2章 10〜11才 旅の仲間
第12話 ハネスバルト
「ここハネスバルトでは、多くの人が……特に子供が亡くなると村の人たちが言ってたね」
ルイスに攫ってもらってから初めての行き先は、ラートッハ北西部のハネスバルトという村だった。
ハネスバルトのあたりは比較的豊かなラートッハの中で、もっとも貧しい地域だと言われている。
人通りが少ないせいで異様に静かな村は、確かにいままで私が見てきたラートッハのイメージとは大きくかけ離れた寂しい場所だった。
「同じ国なのに、こんなに王都と違うなんてね」
ルイスが沈痛な面持ちをしているのを見て、私は静かに切り出した。
「水不足が原因なのではないでしょうか」
「少し遠いけど毎日水汲みに行ってると聞いたよ。水売りもいたし……僕たちも彼から水を買っただろう」
「ええ、高価な水でした。ここの人たちは最低限の分もまかなえないでしょう」
「水売りが暴利を貪っていると?」
「いいえ。水が足りている地域より、水不足にあえぐ地域の方が高値で買わざるをえないのは珍しいことではありません」
こういう地域では、水へのアクセスが悪い分、運送や人件費などコストが多くのってくるのも致し方ない面がある。
ただ、問題は単純に水の量が足りないことだけではなく、安全な水が足りないことにもあるのだ。
開発途上国といわれる国々では幼いうちに亡くなってしまう子供が多く、その原因のひとつは水問題だと言われている。
単に水が足りず飢えることもあるけれど、水があっても泥や寄生虫、病原菌がまじった汚い水を飲んでいるとひどい下痢や感染症にかかり、抵抗力の弱い子供などは重症化して最悪の場合死に至るのだ。
「命を失うまでいかずとも、私が会った中には汚水で顔を洗っていたせいで失明した子……あ、いや、昔別のところで会った子ですが」
前世のことを口走ったため慌ててごまかすと、ルイスは一瞬探るような目つきをした後、何も追及せずに深刻な顔で頷いた。
「……それに、水は貴重なのでもっぱら飲むために使います。すると、手や身体を洗うことは殆どなく不衛生になる。不衛生な環境はまた別の病をもたらします」
「安全な水か……」
「そういえばここのトイレについて、ルイスはどう感じましたか?」
「貧しい地域ではよくあるものかなと思ったよ。でも家の中にないのは不便だよね」
そう、ここハネスバルトでは、トイレは住居と離れた場所にある。
そしてトイレといってもその造りは、地面に穴を掘ってその上におまるみたいなものがあるだけ。
排泄物で穴が一杯になったら新しいトイレを違う場所につくるんだけど、雨がたくさん降ると前の穴から中身がぜんぶ溢れかえってくるのだ。
そういえばこの世界にはまだ水洗トイレがないようで、比較的豊かな地域でも、王都の貴族街や、貴族のお屋敷にある汲み取り式トイレが最先端。
しかもルイスによると、汲み取られたものはなんとそのまま海岸に投棄しているそうだ。
一方平民街では汲み取り式トイレさえないので、そのまま家の軒下や街中に投棄するんだとか。
「……この国全土で、上下水道の整備が必要そうですね。設計・工事を行う会社を設立して、まずはグリーナワ領内など融通のきく場所から敷設できるようお父様にプレゼンします。それからハネスバルトの人々は」
「シャーリーン、その前に上下水道が何か教えてくれる?」
「ああ、そうですね。安全できれいな水を、誰もがすぐ手に入れられるようにするんです。同時に、使った後の汚れた水やし尿は、そのまま捨てるのではなく浄化処理してから河川や海に戻すようにするのが目的です。どういうことかというと……」
私があつく語っていると、しばらく真剣に聞いていたルイスが納得したように頷き、微笑んだ。
「わかった、僕も協力したいな。それで、さっきは遮っちゃったけど、ハネスバルトの人について何か言いかけた?」
「はい。し尿や生ごみのような有機物は、肥料として活用できます。土も肥沃になりますし、使えば大変な価値があると農民なら誰もが気づくはずです」
「し尿が?」
「ええ、ですからし尿は適切に溜めおいて耕作地の多い隣村に売って、金銭か水と取引するのです。上下水道の整備にはまだ時間がかかるので、それまではそうして安全な水を得るべきです」
「し尿とお金が交換できるなんて、にわかには信じられないけど……」
ルイスの顔を見て、たしかにと私は頷いた。
だけど江戸時代の日本なんかは、都市と農家間のし尿取引を担う仲買組織もあったほど、し尿は価値を見出されて盛んに取引されていたのだ。
作物やお金と交換して農家が都市からし尿を仕入れていたおかげで、江戸の町はヨーロッパと比べて比較的衛生的だったことでも知られているわけだし……。
「ルイス、きっとうまくいきます。ハネスバルトに限らず他の都市でも、今道端に捨てているし尿を農村と取引させられれば理想です。まずは適切な便槽を設置して……やることがたくさんあるわ!」
私が一人で盛り上がっているのをじっと見ていたルイスが、しばらくしてから瞳を優しそうに細めて言った。
「シャーリーンは面白いね。全部一緒にやろう。明日には協力してくれる人たちを呼んで話す機会を設けるから」
「え? 明日ですか?」
「うん。そうだ、君に興味深い話があるよ。来週ここを出たら、次の行き先はノーツ港にしようと思ってる。今まで国の所有物だった沖にある小島が、民間向けに競り出されることになったんだ」
「小島が競りに、ですか」
「とりあえず買ってみるつもりだったんだけど、友達に無計画じゃ勿体無いだろうっていわれて」
さらっと言ったルイスを、私は口を開いてぽかんと見つめた。
「その友人がね、島を使って商売しないかって言うんだ。シャーリーンも案を出してね。ああ、楽しみだな」
心底楽しそうなルイスが話は終わったとばかりに宿へと帰る準備をし始めたのを見ながら、私は開いたままだった口を自分の手で閉じた。
──────なんだか謎が多い人だ。
まあ、私も人のこと言えないんだろうけど。
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