっと見つめた。
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