第9話 邂逅


「わあ、ここは天国なんですね……天使様」

「何それ違うけど。バカなのかな?」


 目を開けると、ふわふわパーマの白髪にブルーの瞳の天使のような容貌の少年が、私を蔑んだ目で見つめていた。


 見た目に反して口が悪いのね……反抗期かな、と思いながら私が微笑むと、少年は「絶対なんか勘違いしてるよな」と嫌そうに顔をしかめる。



 というか、ここはどこなのだろう?


 なぜだか私は、フカフカのお布団に寝かせてもらってるみたいだけど。



「……湖で釣りしてたらお前がかかったんだけど。珍しいから標本にでもしようかと思ったのに、生きてて残念だな」

「え? とんでもない悪趣味ですね」

「それよりなんで湖に沈んでたんだよ」


 少年に言われて何のことかと聞き返そうとした瞬間、私はここで目を覚ます直前の出来事を思い出して頭を抱えた。


 ──────そうだ、いい天気だし湖岸でピクニックをしたかったから、昼食を包んだあと魔法でこっそり家を抜け出して、町馬車でロンギア湖のあたりまで行ったんだった!



 実は私が全属性魔法使いだということは、勉強会メンバーにしか知られていない。


 ティファニー先生の助言もあって私は土属性と対外的に伝えているおかげで、両親や家の使用人たちでさえ、私がこっそり魔法で外に出られるなんてことは想像もしていない……つまり家を出るのも以前よりはヌルゲーなのだ。



「……それで、初めて見たロンギア湖があまりにきれいだったもので」

「で?」

「きれいだな〜と思って近づいたら、いつのまにか近づきすぎたようで。落ちておぼれたみたいです! オホホ」

「……こんなマヌケでも生きていけるのか……。多くのヒトに希望を与えてるんだろうな」

「それって貶してます?」

「でもおかしいな。湖になんで近づけたんだ?」


 ………………たしかに。


 ロンギア湖というのは大陸のど真ん中に位置する大きな美しい湖で、なぜか誰も近寄ることができないことで有名だ。


 どうして近づけて、さらには溺れることなどできたのだろうか。


「でもそれでいうと、あなたもなぜあの湖で釣りができたのですか?」

「僕らから自然を奪うなんて、誰にもできないに決まってるだろ」

「やだ〜レヴィン様そん……キャアアアア! メイリン! 何その変な生き物は!!」


 突然甲高い声に会話を遮られて戸口の方をみやると、そこにいたのは声の主であろう女の子と、その保護者らしき男性だった。


 叫び声を上げたのは泣きぼくろが似合う美少女で、紫がかった黒髪のウェービーなロングヘアを逆立てながら、横にいる男性にしがみついていた。


 そして自然な流れでその腕が絡んだ先を見ると、現実味がないほどきれいで迫力がすごい黒髪の男性が目に入る。



 ──────惑わされそうなほどの美形だわ。


 特に印象的なのは瞳の色で、美しい海に上から血を垂らして混じり合ったような、魅入られそうな色をしていた。


「はあ。ったく、ガキはうるさいなあ」

「なによ! メイリンだって同い年じゃない!」

「だってエレノアは、この生き物がなにかもすぐ分からないようなバカだろ」

「はあ? 私はもう百六十歳よ!!!」

「言われなくても知ってるさ。同い年なんだから!」

「ん? ちょっとよくわからなくないのですが、年齢でサバをよむ遊びでしょうか? じゃあ私は九百歳ってことで……」

「はああああ……、バカばっかりで疲れるな。レヴィン様、コレ、湖で釣れたヒトですがどうしましょう」

「えっ! ヒト?!」


 コレと言いながら指さされ、なおかつ女の子にはおぞましいものを見るような目で見られて困惑しつつ、先ほどからまったく口を開かないでいた男性────レヴィン様と呼ばれていた────を見上げる。


 その現実離れしたきれいな顔に、きれいに配置された唇がゆったりと開かれて、たった四文字だけ、紡いだ。


「におうね」

「えっ? えっ?? え……っ」


 きれいな人に言われたことで余計にショックを受け、メイリンと呼ばれていた口の悪い白髪少年を見る。


 けれど、彼は私を無視してレヴィン様と話を続けた。


「……レヴィン様。まさかこれが、偏屈野郎たちが言ってた異分子じゃないですよね?」

「そうでなければなぜ、 ロンギア湖で釣れたの? それに、こんなに匂う」


 優しいおっとりとした声を出しながら、レヴィン様が私の周りを鼻をくんくん動かしながら回る。


 自分ではわからないけど汗臭いとか?

 湖が泥臭かったとか?


 思い当たる節がないわけではないけど……!


 ぐるぐる思いを巡らせながら焦っていると、レヴィン様がすっと私の手を取って、長いまつげに縁取られた目を瞑った。


「……あの、一体……?」

「シャーリーン・グリーナワ」


 急に名乗っていないはずの名前を呼ばれて驚いていると、いつのまにかぱちっと開かれていたレヴィン様の瞳と目が合った。


「気高い魂だ。けれど先は長くはないかもしれないね。君のような魔法使いにはよくあることだ」

「……どういうことでしょう?」

「美しい魂ほど、脆く壊れやすい。世界の穢れに耐えられないから」


 ──────そして魂の終わりは肉体の死を意味する。


 レヴィン様の言葉に、私はよくわからないながらも聞き入った。


「君の魂はとてもいい匂いがする。だからこそ、きっと君を待ち受けるのは過酷な未来だろう」


 奇妙な話にたじろいで周りを見渡すと、メイリンやエレノアと呼ばれた子供たちも、じっと静かに私を見つめていた。



 ……なんだろう。


 ごっこ遊びにしては奇妙で、何だか聞き捨ててはならない雰囲気がある。


 けれど、だからといって何を言いたいのかはよくわからないし、妙に聞きづらい雰囲気がその場を包んでいた。



 話の続きがあるのか待っていると、最初に出会った白髪の天使、メイリンがおもむろに口を開いた。


「お前、歴史を習ったことあるか?」

「ええ。各国の歴史書をそれぞれ読みました」

「お前みたいな小娘は、魔物や魔獣の話を見て身の毛もよだつ思いをしただろう」

「そうでもないですよ。歴史書の内容がどこまで事実かもわかりませんし」

「……怖くないのか?」

「なんとも言えませんね、会ったことがないから。魔物や魔獣は架空の存在かもしれませんし、だとすれば恐れる必要もないかと」


 昔から魔物が存在して、人間や作物に害をなす存在だったというのが事実であれば、民間伝承としてでも何かしら記録が残っているべきだろう。

 けれど魔物の存在を記したものは、「輝かしい歴史」の時代以外、その前にも後にも何一つない。


 …………そうなると最も現実的なのは、「全てが創作」だという結論なのよね。



 私が真面目に答えると、しばらく黙って私のことをジロジロ見まわしたメイリンが言った。


「…………レヴィン様。もしなさるなら、仲立ちをします」


 仲立ち?


 私が頭にハテナを飛ばしまくっていると、うっそりとした微笑を浮かべたレヴィン様が目の前に立って慈しむような目でこちらを見た。


「シャーリーン。この世界にいながら気高く美しくあれる、強い君の脆い魂を、僕は誇りに思う」


 相変わらず意味がよくわからない言葉だけれど、レヴィン様の圧倒的なオーラとその場の雰囲気に飲まれたこともあって、私は恭しくお辞儀をして応えた。


「……実は、僕の一族はもう長年、新しい子孫が生まれていない」

「え? そうなのですか。それは心苦しいですね」

「誰もが望んでいるけれど、新しい命はなく、朽ちていくものを見送るのみの一族に、どれほどの悲しみが渦巻いているか。君はきっと想像できる子だね」


 そう言われて真剣に想像をしてしまい、暗い気持ちになった私は、神妙な顔をして頷いた。


「僕の友となって魂を分かち合い、一族を助けてくれないだろうか?」

「もちろん私にできることがあるなら、何でもいたします! けれど医師の資格はありませんし不妊の原因は男女半々なので、適切な……」

「メイリン」

「はい。……汝ら、欠けた魂を取り戻し、この世の善きと悪しきを共にする永久の友となる者。我、メイリン・シャルツァルトスが証人となり、死まで互いを慈しむ様を見届けよう」


 なんだか結婚式みたいな文言だなと思いながら私が突っ立っていると、レヴィン様が私の額から首、そして胸へとまっすぐ親指を滑らせる。


 しばらくするとズキッという痛みが胸元に走り、ようやく私は、レヴィン様の瞳そっくりな色をした美しい宝石が、自分の両胸の間に埋まっていることに気づいた。


「あ、あれ? あの、何だかおかしな……幻覚でしょうか?」

「……ありがとう。君のおかげで繁殖期を迎えることができる」

「は、繁殖期……?」

「君をいつも見守っているよ、シャーリーン。すぐに会おう」


 そろそろ君の両親が、君の所在を確認しに来る頃だから。



 そう言って微笑んだレヴィン様の顔がぐにゃりと歪む。


「どう……い……う……こ……」

「あ、アンタ! その胸の、気をつけなさいよ!」

「その石、誰にも見られるなよ。……殺されるから」


 ぐるぐる回る視界の中で、焦ったように叫ぶエレノアと、真剣な面持ちのメイリンが見えた。


 意味がわからないのは相変わらずだけれど、なぜだか絶対に彼らのいうことを守らなければいけないという警告が、強く脳に響く。


「またね」



 そうして段々と視界がブラックアウトし、次に覚醒した時には、私は自室のベッドに寝ていた。


 よくわからないことばかりで現実味がないのに、いままでより空気の匂いが鼻を刺激し、窓の外でしたたる水の粒がなぜそこにあるかまでわかるような、極限まで研ぎ澄まされた不思議な感覚を覚える。


 ────今なら何でもできそうだ。



「……っていうか、どうなってるんだろう? まさかロンギア湖に行ったのも夢だったかな?」


 ひとりごちながら手を滑らせた鎖骨の間には、美しい宝石が埋まっていた。

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